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2010年9月 7日 (火)

遊女が救いを求めたのは?

 NHK大河ドラマの「龍馬伝」。視聴率は下がっているらしい。長崎編になって少しは龍馬らしくなってきた。長崎で龍馬と親しくなる芸妓にお元がいる。蒼井優が演じている役だ。彼女は、隠れキリシタンという設定で、密かに信者の集いに出るシーンがある。

 話は、龍馬のことではない。芸妓のお元はなぜ隠れキリシタンなのか。推測だが、芸妓、遊女はどこでも、好きでやっているのではない。家が極貧で仕方なく娘を遊郭に売るという例が多かった。そんな芸妓、遊女たちが、救いを禁制の宗教に求めたのは、ありえることである。

 ドラマを見て思い出したのが、沖縄のこと。琉球王国では仏教といえば禅宗か真言宗だけ、キリスト教とともに、一向宗も禁じられていた。ひたすら念仏を唱えれば救われるという浄土真宗は、薩摩藩で禁じられていた。一向宗の封建的な権威を認めない平等思想が、薩摩の支配者の意にそわなかったかららしい。だから琉球も同様、禁じられた。

 でも150年ほど昔、琉球で役人だった仲尾次政隆が一向宗を信じ、多くの信徒を集めていた。なかでも、那覇の辻という遊郭のあるところで、遊女たちに影響を広げ、短い年月に約300人余りの信徒ができたという。禁制の一向宗で、これだけの信徒を得ていたというのは、相当なものである。結局は、告訴されて仲尾次は八重山への遠島処分にされ、10年も流人生活を送ったという。

 琉球の遊女は、かつて地方に散在していたが、王府の政策で那覇に集められたので、貧窮する農家からの身売りは、那覇の遊郭に集中したという。民謡には、遊女を歌った唄、遊女と首里の士族の恋を歌った曲がとても多い。すでにアップしてある「愛と哀しみの島唄」などで、少し書いたので、興味のある方はそちらをのぞいてみてほしい。薄幸の彼女たちにとって、一向宗が救いとなっていたのだろうか。(参考島尻勝太郎著『近世沖縄の社会と宗教』)

 

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コメント

辻には全部で何人ぐらい遊女がいたんでしょう。300人といったら、すごい人数じゃないですか。「聖書」みたいな仏典を教えてもらったんですかね。料亭「辻」はもともと元遊女が開業した店だそうですよ。王朝崩壊後、遊女たちはどんな暮らしになったんでしょうね。信心の在り方も変わっていったのでしょうか。
 宗教と違うけど、最近沖縄でも創価学会がその手を広げていて、温泉オバーに勧誘されるんで困ります。断ると、「朝一番、お陽様があがる方向に向かって南妙法蓮華経って唱えなさい。これは効くのよ。だから学会は強いの」と拝むことを強要されます。あ~!ユタか学会かで温泉は大変だよ!まっとうな宗教なら我慢できるやっさ!

 遊女が何人いたのかよく知りませんが、すごい数ですよね。浄土真宗は、難しい経典を読まなくても、ひたすら「南無阿弥陀仏」、つまり「阿弥陀如来のようになりたい」といういう意味の念仏を唱えれば、人はみんな、だれもが平等に幸せになれるというので、遊女ら民衆に広まったのでしょう。もともと、琉球では、百姓は学問は許されていないので、遊女たちも文字を知らない人が多かったではないでしょうか。だから、経典を読める人はあまりいないでしょう。
 まあ、昔のようにキリシタンや一向宗が禁制の時代とは違い、信教は自由ですが、信じない自由もありますからね。

 那覇の遊郭にいた遊女の数がわからないといったけれど、わかりました。薩摩から来ていた役人が記しています。それによると、辻1500人、仲島700人、渡地300人ほどだそうです。辻は上等、渡地は中等、仲島は下等とランク付けもしています。合わせて2500人になります。多少時代はずれがあるかもしれませんが、300人の一向宗の信者がいたといえば、ほぼ9人に1人くらいはいたことになるからすごい広がりです

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