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2010年9月15日 (水)

沖縄の子守唄の不思議、その5

 沖縄の子守唄の特徴について、私見を書いてきた。すでに長く沖縄のわらべうたを研究されている杉本信夫さんの見解に接することができ、「やはりそうだったんだ」と思うところがあった。紹介しておきたい。『鹿児島沖縄のわらべ歌』からの引用である。

 「日本の子守歌というと、売られた子守娘の怨嗟の訴え、のちの女工哀史にも通じるような悲痛な仕事歌を思い浮かべるが、沖縄の場合、このような歌は全くない。とくに人頭税を課せられてきた宮古・八重山では、子供が生まれても母親は仕事に追われて子守りどころではなく、そこで部落の中から一定の年齢に達した少女が“守姉”(むりあに)に当てられた。守姉になった少女は、これを誇りに思い幼児の身の回りの世話から、立派に成人するまでの知的な教育や情操面の徳育までも含めて面倒をみるのである。その子守娘の素直な情愛や生活が、とくに宮古や八重山の子守歌には美しくうたい上げられている。もちろんこうした守姉は、育てた子から生涯慕われ尊敬されるのはいうまでもない」。

 八重山の子守の実態について、もう一つ宮城文さん著『八重山生活史』から紹介したい。

 「子守は五、六才前後の娘のおつとめになっていて、姉のいる家庭ではもちろんその姉が、そうでない家庭では親戚や隣家の娘を頼むのが常例であった。娘たちは、たくさんの子供をお守りするのが誇りであり、『守児』(もりご)のいない娘は毎日の朋輩の集いでもさびしい想いをしなければならないので、母親は遠い所まで探し求めてお守りをさせることさえあった」「その縁故は一生を通じて深いものであって、実の兄弟姉妹の及ばない程の親密さであり、成年後も、守姉は守児の世話をするし、守児は守姉を大事にして、結婚・生年祝などには着物を贈り、正月にはお歳暮を怠らなかった。昔の子守には何一つ報酬があった訳ではなく、ただ真心の奉仕であり、子守同志が集まって語り合い歌い合い、はしゃぎながら子守りをするのが楽しみであり、誇りであったのである」

 やはり、大和の子守歌にみるように、親元を離れて遠い地に子守り奉公に年若い娘が出されていたのでは、つらい思い、怨嗟を歌い、泣く子が憎くなるという子守りの歌になる。そこが、沖縄の先島は違う。同じ少女らの子守りであっても、生活共同体のなかで、自家の子どもだけでなく、他の家の子どもでも、子守りをするのを誇りに思ってしていたというのでは、歌われる子守歌が、まったく異なるのは当然だろう。子守歌も、このように暮らし、民俗をとてもよく反映するのである。

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コメント

沖縄の子守りは今でも、兄弟姉妹が多い家庭では、歳の離れたネーネーが妹や弟のお守りをしていますよね。年が離れていなくても、自分と2つ違いとか3つ違いの兄弟姉妹がお母さんのお腹にいるときから、「早く~早く生まれて~」とお母さんのお腹に向かって言うそうです。年が離れていなくても、面倒見がよく遊び相手になっていますね。お隣のチヤちゃんは弟のレオくんといつも一緒に遊んでいます。多分、チヤちゃんはイッチョ前の「ネーネー気分」だはず。
知り合いの美容師さんとこのお子さんは三姉妹で、一番上が20歳、一番下が小学校1年生で、お姉さんが働いているお母さんがわりに面倒みてきたそうです。
今も昔も変わらないとこがあるんじゃないでしょうか。子守りする子がいないから探してまでさせる、とまではいかなくても。

 沖縄はとにかく子どもが多いから、いまも変わらないところがあるでしょうね。おばあが子守りするところも多いじゃないかな。昔と違うのは、子どもが幼稚園、保育園に行くところでしょう。昔の守姉は、幼稚園、保育園の保育師の役割をしていたんですね。杉本さんによれば、成人になるまで知的な教育、情操面の徳育までしていたそうですから。

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