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2010年9月 3日 (金)

琉球と中国の長い交流の物語(下)、その10

 冊封使の派遣は、中国側にとっても、琉球側にとっても、大きな負担と危険があった。中国は、琉球を福建省に呼び寄せ、そこで国王の認証の儀式をすればよいのでは、と働きかけたことがある。でも琉球は、あくまで冊封使を琉球まで派遣することにこだわった。なぜだろうか。そこには、冊封使を迎えることにより琉球での国王の支配を権威づける政治的な意味があったのではないだろうか。その10は、そんな内容である。

 最後に、琉球と中国の交流の歴史を振り返ると、沖縄はアジアの国々にもっとも近い南海の優れた位置にあり、東アジアの国々の交易と友好の関係を続け、架け橋となってきたことがわかる。これは、これからの沖縄と日本がアジアで生きていく道でもあるのではないだろうか。そんな思いを強くする。これで最終回である。

     「tyuuryuu10.doc」をダウンロード

    

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コメント

 最後までおもしろく読ませていただきました。中国側が薩摩の琉球支配を見て見ぬふりをしたというエピソードは特に興味深いものでした。
 「朝貢使」と「冊封使」の違いがなかなか頭に入らなかったので「二年に一度」と「20年に一度」がこんがらかりもしました。
 そこで疑問です。「二年に一度の朝貢船?」による中国との交易から得る利益は分かるのですが、「20年に一度の冠船貿易」はそれほど大きな利益をもたらしたのでしょうか。あまりにも頻度が少なくて、さほどの影響はもたらさなかっただろうと思うのは浅はかな考えでしょうか。
 それと前にもいいましたが、琉球側が武器を持たずに平和的外交・交易に生きる道を求めていたのは分かるのですが、中国側は最初から最後まで政権が変わっても武力的圧力には頼らなかったのでしょうか。

ミヤギのツブヤキさん。
 最後まで読んでいただき感謝、感謝。確かに、冠船貿易は頻度が少ないし、持ちこんだ品物は王府が買い上げるので、そんなに利益にはならなかったでしょう。琉球の中国貿易そのものも、薩摩はこれを管理することで儲けようとしたけれど、儲からなくなったそうですから。でも、琉球支配の最後まで続けたのは、それなりの利点、思惑があったからでしょう。琉球を使った密貿易をしていたと聞きます。
 それと、冊封体制というのは、中国の圧倒的な力が背景にあり、周辺の小国は朝貢することで、その傘の下に入り、攻撃を受けない、安全を保障してもらい、貿易も許されるという、政治的、経済的な利点があるので、あえて皇帝の前に跪く道をとったのでしょう。中国も時代と政権によって、対外侵略をしたり、国内の抗争が続いたり、変わっていますよね。ただ、琉球が中国に朝貢した500年の間には、中国側から武力で攻撃されたことはありません。朝貢している国には攻撃をしないのです。
 沖縄には中国から渡ってきた人たちの子孫がたくさんいます。有名な人々もたくさん生み出しています。仲井真現知事もその末裔と言われます。こんなにかかわりが深いのに、沖縄でも中国脅威論がかなりあります。これに乗ると、沖縄は未来永劫、地政学的に軍事基地の要衝とされます。それは違うのはないか、中国との交流史を学んでもその思いを強くします。 
 

得心しました。

さらなる「琉球・沖縄講座」のブログを期待しています。

 余談になりますが、琉球王国を廃止する「琉球処分」のとき、明治政府は武装勢力を引き連れ首里城に乗りこみ、力づくで「琉球処分」を強行しました。このとき、王国廃止に反対する人々は、琉球を抜け出し、当時の清国に援助を求めたけれど、清国は介入しませんでした。そんな経過もあります。蛇足でした。

参考になりました。

中琉交流史とは別件です。今をときめく「H・Y」の「時をこえ」のことをブログでアップしてくださいな~。
福州園に行くと、いかに琉球との親交が深かったか、想像できますね。冊封使が使った識名園も、園庭には中国風建築物もあって、長い時間いても飽きないように工夫が凝らされてますね。あそこの庭の池には船を浮かべられたんですよね。久米には今も中国の末裔が住んでいるんでしょうか。そういえば松山あたりは中華料理屋が多いですけど。今年に入ってから、中国の観光ビザが低所得層もとれるようになったそうで、ずいぶん沖縄への観光旅行者も増えましたね。「金壺」のおばちゃんはなんだか以前に増して大忙しですよ。ツアーで利用されるから、朝・昼・晩と食事の支度におおわらわだそうです。

 HYはいい歌を歌ってます。近くアップしましょう。
 福州園にいくとまるで中国に旅行した気分になります。近くに、孔子廟もありますね。沖縄の中の中国を探せばたくさんあります。わたくし的には、「沖縄の未来は、中国にある」といっても過言ではないと思います。中国の庶民の所得がさらに上がり、海外旅行が急増すれば、かならず「東アジアのハワイ」ともいえる沖縄の魅力が注目されるでしょう。しかも、中国とは深いつながりがある沖縄であり、大和よりも近い。だから、あの巨大な人口の中国から観光客をどれだけ呼び込めるのか、は沖縄の発展のカギがあるんじゃないでしょうか。
 金壺のおばちゃんって、台湾出身ですね。500円で精進料理が食べ放題で人気ですね。またいきたいなあ。

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