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2010年10月30日 (土)

瓦屋の始まり、渡嘉敷三良の家を訪ねる、その1

 赤瓦の木造の家。それは沖縄らしさのシンボルともいえる風景である。その沖縄の瓦焼きの始まりは、16世紀に中国から渡ってきた瓦職人が伝えたという。その名も渡嘉敷三良(とかしきさんらー)という。

 那覇の国場に住み、妻をめとり、陶舎を造り、瓦を焼いたという。その渡嘉敷三良の家が、なんとわが家の近くにあるというので、見学に行った。もちろん今は子孫が住み、現在18代目というからスゴイ歴史である。

     022 渡嘉敷家の正門。

 門をはいると、沖縄の伝統的な家には必ずある「ヒンプン」がある。家と門の間に立ち家の中が見えるのを防ぐ。左から回り入ると、赤瓦の家が見える。家にちょうどおばあさんがいたので、許しを得て、写真に撮らせてもらった。

   018_2 赤瓦の伝統的な家だ

 由緒ある渡嘉敷家は、ムートゥヤー(本家)と呼ばれている。家の中は、伝統的な間取りになっている。最初に瓦作りを沖縄に伝えた話を聞いても、なにか伝説上の人物のように感じていた。でも、現実にその家があり子孫が住んでいると思うと、なにか感慨深い。

     017家の前に立つコンクリート塀のようなものはヒンプン

 植木鉢の向うの正面の建物は、ムートゥの初代から先祖をまつるための神屋。つまり、18代にもなれば、子孫はたくさんいるので、本家では、ご先祖様をまつる拝殿のような神屋を敷地内の東側にわざわざ建てている。

     020 神屋の中の仏壇

 仏壇には歴代の先祖がまつられている。子孫の方がウートートゥ(拝み)に来るのだろう。でも、線香はたかないように注意書きがあった。

 琉球の史書でも「我国(琉球)瓦を焼くこと此れよりして始まる」(『遺老説傳』)と記している。渡嘉敷三良が琉球にとどまって瓦作りの技術を伝えることになった背景には、有名なエピソードがある。それは、もう長いので、次にしようね。(続く)

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コメント

渡嘉敷家は本家ですからその間取りは古い沖縄の家の間取り同様になっております。東側に(渡嘉敷家の場合、今ある場所からすると南向きにあたる)床の間のある1番座、その西隣つまり北隣に仏間のある2番座、その両間の奥に裏座、北側全体を使って台所があります。北側(西側)は民俗学的な観点でいうと、「不浄な場所」「劣位な場所」であたるので、神屋は南側(東側)の隅に建てられているのです。
おばあさんは女性なので一番座にはいませんでした。大きな仏壇のある2番座で、テレビを見ていまし
た。
神屋にチャーギがたくさん活けられて並べられていましたが、ああいう管理と御願を欠かさずやらねばならないところもムートゥヤの大変さですね。
それにしても三良の先祖の家があってよかったですね。

 渡嘉敷三良の家といっても、史跡や文化財に指定されているわけじゃないので、何も標識や案内板はないから、聞かないとわからない。近所の人に聞くと、「渡嘉敷のムートゥヤーならこの200mくらい行ったところだよ」と教えてくれて、わかったけれど、でも沖縄に瓦焼きを伝えた歴史ある渡嘉敷三良の家だと、あの周辺でもどれだけ知っているのだろうか。ちょっと疑問ですね。

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