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2010年11月24日 (水)

沖縄の地名は難しい、その1「保栄茂」とは

 沖縄の名字は難しいと書いたが、地名も同じく難しい。名字は、地名からきている例が多い。だから名字も地名も難しいのは、根は同じかもしれない。でも、地名は名字にもない独特の奇妙というか、不思議というか、とても読めない地名がある。その代表的な例を上げてみる。
 為又は「びいまた」と読む。これがなぜ「びいまた」と読むのか、いまだによくわからない。世冨慶は「よふけ」と読む。夜更けではない。両方とも名護市にある。済井出は「すむいで」と読み、名護市の屋我地島(やがちじま)にある。大工廻は「だくじゃく」と読み、なんと米軍嘉手納弾薬庫の基地の中にある。旧集落のあった場所だ。惣慶は「そけい」と読み、宜野座村にある。東風平は「こちんだ」だが、これは「東風吹かばにほひおこせよ梅花」と平安時代の和歌集にもあるので、読める。あげればきりがない。
 沖縄の難解地名のナンバーワンといえるのは、豊見城市の保栄茂だろう。これで「びん」と読む。このあたりは車でたまに通るが、そのたびに「なんでやー。漢字3字なのに、ひらがな2字で読むのだ!」と叫びたくなる。琉球の古謡集『おもろそうし』には、「ほえむ」「ほへむ」とひらがなで出ているそうだ。薩摩が琉球に侵攻してきた後、検地帳に地名を漢字で当てることになり、「ほえむ」は保栄茂と表記するようになったという。
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 では、なぜそれが「びん」と読むようになったのか。「びん」の地名のいわれについて、中国から来た人が住み、中国の地名をつけたのではないか、という人もいる。中国の福建あたりは「閩=びん」と呼ばれたり、中国から琉球に渡ってきた人は「閩人」と言われたそうです。
 でも中国の地名をつけたというのは、ちょっと違うのではないだろうか。保栄茂は古くから「ほえむ」「ほへむ」と言われ、薩摩侵攻の後も、その名前を漢字で表記したというのだから、その後に、中国の地名をつけたとは考えにくい。中国の地名をつけたなら漢字もそれにふさわしい漢字を当てるだろう。
 いずれにしても、なぜ「びん」と読むのかについては、謎である。『保栄茂ぬ字史』でも、「その難問の解決はあとしばらくの時間が必要である」とのべている。結局は地元でもわからないそうだ。

 写真は秋の夕陽。地名とは無関係だ。ただ、夕陽の落ちる南の方向は豊見城市で、糸満市の方向に行くと、保栄茂がある。

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コメント

ホントに読めない漢字の地名って多いですよね。「健堅」は「けんけんだし、東京にいるとき沖縄に出張に来て、「南風原」は「はえばる」で「与那原」は「よなばる」だから「西原」は「にしばる」だと思ったら、フツーに「にしはら」だったんで、「なにこれ?」って思ったときがありました。今でも「いりばる」じゃいけないのかね、と思うさ~。「保栄茂」の呼び方は「びん」から「ほえも」に戻した方がいいっていう声があがっているそうですよ。

ホント、難しい地名が多いね。西原は本来は、首里からみて北の方角にあたるので「北=にし」なので、「にしはら」と呼ばれたけれど、地名の表記は「北」ではなく「西」の字を当てたようですよ。でも「原」はなぜ「ばる」でないのかはよくわかりません。

旧聞にコメントしてすみません。初めまして。
最近、沖縄豊見城に住む人から、保栄茂の発音由来を聞かれたので。

そのとき答えたのが、ほへむ(hohemu)と記述されているなら、上代の日本人には、POPEMUとしか発音できないこと、後にPOEMUとなる、琉球3母音によりPUIMUとなる。そして、子音Pは子音Bと混用され、ニュアンスは時代・地域で異なっても根幹の意味を失わないこと(たとえばピンピン・ビンビン)。また、PからBへの転化は著しいけど、BからPへの転化は、よほどの言語遊戯に属すること。よってBUIMUとなったのではないか。
BUIMUからBINへの転化は、現代音韻で推測可能だから、考えてみてネ。

咄嗟とはいえ、日頃、東北・南西諸島・隠岐島などに残る古語の残滓は、西日本では百済語、東日本では新羅語に属するようだ、それにしても伽耶語の影響が薄すぎる、などと、素人推量をしているので、少し答えてあげられました。地名・人名に、ちょっとうるさいジジイです。

専門の方の御指導が欲しい話題ではありますね。ではまた。

前立腺隊じっちゃあマンさん。コメントありがとうございました。
保栄茂の読み方は、私的には「ほえむ」がなまっていって、「びん」に変化したとはとても思えません。なんらかの理由で、この付近の地名を「びん」と呼ぶようになり、漢字表記の「保栄茂」はそのままにして、読み方だけ「びん」と呼ぶようになったのではないだろうか。そんな気がしてなりません。その理由は、「ほえむ」と「びん」はあまりにも違いすぎているからです。
 定説はまだないので、これからの研究の成果をまつしかないでしょうが。

生まれも育ちも保栄茂の者です。沖縄出身で明治生まれの「宮城しんじ」という地名研究家が書いた本には、大昔(数百年~千年ほど前)には南の方角を意味する「ばい」「びん」という言葉があったようです。その本でも最後は、「後進の研究を待つ」というように結んでありましたが。でも考えてみると、保栄茂集落の伝統祈願では、他の周辺集落を飛び越えて、那覇市との境界にある「豊見城集落」とわざわざ日取りを合わせて行う行事もあります。沖縄のハーリー(爬竜船:はりゅうせん)発祥の地と言われる「豊見城集落」は、三山時代に南山王となった汪応祖の居城である豊見城城(昔の豪族の砦・居城)の言わば城下町です。その汪応祖の子が保栄茂城主だとの言い伝えもありますから、豊見城城から見て南(びん)にある城、という意味だったのかもしれません。実際に、その城跡には、びんじゅーあじしーがなしー(びん御主[うしゅー]按司[あじ]しー加那[がな]しー)言われる大昔の墓(親子2基で隣合う)があるのです。「南の按司の墓」ということなのでしょうか。僕も色々と調べてみたいと思います。

保栄茂住人さま。コメントありがとうございました。
汪応祖の子が保栄茂城主で、南のことを「びん」と呼んだというご指摘はとても興味深いですね。そうだとすれば、保栄茂集落の伝統祈願が豊見城集落と日取りを合わせて行う行事があるというのも、そんな昔のつながりがあったからでしょうか。
 それにしても、南を「びん」と呼んだとしても、なぜ「保栄茂」の字が使われるのか不思議です。
 これからも何かわかれば教えて下さい。

沖縄県出身の者です。
以前、豊見城の印刷屋で勤めていた時、会社の人と飲みに行く機会があり、今印刷しているものに読めない地名があると常務に言ったら、保栄茂はビンと読むと教えてくれました。そして、何故そうゆうふうに読むのかと聞いたら、あそこは朝鮮人の集落だからと教えてくれました。

先ほど投稿した者です。地名の由来や出自に関してはセンシティブにならざるをえないこのご時世なだけに、あえて他に意図が無かった事を申し上げたいと思います。かくいう私も中国人が移り住んだ土地(国場)の出身ですから。

nakamuraさん。コメントありがとうございました。
 保栄茂は、昔中国から来た人が住んで中国の地名、閩(びん)に由来するという説はありますね。
 琉球と朝鮮とは長い交流の歴史があるけれど、朝鮮の方が集団で琉球に来て集落をつくっているという話は寡聞にして聞いたことがありません。もしかして何かの間違いではないでしょうか。
 保栄茂の由来については、これまでいただいたコメントもそれぞれ興味深いですね。

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