首里の儀保周辺を散歩する
11月は沖縄の気候としてもっともすごしやすい季節だ。気温は23,24度で暑くはないし、寒くもない。それに天気も晴れる日が多く、降水確率0%という沖縄では珍しい日がある。
それでというわけではないが、ついでがあり、首里の城下町にあたる儀保(ぎぼ、方言ではじーぶ)から、少し散歩した。儀保から山川に向かう道路わきに松山御殿(うどぅん)跡がある。琉球最後の国王尚泰の四男、尚順が経営した農園があった。地名から「桃原農園」と呼ばれた。いまは、イタリアンレストラン「ラ・フォンテ」がある。前にランチを食べに来た。
坂道を登ると由緒ある風情の玉那覇味噌醤油がある。王府末期に創業され、王家御用達にもなった首里の名産の味噌醤油だという。いまも手作り、天然醸造、無添加で製造されている。
元は、首里の士族の仲田家の屋敷、仲田殿内(なかたうどぅん)跡だという。
向かいには「安谷川嶽」(あだにがーうたき)がある。首里大阿母志良礼(しゅりのおおあむしられ)と呼ばれる高級女神官の一人が司る御嶽(うたき、拝所)の一つである。
アーチ門が拝殿の役割をする。琉球では、こういう門が拝殿の役割をするのがとても不思議な感じがする。首里城の園比屋武御嶽(そのひやんうたき)石門もそうだ。
内側は神聖な岩と木を中心にした石囲いがあり、背後に洞穴がある。
さらに登っていくと、かつては琉球王国の王子が住む中城御殿があった旧県立博物館跡に出る。その南には龍潭池(りゅうたんいけ)が水をたたえている。
旧博物館跡の北側石塀のそばで思わぬ物に出合った。それは、「沖縄の子守唄の不思議」で紹介した「耳切り坊主」がつくられた伝説の場所だという案内板である。
「耳切り坊主が鎌、小刀で泣く子の耳をゴソッと切る」と歌われた舞台の場所がここだという
ここから坂道を下りていくと「上之橋」(いーぬはし)に出る。弁ヶ嶽を源流とする儀保川(じーぶがー)に架かる橋。首里は山の上に城があり、その中腹に住宅が密集している感じになっているので、川は驚くほど険しい。下流には「下之橋」(しむぬはし)がある。
橋を渡ってくると琉球菓子で有名な新垣菓子店がある。「元祖、本家」と強調している。城下町だけに、菓子・餅屋、泡盛酒造所などはとても多い。
まあただの散歩で終わりました。首里は、歴史上の史跡がたくさんあるので、そのうち、史料を持ってゆっくり歩きたい。
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コメント
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首里は狭い地域のなかに歴史的建造物や拝殿の跡があって車で通っただけではわかりませんね。首里まーいをきちんとやるだけでも何日もかかりそうですね。だけど坂が多いから歩くの大変だよ~。料理屋「首里殿内」の正面にある急峻な坂道あるじゃないですか。あそこ、見るだけで「住んでる人大変だろうなあ」って思います。御獄でウートート-してきましたか。
投稿: いくぼー | 2010年11月10日 (水) 06時41分
首里殿内のあるところは、金城の石畳だから、急坂で、お年寄りは大変ですね。観光にはいいけれど、病気や障害のある人、お年寄りは坂は生活に大変ですよ。御嶽は写真撮っただけで、今回はウートートー忘れたから、次にウートートーしましょうね。
投稿: レキオアキアキ | 2010年11月10日 (水) 09時06分