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2010年11月 1日 (月)

瓦屋の始まり、その3、土帝君

 琉球に瓦焼きを伝えた渡嘉敷家のすぐそばに、中国からやはり16世紀ころ、伝えられた土帝君(トゥ-ティークン)がある。那覇市の国場十字路から少し坂を上がったところだ。

         002 土帝君の入り口にある碑

  土帝君は、中国では土地神とされるが、この国場では、土地神だけではなく、農業、漁業、悪魔払いの神様として崇められているそうだ。旧暦2月2日には、土帝君祭が行われるという。そうはいっても、国場は海岸ではないので、なぜ漁業まで入るのだろうか。でも国場川があり、川は漫湖をへてすぐ河口で海に出られる。だから、昔は国場のあたりでも漁をする人がいたのだろう。でなければ、漁業は入らないから。    

        001 由来が書いてある

 碑の建つ入口から入ると、なかはこんなに広いスペースをとり、土帝君が祀られている。中央にある石造りの構造物が祠になる。珍しい形をしている。

         014_2 回りは住宅街である

      012  中央に土帝君が祀られ、両側にシーサーが鎮座している  

            010   土帝君の両脇にあるシーサー

 

     009    これが土帝君の本体

 土帝君の本体は、石で囲われて外から見えにくい。よーくよーく、中をのぞくとやっと本体が見えた。これだけ囲っているのは、なにか理由があるからだろう。沖縄戦でひどい目にあったのだろうか?そういえば、首から上は一度、とれたのか胴体と異なっている。そこに囲った理由があるかもしれない。

 国場の土帝君を実際に見るまでは、小さな祠があるぐらいだろうと思っていた。でも公園のように整備され、立派な祠があるので、驚いた。それだけ、国場の人々に、土地の守り神として、慕われてきたのだろう。この近くには、登野城御嶽(とのしろうたき)という拝所もある。ここも立派な御嶽である。

 那覇市内には、土帝君はこの国場と、裁判所近くにある餃子屋さんにしかないと民俗学の先生は言っていた。先日、その餃子屋の前を通ったら、もう店はなくなっていた。土帝君はどうなったのだろうか、心配になった。

 ちなみに、中国の影響の強い沖縄では、各地に土帝君がある。ネットで検索すると本部町の瀬底、西原町棚原、南城市佐敷地区字屋比久、伊是名島、久米島などにあるという。本部町瀬底の土帝君は、1712年に清国から木像を持ち帰り祀ったものだという。お供えの写真が出ているが、スゴイ。豚の丸焼き、山羊の丸焼き、生の鳥、グルクン(魚)、ソラマメ、餅という具合である。それだけ、信仰があついのだろう。

追記

1日、那覇市壷屋のやちむん(陶器)通りまつりに出かけたら、壷屋に「ニシノメー」(北の宮)という拝所があった。大正時代につくられたものだが、そこにはやはり土帝君と焼き物の神様が祀られていた。でも、ここでも祠にはカギがかけられ、見えないし、開かないように厳重に保管されていた。那覇の土帝君は2か所ではなかった。壷屋にもあったのだ。ほかにもあるのかもしれない。

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コメント

国場の土帝君の場所がやっとわかり、よかったです。あそこの道はわかりづらかったですね~。旧暦2月2日のお祝いの儀式を一度見てみたいです。すぐ近くでやってるはずなのに、すうまぬめえの隣の家のさがりばなのライトアップは新聞に載るのに、土帝君のおまつりは新聞に載らないです。ホントにやっているのかな?

すぐそばを何回も通っているけれど、わからなかったね。あんなに立派なのに。
あれだけ、整備しているから、土帝君祭りの時は盛大にやるでしょうね。お供えを見てみたいなあ。

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