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2010年11月22日 (月)

組踊創始者・玉城朝薫の墓を訪ねる

 伝統芸能の組踊(くみうどぅい)がユネスコの無形文化遺産に登録され、組踊の創始者である玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が改めて注目されている。前から一度行きたいと思っていた、お墓を訪ねた。

   004 やっとお墓の案内板を見つけた

 お墓は浦添市前田にある。前田と言えば、沖縄戦で前田高地が激戦の地となったことで有名だ。やはり戦争で、墓は破壊された。2005年に60年ぶりに復元された。1933年にこの墓を撮影した写真があり、それを参考にして復元したという。

   006 お墓は階段を上っていく

 階段を上るとすぐ墓が見えた。山の斜面を利用した石造りの墓だ。

   008 玉城朝薫のお墓

 墓は、17世紀後半から18世紀前半に、中国の影響を受けて亀甲墓が成立していく時期の特異な構造をしているという。亀甲墓に似てはいるが、亀の甲羅のような部分があまりない。屋根がある。家屋と同じように屋根のある破風墓と亀甲墓が融合した形で、県内でも例を見ないという。墓の内部は、墓室の天井を4本の柱で支える形式で、墓の前庭はバチの形に開いていてこれも珍しい。

   007 入口に説明板があった

 玉城朝薫の墓は、同時に辺土名家の墓とも書かれている。朝薫は、玉城間切(現在の町村にあたる)の総地頭職を務めた家柄の辺土名家の10代目に当たるという。朝薫は、首里王府で、芸能を担当する踊奉行(うどぅいぶぎょう)に任命され、中国から国王の任命のために訪れる冊封使(さっぽうし)を歓待する組踊を初めて創作した。
 朝薫が創作した「二童敵討」「執心鐘入」など5つの演目は「朝薫の5番」と呼ばれ、いまでも最もよく上演される組踊だ。朝薫は、薩摩や江戸にも上り、将軍の前でも芸能を披露したことがあった。大和の芸能にも精通し、能など大和の芸能の要素も取り入れながら、琉球独自の歌三線と台詞、踊りの総合楽劇・組踊を創り上げた。朝薫が組踊を創作したからこそ、今回の無形文化遺産の登録にもつながったいえなくもない。

  014_2  なんと墓はトンネルの真上にある

 墓から降りてきて改めてみると、墓はちょうどトンネルの真上にある。一瞬、「何、これ!、由緒あるお墓の下にトンネルを掘ったのか」と思ったがそれは、逆だった。朝薫の墓は、那覇市にあると思われていたが、実は1984年、道路計画で調査をして墓を発見し、朝薫生誕300年事業でこれが朝薫の墓であることを確認したという。墓の発見で、道路は山を崩さずに、トンネルを貫くことにしたという。だから、トンネルによって墓が守られたと言えそうだ。
 最近も参拝に来る人がいるようで、お墓にはお花が飾られていた。

   009 花が飾られたお墓の入り口

 

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コメント

由緒ある墓なんだから、朝薫の銅像とか朝薫の「5番」の碑とかなんかもっと「クミウドゥイ」の祖としてわかるようなものつくったらどうなのかね。三線の祖「アカインコ」はアカインコ宮があって奉納演奏がされるのに、朝薫はそういうのないじゃんか。お墓は屋根と回りだけ石で、あとは山の斜面をくりぬいてつくったようだけど、ああいう墓は確かに他にはないですね。辺土名家って、前田に住んでたんでしょうかね。

 辺土名家が前田に住んでいたかどうかは、知りません。なぜこの場所にお墓があるんでしょうね。朝薫の妻が浦添の出身だそうですが、だからといって浦添に墓があるとも思えない。もともと、朝薫は遺言で一族から離れて、首里の石嶺に葬られ、その後、移されたそうですね。

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