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2010年11月 4日 (木)

パーマ屋は生きている

 ビギンの「パーマ屋ユンタ」についてブログに書いた。そこで「パーマ屋」という言葉自体がレトロな感じがすると書いた。もう「パーマ屋」という呼び名は死語になっているのかと思っていたら、糸満市では堂々とパーマ屋が営業していた。「ああ、パーマ屋はまだ生きているんだ!」と懐かしく見た。

   046 張ってあるポスターの写真も超レトロだ

  一か所ではない。ほかにもある。実は、糸満は、美容室がとっても多いことで有名らしい。「週刊レキオ」という新聞の「島ネタ調査班」が4年前、調べて報道したことがある。糸満は、美人が多いことでも有名である。だから交通安全のスローガンに「糸満美人多し、スピード落とせ」と横断幕を掲げているほどである。「糸満の女性はオシャレ好きさー」という。美人はオシャレで、美容院によく行くのだろうか。

    052  こんな看板も出ている

 戦前から糸満女性は、男衆が獲ってきた魚を那覇市まで歩いて行商にいっていたことで知られている。それだけ、糸満女性は経済力をもっていた。男に頼らない自立心もあったのだろう。経済力もあれば、オシャレもできる。

 それに「糸満女性は手に職をつける自立心がある。それで美容師をめざす人が多い」という(「週刊レキオ」から)。ウミンチュ(海人、漁師)の男たちを支えてたくましく生計を立ててきた糸満アンマーのパワーが多くのパーマ屋を生みだした背景にあるともいう。

 パーマ屋の多さは、半端じゃない。糸満市で110軒ある。とくに、中心部の糸満ロータリーから、FMたまん(ローカルラジオ局)のある場所までの約1・3㎞の間に17軒もある。70mに1軒ある勘定になるそうだ。これも「週刊レキオ」編集部が歩いて調べた結果である。

    053  美容室の看板は「パーマまき」

 といっても、今日の問題は、美容室の数より「パーマ屋」である。ちなみに、電話帳「タウンページ」をめくり、「パーマ」という名前のつく店を探してみた。ありました。あの沖縄戦の終結の地といわれる摩文仁(まぶに)に、文字通り「ぱーまやさん」という店名がある。糸満市内で合わせて3軒あった。ただ、写真に出ている店は、店名には「パーマ」とついていないので、この数には入らない。那覇市内で探すと「パーマ」のつく美容院は7軒ある。でも人口比で言えば、那覇は糸満の5倍余の人口だから、「パーマ」と名がつく店は糸満に多い。ほかの市町村でも店名を見たが、チラホラしかない。まあどうでもよいデータであるが。

 それはともかく、やっぱり「パーマ屋」という言い方には、なんか哀愁がある。ビギンの「パーマ屋ユンタ」のように、糸満のパーマ屋アンマーも、隣近所の子どもたちの髪を、小さいころから切ってきた間柄なのだろうか。そんなことを考えた。

 

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コメント

昔から「今帰仁女に糸満美人」といわれるぐらい、糸満の女性の美人の多さは名をはせていたそうです。でも「美人多し、スピード落とせ」という標語は、糸満警察署が交通安全の何かうまい対策はないか、と考えてひねり出しただけのことで、実際に美人が多いから、ということではない、と糸満警察署の回答を得た、との記事を目にしたこともありましたね~。rbciラジオのかつての番組「昼ワク!」の「市町村コーナー」で、ラジオカーレポーターが、糸満市が取り上げられた時に「では、本当に糸満美人はいるのか、探してみましょう!」って、アンマー市場に取材にいったわけさ。してから市場のアンマーや働いてる男の人に「ここには糸満美人いますか?」って聞いたら、み~んな「糸満美人は字糸満じゃなくて字真栄里にいるさ~。ここにはいない」って言ってた。字糸満のヒトは字真栄里をものすごく意識してるので、未だになんでだろ~、と不思議です。
パーマ屋に多くの女性が通っていた(通っている)のは女性のすぐれた経済力の結果ということですが、比嘉政夫先生の民俗講座で、糸満の女性は門中の制度でも、近年は夫の門中に分担金を払わず、実家の方の分担金のみを払うようになってきている、とのことでしたね。伊波普猷さんの「沖縄女性史」を読むと、明治以降、王朝制度が世変わりしたもとで、首里や那覇の士族の妻の場合は、男性はそれまでの待遇を失ったので、早く言えば「酒かっくらってぐうたらしてた」そうで、妻の方は糸満の女性のように経済的に自立していた、という記録はないですね。伊波は那覇首里の士族の女性に向かって、「教育を受けろ」と説諭しています。糸満の女性と那覇首里の女性の「経済的自立の違いと歴史的変遷」というのが、知りたいです。

 うんちく満載のコメントありがとうございます。糸満女性だけでなく、琉球王府時代に沖縄に来た人の見聞でも、那覇の市内で物を売ったりして働いているのは、女性ばかり、男はヒマして遊んでいるような状態が記されています。ただ、これは男は士族の場合、王府の役職に就けないと、失業状態なので、仕事がなくてぶらぶらしている男がいたということのようです。

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