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2010年12月11日 (土)

久米島の城跡を見る、その1、具志川城跡

004久米島の城跡、具志川城跡

久米島に初めて行った。そんなに大きな島ではないが、城跡がいくつもある。そのなかで、具志川(グシカワ)城跡と宇江城(ウイーグシク)城跡を見た。
 城跡があるということは、争いがあったことを意味する。「小さな島で、力で民衆を支配する豪族がそんなに生まれたのか?」と疑問を持っていた。久米島の歴史を知ると、様相は少し違う。
 久米島の社会の発展の中で、城を築く按司(豪族)が生まれたのではない。島外から少なくても2度にわたって、武力を持った侵入勢力があったという。
 時は15世紀初め。沖縄本島で、尚巴志(しょうはし)が三つの国に分かれていた琉球を統一(1429年)した前後のことのようだ。
 当時の久米島は、有力者は生まれてきていたが、まだ武器を振り回すこともない平穏な時代だった。侵入してきた武装勢力には、立ち向かえない。取り入って、妥協したようである。 侵入者の一人と見られる真達勃(マタフツ)が築いたのが、この具志川城だという。恐らく、本島の南部にあった国、南山で、内部争いに敗れた勢力の一部が、久米島に逃れてきたことが考えられる。

001  その後、伊敷索(イシチナ)一族が久米島にやってきた。具志川城は、真達勃の子の真金声(マカネゴエ)の代に、この伊敷索按司の二男に乗っ取られたという。
 まあそんな伝説を含めた歴史のあるのが、この城だ。写真で見るように、やはり、見事な石積みの城壁がそそり立つ。場所は、島の北西部の海岸の断崖の上にある(右下写真)。城跡から見下ろす海岸は、大和泊、唐泊という港になっていたそうだ。いまでは、港らしいものは見えない。
 003

  久米島は、琉球から中国や東南アジア諸国への交易のさい、絶好の寄港地となった島だ。大和にも古くから航海していたらしく、814年、奈良の都に南島から人が来た記録に「球美」とあり、これが久米島だと見られている。
 この具志川城跡でも、中国の元や明代の青磁片、海外からの輸入陶磁器など見つかっており、盛んに南方貿易をしていたことがうかがえるという。左上写真は、城跡の遺構。

005 左の案内板には、具志川城跡の説明が書いてある。

 具志川城を乗っ取られた真金声は、沖縄本島に逃れて、南部の糸満市喜屋武(きゃん)に具志川城を築いたと伝えられている。この喜屋武にある具志川城跡も、昨年見に行った。糸満市の南端、喜屋武岬に近い海岸にある。「こんな突端になんで城を築いたのだろうか?」と疑問がわいたが、久米島から逃れてきた勢力によって築かれたと聞くと、納得がいく。もともと、南山から久米島に逃れてきた人たちなら、久米島で新たな勢力によって、追われれば、もう一度、糸満市方面に逃れてきたというのも、ありうる話ではあると思う。
 尚巴志が琉球を統一して打ちたてた第一尚氏の時代は、まだ按司たちが、各地に割拠して、城を築いたり、武装もしていて、独自に海外貿易も行っていた。だから、城を築くこともできただろう。
 でも、琉球王朝は、農民上がりの金丸が、クーデターで第一尚氏の王統を廃し、みずから尚円王を名乗り、第二尚氏の王朝を打ち立てた。尚円の息子の尚真王の時代、16世紀の初めには、中央集権を強め、久米島にも軍を派遣して、討伐した。具志川城も宇江城も落城したという。これ以降、久米島は首里王府に組み入れられることになる。012

 城跡とは関係ないが、近くに「ミーフガー」と呼ばれる岩がある。巨岩と巨岩の間にポッカリ穴が空いていて、女性の象徴にたとえている。島の反対側、南側の海岸には、男性のシンボルもある。
 久米島の海岸は、島の南側は、サンゴ礁があり、沖合にリーフがあって、浅瀬が広がっている。でも、北側は、断崖が連なり、ビーチはほとんどなくて、海はすぐに深くなっていく。東シナ海の荒波が打ち寄せる。同じ島でも、海岸はまったく異なる様相である。

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コメント

そうだったんですか。具志川城跡は久米島の按司が築いたんではなかったんですね。城壁の石の積み方が、本島にある今帰仁城とか中城城とか座喜味城などのような布積みや野づら積みなどの美しくて計算された積み方と違い、平たい石を積み上げただけなのが特徴的でした。あれはあれで、あの時代の石積み工法だったと思いますが、初めて見ました。よく強風に飛ばされませんね。小さな島なのにたくさん城跡があって面白い島ですね。南方貿易をしていたとのことですが、どこに船をつけたんでしょう?ミーフガーのあたりですかね。

具志川城跡の前の海岸に、大和泊と唐泊という、中国と日本に航海する港があったというけれど、それらしきものは見当たりません。でも、別の海岸で岩場を掘って船が入るドックのようなものを見たけれど、それと同じように、城跡の前の海岸にも港の後があるのでしょう。ミーフガーは少し離れてますね。
 昔、中国に行くには、那覇を船が出ると、慶良間を通り、久米島に寄り、ここから尖閣諸島を目印にして、福州に向かったそうです。中国への往復には久米島に寄港したのでしょうね。

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