国史跡に指定された内間御殿を訪ねる。その2
内間御殿のある場所は、西原町嘉手苅(かでかる)という。いまは住宅街で左写真のようなところだ。それにしても、値打ちのある石垣は、ブルーシートで覆われ、神殿らしくない。
内間御殿は、国家的な聖地といいながら、東江御殿は、王府の羽地朝秀が造ったそうだが、西江御殿は人民、農民が造ったというのは、ここを訪れて初めてわかった。金丸、のちの尚円王を農民が追慕したという。その理由はわからないわけではない。
琉球を最初に統一した尚巴志の王統・第一尚氏は、まだ国内では内乱が起き、支配は不安定だった。国家は「内乱と外征に疲れて」いたという(伊波普猷氏)。王府の軍事的な負担も重かったのだろう。 その上、7代目の尚徳王はまれに見る暴君で、国内は乱れ、悪人がはびこり、善人が虐げられる社会になっていたという。クーデターで政権についた農民上がりの尚円の子、尚真王の時代には、王府が国内の「刀狩り」をして武器は国家が管理するようにした。以後、琉球では日本の武士のように、腰に刀を差す姿はなく、士族(サムレー)も丸腰になった。だから琉球は「武の国」でははく「文の国」と呼ばれた。
話はそれたが、尚円王が追慕されたというのには、そんな背景もあるのではないだろうか。
右写真は、東江御殿のそばにある「ウビシル」と呼ばれる拝所である。西江御殿にも同様なものがある。なにを祀っている拝所なのか、よくわからない。
東江御殿の入り口には、とても立派なサガリバナ(さわふじ)の大木がある。こんなサガリバナの大木は見たことがない。よく見ると近くには、たくさんサガリバナの木がある。名所のようだ。咲いた時、見に来たいと思ったが、なにしろこの花は、夜中に咲き、朝日がさすと散ってしまう。だから、ここまで夜、見に来るのも大変だ。サガリバナがどんな花か、知りたい人は、このブログのプフィールのところに花をアップしているので見て下され。それにしても、こんな大木に、幻想的なサガリバナがライトアップされて咲けば、壮観だろうなあ。内間御殿のもう一つの顔である。
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コメント
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国王にはみんな「尚」がついているので、王朝の歴史を理解するのが難しいです。尚円王が農民に慕われたのは刀狩りしたからですか?国王の系統図みたいなので説明してくれないとこんがらがる~。
投稿: いくぼー | 2010年12月 7日 (火) 09時32分
確かに、琉球の国王はみんな尚を名乗るのでややこしいですね。尚巴志が琉球を統一したので、第一尚氏はいいけれど、金丸は無関係なので、別の王名を名乗ればいいのに、クーデターで国王に就いた時、中国に前の国王を追放したといえないので、前の国王の息子を装い、同じ尚の名を名乗ったので、ややこしくなったのです。金丸は前の尚徳王により年齢が上であり、息子ではありえないのにね。
刀狩りは、金丸=尚円王ではなく、その息子の尚真王です。
投稿: レキオアキアキ | 2010年12月 7日 (火) 12時51分