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2010年12月 8日 (水)

12月8日は沖縄の地獄の始まり

 12月8日と言えば、69年前の1941年のこの日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃し、無謀な太平洋戦争に突入した日である。
 沖縄では、1944年10月10日にアメリカによる那覇市を中心とする空襲が、沖縄戦の始まりだとされている。本島で初めて死傷者1500人にのぼる戦争の犠牲者が出た。そのためだろうか、12月8日の開戦の日は、あまり重視されていない気がする。本日付の新聞でも、開戦についての記事が出ていない。沖縄戦を当時のリアルタイムのスタイルで報道した優れた戦争企画の琉球新報「沖縄戦新聞」も、始まりは1944年7月の「サイパン陥落」からである。
 でも、現実には、沖縄の運命が大きく転回していったのは太平洋戦争への突入によってである。沖縄は昔から軍事基地があったように思っている人がいるが、それはまったく違う。明治の帝国日本は、日清戦争で台湾を奪い取ったので、沖縄は国境の島ではなくなった。1941年の開戦直前の夏までは、沖縄は、日本軍の常駐部隊も軍事施設も存在しない、全国唯一の県だった。「沖縄県には軍馬一頭」といわれる平和な島だった。
 戦争が激しくなると、沖縄の民謡も戦意高揚の民謡軍歌が盛んにつくられた。1943年からは、本島の読谷村や伊江島はじめ沖縄各地の十数か所に日本軍の飛行場が次々建設された。1944年3月には、沖縄守備軍・第32軍が創設され、大部隊が大挙してやってきた。南方の島々が、米軍の反攻によって次々陥落すると、いよいよ沖縄が焦点になってくる。平和な島は、戦時一色に染められ、戦争の最前線に立たされる。そして、本土防衛と天皇制の国体護持のために、沖縄は時間稼ぎの捨て石にされたのだ。
 米軍の上陸とともに、「鉄の暴風」とよばれるほどの、住民を巻き込んだ唯一の地上戦で、県民の4人に1人が犠牲になるという悲惨な結果をもたらしたことは、周知の事実である。
 さらに沖縄戦は終わっても、米軍が沖縄を「太平洋の要石」と位置づけ、軍事占領と支配を続けた。日本に復帰してからも、「血を流して取った島は手放せない」と言わんばかりに、米軍と巨大な米軍基地が居座り続けている。事件事故の続発で県民に数々の犠牲を与え続ける現実も、無謀は対米開戦がなければなかっただろう。
 そういう意味では、沖縄にとって69年前の12月8日は、決して忘れることはできない日である。いまでは、沖縄の自衛隊も増強を続け、尖閣諸島問題など口実に、先島への配備など意図している。「戦争は絶対に繰り返してはならない」と誰もが言う。これからも、ますます12月8日の意味を、問い続けていかなければならないと思う。

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コメント

確かに地元紙では「10・10空襲」の日は特集を組みますけど、12・8については音沙汰なしですね。戦後65年たって、沖縄戦の風化の危険の喚起はしても、沖縄戦を起こした太平洋戦争そのものについての報道は弱いと思います。旧日本軍が沖縄につくった軍事飛行場って、読谷と伊江島と小禄とあと嘉手納ですかね?普天間は米軍が占領してからつくったんだし・・・。すみません知識不足で。下地島の滑走路ははじめから民間機の訓練用につくったものなんですか?伊江島補助飛行場はいまでも米軍がヘリコプター降下訓練用に使っているから、返還しようとはしません。ワジワジ~。

 日本軍は台湾と沖縄を航空基地として重視して、十数か所の飛行場建設を進めたので、本島だけではなく、宮古島、石垣島、大東島にもつくったそうです。普天間は戦前はなくて戦後米軍が建設したものです。戦前に飛行場にされた村や島は、農地や民家も強制的な形で土地を収用され、住民は建設作業にも動員されたそうです。下地島は、最初から軍事には使わないことを条件につくられてでしょう。

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