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2011年1月20日 (木)

羽衣伝説の森の川を見る

 宜野湾市に、森の川(ムイヌカー)と呼ばれる由緒ある泉がある。033 森川公園になっている。石積みが見事な泉である(右)。この辺りは湧水がとても多いところだという。水源は、この公園の北側にある米軍普天間基地だという。035 水路から、こんこんと水が流れている(左)。

 その昔、この森の川に、奥間大親が来たところ、天女が水浴びをしていたので、木にかけていた衣を隠した。困った天女を家に連れて帰った。一男一女が生れ、その子・察度(サット)は後に、中山王に就いた。まだ琉球が統一される前の中山国である。だから、森の川は羽衣伝説の地として知られる。037 察度王は、当時の明国に朝貢し、中山国王として任命してもらう冊封(さっぽう)関係を結んだことで知られる。
 この水路の奥に、実は円形の石積みの囲われた空間がある(右)。この日は、シルバー人材センターのおじさんたちが、清掃をしていた。何か、誇りを持って丁寧に清掃していた。
 「ここは囲われているから、水浴びをする場所だっただろうね」と説明してくれた。写真では、残念ながら円形が見えない。「沖縄戦で壊されたのですか?」と聞くと「いや、少し壊れたところは、白い石で復旧してあるが、他はほとんどは壊れずに残ったので、昔からの石積みですよ」というではないか。沖縄のあちこちで、城跡をはじめ石積みの遺跡をみるが、ほとんど壊されて、戦後に復元させたものだ。でもここはよくぞ残ったものだ。なぜだろうか? それは、日本軍が陣地を造っていたのは、宜野湾でも、もっと南に当032 たる嘉数高台から那覇にかけての高地だった。だから、読谷近辺に上陸した米軍は、嘉数高台までは、日本軍の抵抗はほとんどなく、一気に進軍したので、壊されずに残ったようだ。おじさんも「そのようですよ」と肯定していた。
 左の絵は、昔の住民か水場を利用していた風景である。
 「この辺りはカー(泉)が多いので、戦前は那覇にも導管で送っていたよ。この北側にも、ここよりもっと大きいカーがあるよ」という。「エッ、もっと大きいんですか! その場所って、ひょうとして普天間基地の中じゃないですか」と言うと、「そうそう、基地の中だから、自治会でカギ借りないと入れないよ」「そうですか、じゃあ、カーで何か行事のある時は、カギで開けて入るわけですね」「そうそう」。おじさんは、こともなげに話す。
 028 この泉の隣には、これまた由緒ある「西森御嶽(ニシムイウタキ)」がある。神聖な拝所である。碑もあり、その前に石門が造られている(右)。琉球王国の時代、由緒ある拝所の前には026 門を造っていた。門の中は神聖な森である。他には何もない。

 左写真の奥に、碑が見える。027 「西森碑記」の標柱があり、そばには森の川の由来を示す天女が描かれた石碑もある(右)。いまでも、御願(ウガン)に来る人が絶えないようだ。拝む用具が見える。

 琉球王国の尚清王につながる向氏伊江家の人々が、18世紀に森の川の石積みと石門を建てたそうである。上の石碑は、その工事の完成を記念して建立し031 たという。
 公園内には、また別の碑があった。「森川之塔」である。ここには、日中戦争から太平洋戦争まで、この地区の戦没者の名前を刻040 んだ碑だった。
 普天間基地の中には、昔からの御嶽もある。お墓もある。カー(泉)もある。一日も早く、閉鎖、返還されれば、自由に出入りできるだろう。

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コメント

ムイノカーはまだ水がこんこんと湧き出ていて、きっと夏場は子どもたちの恰好の遊び場になるんでしょうね。シルバー人材センターのおじいちゃんたちは実にいとおしそうに清掃しておられました。きっとムイノカーの羽衣伝説を信じて、神聖な場所をお守りしている、という感じなのでしょうね。ウタキの門のことですが、そういえば首里のソノヒヤンウタキにも立派な石門がありますよね。前に門中の人たちが石門に向って御願していたので、「なんで門に拝んでいるのか?」と不思議でした。あのあたりが水が豊富なのは地形によるものなのでしょうね。だから大山の田芋の水田なんかもあるんですね。
それにしても確かにあそこは水浴びできるような石囲いでした。見事な石積みに感激しました。

宜野湾の森の川の近辺に、湧水が多いのは、地形の影響があるでしょう。東にあたる普天間基地が高地にあり、高地から急斜面で低地になっているので、高地の広大な基地に降った雨は、森の川の付近でわき水になって出ているのでしょう。森の川からさらに西に下がると、田芋を栽培する水田があります。「大山の田芋」は、名産ですよね。
 首里城でも、御嶽の前に門があるのは、いまだに不思議な感じですね。大和では、門と言えば中に屋敷があるからですが、ここは家や寺など建物は何もなく、森があるだけなのでね。でも、大きな岩があったり、うっそうとした森がある場所は、ニライカナイの神が降りる神聖な場所と見られていたのでしょう。西森御嶽も、門の内側には、何もないので、不思議でしたが、でもそこに神が降りるとして、御嶽になっていたのでしょう。裏側は崖になっているし、昔はうっそうとした森だったかもしれないですね。

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