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2011年2月22日 (火)

伝統ある辻の「二十日正月」、その1

 沖縄の正月はいくつもあると書いてきた。いよいよ正008 月の終わりである。2月22日、旧暦1月20日は、「二十日正月」(ハチカソーガッチ)と呼ばれ、正月の祝い納めになる。「終わり正月」ともいう。正月用の飾りは取り除き、料理もすべて食べ終わる。昔は、正月用に豚を年末にと殺して、カメに塩漬けにした。「スーチカー」と呼ぶ保存食だ。旧20日には食べ終えて、カメを洗うので「カーミアレー正月」も呼ばれた。沖縄でも中南部でよく行われたそうだ。
 とくに盛んなのが、花街として有名だった那覇の辻である。辻のジュリ(遊女)たちが、商売繁盛や豊年を祈願して、地域の拝所をめぐり御願(うがん)の神事を行う。そのあと、奉納演舞を披露する。かつては、那覇大綱曳き、那覇ハーリーとともに、那覇三大まつりといわれたそうだ。この伝統文化を初めて、辻に見に行ってみた。
 右は、辻の拝所廻りに出発するところ。白い衣装の女性が神人(カミンチュ)。

 この地域の御嶽(うたき)、拝所7か所を回る。
022

最初に行ったのは、亡くなったジュリを祀るお寺だった。見かけは普通の小さな民家だが、中には仏壇がある。
 花街である辻むらが公設されたのは350年も前だ。薩摩に支配された後、薩摩の役人や中国から琉球国王の任命のため来た冊封使(さっぽうし)らを接待するため、首里王府が設立を試みたという。ときの王女と王女の側近、三司官の娘を辻につかわしたことから始まったと伝えられる。
 遊女たちが集まり、花街ができていったそうだが、百姓たちが極貧のため、見売りされる子女が増えていった。数々の悲運の遊女の姿がある。同時に、歌舞音曲、料理や教養を身につけ、伝統文化を築いていったとも言われる。039
 お寺の次に、志良堂御嶽・辻根家に向かった(左)。拝所であり、「根屋(にーや)」というから辻のムラの草分けの家があったところだろう。
祈願にまわるには、重箱に詰めた料理、お餅・菓子、果物、「ビンシー」という酒や花米など祭祀用具の木箱、平香という沖縄の線香、あの世のお金「ウチカビ」など持って回り、お供えしてから、御願(うがん)をする。
 那覇市内でも、特有の伝統ある行事だから、報道や民俗行事に関心ある人、カメラマンなど、たくさんの人たちが詰めかけている。われわれもその一人だが。

067 次は、井戸(カー)を祀る場所だ。駐車場の一角にあり、狭い。
こういう行事でもなければ、そばを通っても気付かないだろう。「この井戸の上に、首里王府からきた王女ら3人が住んでいたんです。だから、この井戸の水は生活用水として大事な命の水だったんですよ」。祭の法被を着たおじさんが話してくれた。
 077 沖縄では、谷川は少ないので、湧水が生活用水になっている。だから、井戸(カー)は、生活に欠かせないだけでなく、命の水なのだ。どこでも御願の対象になっている。
 井戸の次は、「火の神」(ヒヌカン)である(左)。
台所の神様だ。この「二十日正月」そのものが「火の神」と関係があるとも、さきのおじさんは話していた。
 いよいよ、王女たちが住んでいたという小高い場所に登る(左)。087 花城御嶽と呼ばれるようだ。
 頂上部に拝所があるのかと思ったら違っていた。そのすぐ下に、拝所があった。099











 御願をしているのは、首里城に向かってである。国王のいる首里城に対する遙拝である。

拝所回りも最後になってきた。122
 祠が3つ並んでいる。中には、辻を開祖したという由来の王女ら3人の名前が記されている(左)。
「辻開祖 花の代」として「マカトカニ」「ウトゥダル」「ウミチル」の名前である。こちらは、遺骨とかはないで、開祖として祀っている。 
 左下は「辻開祖之墓 うないみやらびぬ墓」とされ、こちらは遺骨を祀っているそうだ。
 最後にっもう1か所「火の神」に御願をして終わった。
 辻の由来と歴史、民俗については、まだ素人でよくわからない。ただ、民謡で遊女と士族の恋歌を歌っているだけなので、これ以上、詳しい説明はできない。
 まだ、メインイベントともいうべきことが残っているが、長いので次にしましょうね。


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コメント

御願をする、白い着物をまとった女性は神人で、御願の内容をみていると、それぞれの拝所でおこなう所作というか、動作はみな同じなんですね。まず平香24本に火をつけて(実際に火をつけたのは最初のお寺と最後のお墓だけ)、うちかびとともにお供え。そのあと重箱にたくさんいれてきたごちそうをお供えするために箸でこんにゃくと天ぷらをつまんで一回重箱から取り出して頭のあたりまで持ち上げて一礼してまた重箱に戻し、今度はビンシーから米粒(花米)をつまんで拝所にばらまき、最後にビンシーの泡盛を撒いて終わりです。だから泡盛の香りがぷんぷん漂っていました。拝所を見て回るのは今までも数知れず行ってきましたが、実際に御願してるところを見たのは初めてだったので、なんだか心洗われるというか、崇高な気持ちになりました。
おごそかでしたね。
拝む手の所作一つとっても、本当に神人が発する願いごとの言葉が通じているような動きです。ただ、手を合わせる、というんじゃないんです。ああいう手の動きを、自然にできるには、普段からやってないとだめですね。ウチナーンチュのウートート-の所作はとても美しいと思います。
昨日の行事を見ていたら、二十日正月は辻村の人たちにとって、一年でももっとも晴れがましい、うれしい日なんじゃないか、心浮き立つ日だったんじゃないか、と思いました。
拝所を回る時ドラを鳴らすのは「神降り」という意味があるそうですよ。
神様と年に一度、宴をする日なんですね。
とてもいいものを見られたと思います。

 神人の祈願で、お線香に火を付けたのは、ジュリを供養するお寺の仏壇と、最後の辻開祖のお墓の前でした。さすが、いくぼーさんは、よく見ていますね。祈願の様子が崇高な感じがするのは、やはりたんなる儀式ではなく、そこには心を込めた祈りがあるからでしょうね。お寺やお墓では、亡くなったジュリへの供養の思いがあり、御嶽など拝所では、商売の繁盛や豊年の願いが込められているでしょうね。

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