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2011年2月11日 (金)

沖縄で最古の富盛の石彫大獅子

 沖縄では、家を守るシーサーだけではなく、村の石獅子が各地にある。八重瀬町の富盛(ともり)の石彫大獅子は名高い。地図にも掲載さ048_2 れているほどだ。
  石彫大獅子は、坂道を登っていくと、勢理城(じりぐすく)という小高い場所にあった.(右は案内板)。039_2
 城(ぐすく)の名がついている(左)。かつて城があったのだろか。

 

 大獅子が見えてきた(右)。石獅子のそばに、なぜここに大獅子を造ったのか、その由来を記した碑文があった(左)。044

 県内各地にある村落祭祀上の目的でつくられた獅子のなかでも「最大最古のもの」だという。だから、県指定有形民俗文化財に指定されている。040
   
    大獅子は、火除け(火返し)として、いまから300年以上前の1689年に設置された。「フィーサン」(火山)といわれる八重瀬嶽に向かって立っているという(右下)。
 昔、富盛村では火災が多く、村人は困ったことが、琉球王府の史書『球陽』に書かれている。
 旧暦の10月1日、防火儀礼の行事として、この大獅子を拝んでいるという。
047 よくわからないのは、八重瀬嶽が「フィーサン」(火山)と呼ばれていることだ。このあたり、たいした山ではない。標高160㍍くらいの高地で、崖になっているが、とても噴火をした火山があったとは聞かない。そんな地形ではない。
 伝え聞くところによると、火災に悩まされた村人が、風水を見てもらった。すると八重瀬嶽には、火の性があるとのことで、そちらに向けて獅子を置くように、ということになった。それから火災は起きなくなったそうだ。なぜ「フィーサン」と呼ばれたのか、ようやく分かった。
 ところで、この付近も、沖縄戦では激しい戦闘が続いたところだ。なんと、この石獅子には、銃撃の弾痕がある。042_2

  実は、見た時には気付かなかった。後から、調べていて分かったので、弾痕をアップした写真はない。獅子の側面に小さな丸い穴が見えるのが弾痕である。
 この勢理城の石獅子のある高い場所は、広場のようになっている。なにか、御嶽(うたき、拝所)のような雰囲気がある(右下)。でも実際には、見渡したところ、この広場には拝所はない。
 眺めはとても良いところである(左下)。
 富盛は、青年会のエイサーでも知られる。大きな地域でもないだろうに、たくましい若者たちが、勇壮なエイサーを披露する。今年の夏も、どこかで富盛のエイサーに出会うだろう。楽しみである。

046045

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コメント

富盛の石獅子は今まで見た石獅子のなかで一番大きく、立派でしたね。風水で火の厄がある方向に置いたということは、それを視た人はユタなんでしょうか。石獅子の方角が火の厄があるのであれば、あの一体の家の向きを調査すると、各家はそちらには向いて建てていないかもしれませんね。しかしあのこんもりした森はどうみてもウタキにしか見えませんけどねえ。それに旧暦10月1日に御願しているのなら、拝所があってもいいではないかと思いますが・・・。ベンチと机が三箇所。展望台のような場所が二箇所。不思議な場所です。弾痕があるにしても、よく戦禍をまぬがれましたね~。

大獅子の向いている方向を正確に測ると、実は八重瀬嶽の方とは少しずれているそうです。だから、別の説もあるようです。八重瀬嶽で木を伐るのが禁じられていたので、サトウキビや枯れ葉、枝などを燃料に使っていた火事が多かったという話もあります。集落の家は南向きだから、八重瀬嶽は西南になる感じだから違いますね。風水は中国からの伝来だし、ユタは個人の問題を見るので、ユタではないと思います。

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