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2011年2月25日 (金)

首里・龍潭通りの周辺を歩く、その1

 かつての王都・首里は世界遺産の002_2 首里城などだけでなく、近辺には琉球王国の時代からの歴史を刻む由緒ある史跡が多い。大通りを歩くだけでは、分からない。龍潭(リュウタン)池のある大通りから、一歩中に入り、周辺を歩いてみた。
 裏通りの小道は「後の道」(クシヌミチ)と呼ぶ(右)。車一台通るくらいの狭い道「スージグヮー」が網の目のように張り巡らされ、民家が密集している。沖縄の古い集落はみんなこんな感じ。とくに首里は城下町であり、密集度は大きい。
 当蔵村屋(トウヌクラムラヤー)跡があった。王国時代は「村屋」と呼ばれ、地域の共同体「ゆいマール」の集まりなどに利用されたという。昔のものはもう何もない。
 すぐ近くに「泰山石敢当」(タイザンイシガントゥー)がある。009_2 石敢当は魔除けだ。魔物は直進してくると考えられ、T字の三叉路によく建っている。この石敢当はとても古い。泰山とは、中国の秦の始皇帝の頃から崇められた山だ。琉球最後の国王・尚泰王の時代に、国王の名前が刻まれていることはまかりならんと消そうとしたとか。「尚泰」と同じ「泰」の文字のところがたしかに削られている。石の字ははっきりしているのに(左)。
 少し歩くと「伊江殿内(イエドゥンチ)庭園」があった。十数年計画で修復工事をしているところだ。この庭園は、天然の岩山に巧みに奇岩をはめ込んでいる。
 よく見ると、虎の形をした岩が、池に足を踏ん張っているようにみえる(右下)。修復が完成して池に水をたたえれば、よい景観になるだろう。

020

 龍潭通りにも史跡があった。天王寺(テンノウシ)跡だ。臨済宗の寺院だった。15世紀に、第1尚氏の国王をクーデターで倒し、第2尚氏の王統を開いた尚円王が創建した。琉球の黄金時代を築いた第3代目の尚真王の生誕地でもある。由緒ある寺だが、いまは石垣が残るだけ。寺の跡は首里教会になっている(左下)。 

023 寺の跡の道路を挟んで向かい側には、天王寺井戸(テンノウシガー)がある。寺の敷地内に水がなかったので、寺はこの井戸を使ったという。蓋がしてあり、028 面白みはない井戸だ。 

 首里汀良(テラ)町に来た。古い獅子舞があるので知られている。旧暦8月15日の夜、村の厄払いと百姓の親睦を目的に、アスイ森嶽(アシイームイタキ)の境内で、獅子舞を催す伝統がある(左下)。054 ここは首里汀良村の拝所になっている。

獅子舞は県内各地にあるが、他の地域はユーモラスだが、首里汀良町は、凄みがあり勇猛な獅子舞だという。テレビでは、見たことがあるが、実演を一度見てみたいものだ。046

 

 すぐ側のこむで森(クンディムイ)には、祠のような建物があった。「これは何が入っているんですか」といた人に尋ねると「獅子を入れていたんですよ。いまは入れていないですが」とのこと。厄払いなど住民にとって大切な獅子058 だったから、しっかり保管していたんですね。
左写真の岩山の右側にある建物に獅子を入れていた。

056
琉球を統一した尚巴志の代に地方からこの地に、獅子を舞う人たちを移住させた時に獅子舞は始まったと伝えられているそうだ。だから500年の伝統がある。
 この場所は今は公園になり、汀良自治ふれあい館があり、お年寄りなど集まっていた(左)。屋根にはとても大きいシーサーがいた。060 獅子舞の獅子のようだ(右)。

 この近くにも新井戸(ミーガー)があった。首里汀良町の村ガー(共同井戸)だ。でも飲み水用ではなく、防火用水のために、首里王府が費用を出して掘られたという。あちこちで随分、井戸(カー)を見てきたが、防火用水の井戸は初めてだ。それだけ、火事を恐れたのだろう。ただ、水はとても清らかで、豊富だったので、豆腐水として重宝されたという(左下048 )。

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コメント

「トウヌクラムラヤ」を探している時、近所にすんでるおばさんに場所を教えてもらいましたよね。おばさんは「そこを降りて右に行ったらムラヤがありますよ」と言っていました。今では使われていないムラヤが、首里の人には今でも「ムラヤ」と呼ばれてその歴史は受け継がれているのだなと思いました。
尚円王の生誕の地の跡ですが、石垣しかなくてつまらないですね。教会が買い上げたのかもしれませんが、由緒のある地なんだから、もう少し往時をしのばせる残し方ってなかったんでしょうか。あれじゃあ教会を見に行ってるのと同じじゃないですか。事務所の人に聞いたら「たくさんの方がよく見学に来られますよ」と言ってたから、なおさらです。
クンディムイを見ることができたのはラッキーでした。汀良の獅子舞は有名で、どんなところで踊っているのかと思っていました。意外と狭い場所で踊っているんですね。地元の人は獅子を入れなくなった今でも、御願しているといってましたね。汀良町自治会の建物もあそこにありましたし、クンディムイは地域の人が憩い、集う場所なんですね。精神的なよりどころといってもいいかもしれません。
伊江ドゥンチ庭園は完成すれば見事な庭園になるでしょう。2017年完成予定とありましたからもうちょっと時間がかかりますね。説明を読んだら、庭園の造りは中国の影響を受けているとありました。識名園のような感じでしょうか?
首里は細かく見て回らないと、わからない史跡がたくさんありますね。

 汀良町は、尚巴志が首里城を築く時、獅子を舞う人を移住させたそうだから、500年の伝統があるんですね。たしか、京太郎(チョンダラー)もこの地域の人が担ったと聞きます。そういう意味では、成り立ち、生業が同じ首里の中でも、他の地域とは少し違いがあり、それだけ村の人たちの結びつきが強かったかもしれないですね。
 史跡でも、拝所や井戸は残っているけれど、お寺や邸宅の跡とかは、もう何もない、駐車場になっているところもあるし、この寺や御茶屋御殿なんか、戦後アメリカの教会に土地が買われたりしてますね。
まあ首里は、保存会がよく表示をしてくれているので、説明文がありよくわかりますね。
 元の県立博物館は、有名な中城御殿の跡ですが、あそこもいま何も見えないですね。博物館は別に移設されたので、跡地を整備するのでしょうか。
 首里は、まだまだ見どころがあるでしょうね。

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