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2011年2月10日 (木)

沖縄自由民権運動の父、謝花昇の銅像を訪ねる

 沖縄で自由民権運動といえば、029 謝花昇(じゃばなのぼる)である。
 謝花のことを知ったのは、もう40年以上も前のことだ。林業関係の専門雑誌で、その業績を取り上げていた。当時は、復帰前であり、読んでもその意義がいまいちよく理解できていなかった。でも、記憶には残っていた。
 沖縄に移住してから、東風平に記念碑があることを知り、一度訪ねたいと思っていた。それが実現した。記念碑ではなく、立派な銅像があった(右)。東風平総合運動公園の中にある。
 謝花は、1865年に東風平(こちんだ)村の農家に生れた。現八重瀬町である。第1回県費留学生として上京し、帝国農科大学(現東大農学部)を卒業し、沖縄県の技師となった。
 当時の奈良原繁知事が進めていた杣山(藩有林、農民が共同で管理・利用していた)の開墾に住民が強く反対していた。開墾は、下級士族の救済を名目にしていたが、実際に許可されたのは、有力士族や本土からの寄留商人、上級役人らだった。謝花は、この開墾に反対し、知事と鋭く対立する。
 沖縄の実情を訴える場がないことを考え、ついに職を辞して、藩閥政治の打破と参政権獲得の運動に奔走する。政治団体の沖縄倶楽部を結成し、『沖縄時論』を発行して、奈良原知事を厳しく追及した。
 奈良原や知事と結びついた旧支配層は、反対運動を徹底して弾圧し、運動は行き詰まり、仲間も四散する。運動の再起をはかろうと本土に渡り、山口県に職を得て行こうとして、神戸駅で病に倒れた。帰郷して7年後の028 1908年、悲運の44歳の短い生涯を閉じた。
 左写真はその生涯を記した碑である。
 謝花らの運動は後に実り、参政権は謝花が没して4年後の1912年に実現した。といっても、本土から遅れること22年の後であった。
 謝花の先駆的な主張と行動は、県民からも高く評価され、なにより地元の誇りでもあり「義人」と称されている。
 戦前に昭和10年(1935)に銅像が建立されたが、第2次世界大戦に突き進むなか、国のため応召された。戦後になり、1964年に銅像再建期成会が結成され、現在の銅像が建立されたという。
 謝花の神戸駅での発病について「発狂」したとも言われる。大里康永氏は『沖縄の自由民権運動ーー先駆者謝花昇の思想と行動』で、「奈良原の暴政が彼を狂気せしめた」と表現している。
031  銅像を見ても、実に理知的な表情をしている(右)。東京で農科大学在学中は、中江兆民に師事し、木下尚江、幸徳秋水らとも交友があった(宮城栄昌著『沖縄の歴史』)というから、若くして進歩的な思想とも出会ったようだ。
 近代沖縄で、傑出した勇気ある知性と行動の人物の一人だと言えるだろう。038

  銅像が建っている足元の地面には、謝花の年譜が円盤に記されて埋め込まれている(左)。銅像の立つ場所への入り口には、立派なシーサーが左右に2頭配されて、銅像を守っている(下)。
 銅像を見るまでは、悲運の死を遂げた彼が、地元でどれほどの評価をされているのかが、よくわからなかった。でも、この銅像を見て、「沖縄自由民権運動の父」「義人」として、尊敬され、評価されていることがよく分かり、とてもうれしく思った。

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コメント

謝花昇については、23歳の頃ですからおよそ30年近く前、劇団「東演」が「あさまだき(朝未来)」というタイトルで上演し、見に行きました。劇では謝花は発狂して終わるってました。すごい激動の人生を送った人が沖縄にいるんだなあ、とびっくりしたものです。「東演」は「沖縄3部作」として、謝名元慶福さん脚本で「アンマーたちのカチャーシー」「風のユンタ」を上演しました。
それぞれぜんぜん知らない沖縄を描いていて、「沖縄に行ってみたいものだ」と思ったそもそものきっかけでしたね。私の「沖縄病」は、ダイビングより前に始まっていた、ということです。それが謝花昇とはなあ!
その銅像をなんと30年近くたって、初めて見たなんて、感動ものだよなあ!

 謝花を描いた演劇は、見てないですねー。30年も前に観劇して記憶に強く残っていたとは、スゴイ。沖縄の復帰運動が盛り上がり、沖縄問題が大和でも認識が広がるなかで、沖縄の自由民権運動の先駆者である謝花昇に、注目する人がいたんですね。

鹿児島県人です。歴史にはあまり詳しくはないですが、僕も奈良原よりも謝花昇の方に応援がいってしまいますね。郷土の人々のために尽くした、立派な生き方をした人だと思っています。きっと東京留学経験で逆に郷土愛に目覚めたのでしょうね。

hurojukuさん。コメントありがとうございました。
 おっしゃるとおり、謝花昇は東京への第1回留学生だったから、有能な人材だったけれど、沖縄に君臨した奈良原知事と対峙して、庶民の側にたってがんばったのは立派ですね。明治時代は、沖縄の官庁の重要な役職は、内地出身者が占めていて、沖縄県人は要職にはつけない差別があったようです。
 沖縄自由民権運動のリーダーとして、その功績は不滅でしょう。

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