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2011年2月 4日 (金)

海人の街・糸満の旧正月風景、その2

 糸満の海人(うみんちゅ)たちの守り神として、有名な白銀堂には、2117 月3日、旧正月の朝からたくさんの参拝者が訪れていた。漁師たちはじめ地元の人々は、航海の安全と豊漁、家内安全を祈願する。
 この場所は、巨大な岩があり、いかにも由緒ある御嶽(うたき、拝所)の雰囲気がある。お堂の中は、自然石の石筍が神として祀られている。115かつては、ノロ(神女)がいたそうだが、いまは誰もいない。家族連れでみんな、来ているが、ひざまずいて、御願(うがん)をする。なかには、正座して御願する姿も見られた。

 このお堂だけでなく、敷地121 の中には、5か所ほど、小さな拝所があり、それぞれに御願をして回る(左)。124_3

 みんな、ビンシーという、祭祀用具を入れた木箱をもってきている(右下)。お酒と杯、花米(はなぐみ)など入っている。線香を何本も集めた平香(ひらこう)という沖縄の線香に火を付け、その後泡盛をかけていた。だから、白銀堂の敷地内は、とても泡盛の香りが漂っていた。

 白銀堂には、とっても有名な由来がある。
 その昔、糸満村の118 マンクーとい漁師が、漁に出ていて大波にのまれて漁具をすべて失った。そのため薩摩の児玉左衛門という武士にお金を借りた。でもお金を返したいが期限がきても返せない。武士は怒って刀を振り上げた。マンクーは、お金は必ず返します。年寄りから聞いた言葉に「意地ぬ出らあ手引き 手ぬ出らあ意地ひき」ということがあります、と伝えた。これは「短気を起こしたら手を引きなさい、手が出ようとしたら心をしずめなさい」という意味のことわざである。
 それを聞いた薩摩の武士は、今回は勘弁しようと言って、薩摩に帰った。
 帰ってみると、家の玄関に男物の履物がある。部屋に入ると、妻が男と寝ていた。武士は思わず刀を振り上げた。その時、マンクーの言葉を思い出した。よく見ると、寝ていたのは男物の着物を着た母親だった。夫がいないので用心のために、そうしていたのだった。
 翌年、武士が糸満に来ると、マンクーはお金を返そうとしたが、マンクーのお陰で妻を死なせずにすんだので、武士はお金を受け取らなかった。
 マンクーは、お金を洞窟に埋め、その前にお堂を建て、海上の平安と村の繁栄を祈ることにした。人々はその洞窟を拝むようになり、白銀堂と呼ぶようになった。そんな伝説がある。
 このことわざを記した碑が建っていた127 (右上)。
 今回、初めて発見しものがある。白銀堂の敷地をもう一歩、奥に入ると、お墓のようなものがあることに気がついた。
「根人腹門中二代目 故糸満馬子之墓」と刻まれている。「根人」(ニーチュ)とはムラの草分けの家「根家」(ニーヤ)の当主。「腹」と「門中」(ムンチュウ)は、父系の血縁集団のことである。その二代目だという。
 糸満馬子(イチマン・マンクゥー)とは何者か。説明する物は何もなかった。馬子とは、恐らく先に紹介した漁師・マンクーのことだろう。白銀堂を建てたという由来からして、ここにマンクー(馬子)のお墓を建てたのだろう。とすれば、白銀堂にくれば、かならず見るべきお墓だった。
 このことわざは、沖縄のことわざのなかでも、とっても有名なものの一つだろう。いまでも、人々の暮らしの中に生きている格言である。 

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コメント

ビンシーを見せてもらった女性にヒラコウは何本お供えするのか聞いておきました。一枚が6本組だから6枚で合計36本だそうです。ノロは去年の正月までいたそうです。去年正月のあと亡くなり、そのあとを受け継ぐノロがいなかったそうです。ノロがいれば、本当は白銀堂もきれいに掃除され、御願できるように開けてあるのが普通だそうですよ。敷地内にあった御願所にまつわる神様も、それぞれなんなのか聞いてみましたけど、「正確には知らない」とみんな言っていましたねえ。
白銀堂の由来は、こちらに来てすぐ知ったほど、有名すぎる「黄金言葉」ですよね!もっともウチナーンチュは温厚だから、めったに「手をあげる」ことなんてないかも~。児童虐待は別にして。日常の人間関係においては。
初詣はお寺に行くのが一般的になっているけど、糸満の白銀堂みたいな、心のよりどころ、みたいな存在があればいいですね。古波蔵ウタキか~。

 お寺に初詣にいくというのも、大和的な習慣じゃないでしょうか。琉球は、首里にはお寺が多く、士族層は仏教の影響があったけれど、庶民にはあまり仏教は浸透しなかったから。旧正月をやっている漁村などの地域は、地元の御嶽(うたき)に祈願するのが伝統でしょう。浜比嘉島でも、シルミチューだったか、前に行ったことのある御願所に集落の人が集まり、祝いをしていますよね。
 糸満のことわざは、いくら温厚で人の和を大切にするウチナーンチュでも、やはりもめごとはあるので、この黄金言葉は生きていると思いますよ。
 でも白銀堂で、何か所も拝所があり祈願しているから、それぞれの役割を知っていて祈願していると思ったけれど、そうでもないようですね。そういえば、あちこちの拝所でも、祈願する所は、一か所ではなく、どこでも何か所もあるのが普通ですね。まあ大和のお寺や神社でも、同じですけれどね。

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