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2011年3月31日 (木)

那覇・小禄の拝所を巡る、その1

 那覇空港から近い小禄(オロク)地域は、琉球王府の時代からの古い拝所がたくさんある。車で通り過ぎると見えないが、歩いて回ると、昔からの風景が残る地域だ。森口公園から歩いて回った。010
 小禄は、琉球王府時代の1673年、いまから338年前、真和志間切(マワシマギリ)と豊見城(トミグスク)間切から11村を割いて新たに小禄間切をつくったそうだ。間切はいまの町村にあたる。1954年に那覇市に合併されるまでは、小禄村だった。
 中でも森口公園の周辺は、字小禄にあたる由緒ある所である。公園の一番高いところに上がると、広場に出たが、なんと、そこはやたら拝所がたくさんあった。
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 多いのは門中(ムンチュウ)の拝所だ。門中とは、男系の血縁集団だ。「東門(アガリジョウ)門中」、「沢岻(タクシ)門中」などの小さい拝所が点在している。草に少し埋もれているのもある。

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 「参拝される皆さんへ」という掲示がされていた。「線香などに火をつけないで拝みましょう」と呼びかけている005 。沖縄の線香である平香に火がついたままでは危ないからだろう。「など」というのは、沖縄では「あの世の通貨」とされる「ウチカビ」をお墓で燃やす習慣があるからそれを指しているのだろう。
 面白い名前の拝所があった。「思い門中」という。006 なぜ「思い」なのかよくわからない。

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 祠の横に奇妙な石があった。「殿」とだけ書かれている。見た時は何を意味するのか分からなかった。あとから小禄自治会で資料をもらってやっと分かった。「殿(トゥン)」とは、小禄の嶽(ウタキ)のおまつりをする場所を指す。ここから先は、神女のノロと3,4人の神人(カミンチュ)しか入れなかった。今でも、毎年5月ウマチー、6月ウマチーが行われる。ウマチーとは稲や麦の豊作を願う祀りである。この「殿」には、神様を迎えて祀りをするにしては、なぜか神殿に当たる建物がない。でもそれがここの「殿」の特徴だ。それは古い形態が残っているのだという。何も予備知識なしに尋ねた拝所のたくさんある広場は、祀りをおこなう神聖な場所だったのである。

008_2  「殿」から少し降りると、高い場所なのに、「クサイカー」という井戸がある。その下に降りると、またたくさんの拝所があった。
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 「ヒジュン」と呼ばれる。これは、作物を豊かにする神様で、村の拝所の一つになっている。4月には「クシユックイ」という祀りがあり、料理を詰めた重箱をお供えするという。013 

 小さな拝所は、草が絡まった古いものや真新しいものまで、いくつもある。
 この辺りは、高い場所にあるので、展望はとてもよい。007

 字小禄は、古い集落の形が残る地区なので、道はとても狭い。昔からの石畳の道も何か所も残っている。

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 石畳を降りて行くと、ノロ殿内(ドゥンチ)に出た。王府時代に、王府から任命された小禄間切小禄村のノロの屋敷跡だ。ノロは正式には「ノロクモイ」という神女のこと。ノロが管轄する1~3の村落のウマチー(祀り)など農耕儀礼をはじめとする村落祭祀の中心的な役割を果たした。021_3

 小禄のノロは、代々照屋家の女性から任命された。王府が任命するノロ制度は、1879年の沖縄県の設置により崩壊したが、小禄ノロ殿内のように、ノロが現在でも引き継がれて、村落の祭祀に携わっている地域もあるという。下が祭礼を行う神アシャギ。023  代々ノロが任命された照屋家は、屋号を「ノロ殿内」(ヌンドゥンチ)と言う。家の表札にもその通り記されていた。照屋家は、立派なお家だ。玄関左側の一角に神アシャギがある。

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 もうすぐ5月、6月ウマチーがある。きっとノロさんが祭礼を担うのだろう。
 すぐ前に小さな拝所があった。022 「ノロ火の神」を祀っている拝所があるというから、きっとこれだろう。なぜか可愛い猫が、拝所を守るかのように、寝そべっていた。

 拝所と関係ないが、このノロ殿内跡の上には、「字小禄ハワイ会館」がある。この地域の公民館だという。なぜ「ハワイ」なのだろうか。
 それは、明治の末頃、ハワイへの農業移民の許可がおりたとき、字小禄から約40名が移住した。沖縄戦で、祖国が壊滅状態になったと知り、復興を願ったハワイ在住の沖縄県人会のみなさんの救援金で、この建物が建てられたそうである(ネット「民宿コバルト荘」から)。
017  会館の中には、旗頭の先につける大きな飾りが置かれていた。青年会が頑張っているのだろう。019

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コメント

那覇市内でウマチーが実際に執り行われている地域があったなんてオドロキです。首里だってもうやっていないのに。あ、もともと首里は士族の街だからやらないか。この辺りの国場でもそういう旧暦の行事は残っていませんよ。ノロさんもいないし。屋号が「ノロ殿内」ってすごい!「くむじ放送や~」の私の屋号・「すうまぬめえじゃ、すまぬめえ」よりそっちにしておけばいかった。殿のある場所は、ウマチーをやる神聖な場所なのに、なんで門中の拝所があるんでしょうねえ。神の領域に一般庶民が入ってるって感じがして、なんかちぐはぐ。ビジュンは「クシユックイ」をやる場にしては草がぼうぼうでしたね。祀りの前にきれいにするのでしょうか。そういえば、メーミチでは今でも綱引きをするそうですね。ハワイ会館のなかにあった旗頭はそのときに使うんでしょうか。随分立派な旗頭ですねえ。ムラの拝所を見て回る時は事前学習が欠かせないですね。石垣で得た教訓をすっかり忘れていました。字小禄の御嶽に今度連れて行って下さい。ブログのアップ、ご苦労さんでした。

 小禄は、やっぱり小禄間切、小禄村だった歴史を感じさせるね。いまは、住宅がみっしり立ち並び、田畑はないけれど、ウマチーが残っているとはね。門中の拝所が、殿にあるのは、やはり門中の神を祀るのだから、いいんじゃないかな。まだよくわからないのは、「その2」で真玉御嶽のことを書くけれど、真玉御嶽は地域の網様を移したそうで、そこにある拝所の名前が、殿にある門中の拝所と同じであること。「思い門中」とかもあります。
 綱曳きの時は、旗頭が書かせないでしょう。糸満の大綱曳きでも、旗頭の競演・ガーエーがあり、その後綱曳きするからね。

小禄がこんな由緒ある土地であることを初めて知りました。小禄(といっても外れですが)には知り合いが居り、誇り高く結束の固いウルクンチュ気質をタシマンチュが冷やかすかのような言動をその昔良く聞きましたが・・。
なぜかこちらの私の周りにいるウチナンチュに「カミンチュ」のような方でウガミをする方(非営利)が3名もおります。一般的にユタという呼ばれ方は当の方々には好まれていないようですが。知り合いにはノロの方はいらっしゃいませんが、由緒正しき照屋家のノロの方々は別格なのでしょうね。それにしてもセイファーウタキなぞは一般公開されていて、なんとなく違和感があるのは私だけでしょうか?
小浜島では今でも非公開の秘祭があると聞きます。脈々と太古からの習慣や風習が残る沖縄とは不思議で貴重な存在です。

ご存じかも知れませんが、琉球大の論文で「ユタと首里十二支寺」(下記リンク)というものがあり、ユタと住職にインタビューしたものがまとめられています。レキオアキアキさんご推察の通りで「寺院内でヒラウコウ、ウチカビを焼かせない理由」のくだりもあります。ご興味があれば。
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/14087/2/No24p001.pdf

小禄は、いつも車で通り過ぎるだけでしたが、回ってみて改めて由緒ある場所がたくさんあることにおどろきました。やはり、小禄間切、村として長く営まれてきたから、那覇とはまた違ったものが残っているでしょうね。いま「字小禄誌」を編集しているところだそうです。これができれば、一つ一つの史跡や拝所の意味などもよく分かると思います。
 古い民俗、御願、井戸など見ると、昔の人々の暮らしや思いまでわかるし、それがどう受け継がれてきたのかまで感じ取られますね。

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