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2011年3月 1日 (火)

「ヒヤミカチ節」余聞その1、山内盛彬さん

 山内盛彬(せいひん)さんと言えば、琉球音楽の研究者で、「王府のおもろ(神歌)」の伝承者であり、かつ名曲「ヒヤミカチ節」の作曲で知られる。今年は、生誕120年にあたり、記念事業として山内さんの歌碑を建立するそうだ。3月14日には、そのための資金造成公演もあるという。
 「ヒヤミカチ節」については、前にもブログで書いた。山内さんの著作集を見ていたら、この曲の作曲のいきさつを書いていたので、紹介しておきたい。著作集第3巻、「ふるさとの音楽」の中に「ひやみかち節」と題する短文があった。017
  写真は、「ヒヤミカチ節」が演奏された離島フェアー。

 「七転び転でひやみかち起きて わしたこの沖縄世界(しけ)に知らさ ヒヤヒヤヒヤヒヤミカチウキリ 
 私はこの曲を作ったのを忘れていたが、帰郷早々バスの中できかされ、この曲が私よりも先に来て、私を迎えてくれたのには恐縮した。この歌はアメリカから錦を飾って帰郷された今帰仁在の詩人平良新助さんの力作です。氏がロスアンゼルス在中、ハワイの仏教界の恩人玉代勢(たまよせ)法雲先生がこの歌を持って東京の私の家にみえ『大戦でうちひしがれた人心を復興するには、この歌を作曲して奮い立たしたらどうか』とすすめられた。その歌を一回見るや、その熱意に動かされ、ヨシー、ヒットして同胞の目をさまそうと決意した。作曲というものはその意欲のクライマックスの感じをとらえることだ。そして旋法も民族心理にぴったりする嬰陰旋法をとった」(注・嬰陰旋法とは山内さんが名付けたもの)
 当時、山内さんは東京に住んでいたようだ。平良さんの琉歌に込められた熱意に突き動かされ、沖縄戦で郷土が地獄と化した上に、異民族の統治下にある沖縄の同胞を鼓舞しようと決意して作曲したことがわかる。平良さんと山内さんの思いが重なって生れた名曲だったのである。
 レコード吹き込みの意外ないきさつも記されている。
 舞踊家の榊原氏が「沖縄の学校で舞踊講習をするが、何かよい曲はないか」ときかれたので、この曲をあげたら、コロンビア社で、オーケストラに山内さんの三線を入れて吹き込んだという。
 「このレコード歌は童謡式であるにも関わらず、学校の門を越えて社会にもとびこみ、山奥の青年会や婦人会や子どもにまで、燃えひろがったのは、平良氏の情熱の結晶した結果で外人にも最も好かれた歌曲である」
 ただ、「ヒヤミカチ節」の歌詞は、手元にある工工四(楽譜)では6番まであるが、全部平良さんが歌詞を作ったのではない。「七転び転で」の琉歌だけのようだ。」山内さんも作っている。他の人が作った歌詞も加わっていると聞く。
 山内盛彬さんは、自分でいろんなところで、琉歌を詠んでいる。
 「ブラジルのサンパウロで、土地の有志方の企てで、自作自書の琉歌碑、サンパウロの日本荘に建てた」と言って、次の琉歌を紹介している。
 「平和しぬくゆる 武器よさめ楽や 原子爆弾も 吹きよ散らせ」
 「(解)音楽は世を和やかにする平和の武器で、原子爆弾を吹き散らすのは音楽である」
 この琉歌について「世界平和の希望に燃えている心の叫びである」と述べている。
 山内さんの平和への熱い願いが込められた琉歌である。
 ヒヤミカチ節については、まだ次に続く。

 

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コメント

平良新助さんは「七転び・・・」の琉歌だけだったんですね。山内盛彬生誕120年歌碑建立のとりくみがかまびすしいので、それほどの人なのか、と思っていましたが、戦後ウチナーンチュの生活をどれだけ嘆き、復興を願い、音楽を愛した人かということがわかるような気がしますね。「わんや虎だむぬ・・・」の琉歌は山内さん作だったんですか。この「ヒヤミカチ節」の歌詞は平良さんだけが作ったんじゃないんですね。「平和しぬくゆる・・」の琉歌はすごい表現ですね。生誕コンサートでは、誠ぐゎーがヒヤミカチ節を歌うみたいです。前売り2500円、高いですし夜だから見に行けないですかね。古謝美佐子やザ・フェーレーとか名だたる唄者が出るんですけどね~。
山内さんの生活、人生に興味ありますね~。

平良新助さんは、沖縄自由民権運動に身を投じ、とん挫したあとはハワイ、アメリカ本土に渡り、活躍した人。だから「わたしは虎だから羽をつけてくれれば波路パシフィックを飛び渡るよ」というヒヤミカチ節の歌詞は、平良さんの人生にもあっているから、平良さんの作詞と思ったけれど違うようですね。次にそのことを書きましょうね。
 山内さんもすごい人ですね。戦後収容所で作られてという「屋嘉節」も、作曲したのは山内さんです。ただ、ヒヤミカチ節の作者という場合は、山内さんだけでなく、平良さんあっての曲なので、山内、平良両氏にふれてほしいですね。

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