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2011年3月19日 (土)

石垣島の不思議なお墓

 東日本大震災の被災者の支援が広がっている。沖縄県でも、最大数万人の規模で被災者を受け入れる方針だ。住宅費などだけでなく、食料、医療をはじめ生活そのものの支援もしっかりやって、支えてほしい。 
 石垣島がまだ続く。島で、沖縄本島でも見ないお墓の形に出合った。それは、お墓に大きな屋根がついているこ149 とだ。まるで、お墓がお家のようになっている。
 沖縄のお墓は、とっても大きいことでは有名だ。でも、那覇市の最大の墓地、識名霊園を見ても、小さな屋根ならあるが、これほど大きな立派な柱と屋根がついているのは、見た覚えがない。
 なぜ墓に屋根があるのだろうか?
考えられるのは、沖縄では、4月には、先祖を供養する清明祭(ウシーミー)がある。親族や父系血縁集団の門中(ムンチュー)がお墓に集まる。お墓の前で、重箱料理を食べたり飲んだりする。まるでピクニックのような感じがする。151_2 4月と言えば、晴れると直射日光は暑い。雨の降る時もある。だから、識名霊園を見ても、清明祭の時には、墓の前にテントを張ったり、ブルーシートを屋根代わりに張っていることが多い。でも、石垣の墓のように、固定の屋根があれば、テントを張らなくてもよい。だから、お墓には屋根がいるんだ、ということではないだろうか。

 写真のお墓は、平安名崎の近くで見たものだ。他の場所でもたくさん見かけた。
 石垣など八重山特有のものなのか、と思ったが違っていた。先日、本島北部の山原(ヤンバル)に行ったら、山原にも屋根付きのお墓があった。石垣だけではなかった。
 ネットで検索すると、屋根つきは離島、山原だけではない。県内のお墓販売業者が売りだしている。「屋根長大型デラックス」と名づけている。雨の多い沖縄でいつでも安心してお墓参りできるし、暑い日差しでも日避けができるというのがセールスポイントだ。やっぱりそうだった。「むんちゅ~が多い方にオススメです」とも宣伝している。
 石垣では、墓所のことをハカまたはシーヌヤーと呼ぶ。シーヌヤーとは「後ろの家」という意味らしい。昔は、家の近くや敷地内に墓があった時期があるという。それでこういう呼び名がついたようだ(「石垣市史 民俗下」)。 421

 石垣のお墓は、古くは、自然の洞穴を利用した洞穴墓、住居近くの砂地や土を掘って埋めた埋葬墓、石を積み上げた石積墓、回りに石を積み上部は竹やススキなどで覆ったヌーヤー(野屋)墓、自然の崖を横に掘った壁龕(ヘキガン)墓などがあり、18世紀に亀の甲を伏せたような形の亀甲(キッコウ)墓が八重山にも伝わり、屋根のつくりが破風型をした破風(ハフウ)墓が本島から伝わった。破風墓は、もとは王家の専用の形式であり、庶民に普及したのは、明治12年(1879)の廃藩置県の後だという。さらに、火葬の普及で、塔式の墓が普及しているという(同書)。
 塔式の墓は、大和ではほとんどこの形だ。でも、石垣では塔が立っていても、まったく違う。バンナ公園に行った帰りに、西表郷友会共同墓地があった。郷友会(キョウユウカイ)とは、郷里を同じくする人たちが集まっている組織である。424 八重山では、離島から中心的な島である石垣島に来ている人が多いのだろう。
 沖縄本島では、山原など地方や離島から那覇など都市部に出てきている人は、みんな郷友会に属している。県外にもこの組織がある。郷土愛が強い沖縄では、郷里を離れてもこんな形で結束をしている。
 話はそれてしまったが、左の墓は下段に大きな納骨堂があり、その上に墓碑の塔がのっかっている。これは、石垣に来て初めて見た。
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  これは沖縄本島では見ない形のお墓である。しかも大きな屋根がしっかりとついている。この共同墓地のお墓はみんな立派である。474 これだけ屋根も広ければ、雨が降っても清明祭ができるだろう。左写真を見れば、屋根の大きさがよく分かる。
 お墓が立派なのは、それだけ先祖を大事にしているということだろう。なにしろ先祖は、いまを生きている子孫を守ってくれるのだから。

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西表の共同墓地の隣のお墓は、同じ納骨堂に塔がのっかっている形式でも、下段の部分が小さい。すこし大和のお墓に近い感じがする。
 ネットのお墓業者の説明によると、この型は、大和風のお墓で「和式角柱型」と呼ばれるそうだ。本土出身者からこういう型のお墓の希望があるとか、墓地のサイズが小さくなってきているので、好まれる人が増えているともいう。石垣島でも同じ事情なのだろうか。

 石垣の清明祭について、追記する。清明祭はもともと中国から伝わり、首里士族を中心に普及し、次第に地方の農村への伝搬していった。石垣市では旧士族系の家で、一門の人々が集まり行う。でも平得や大浜、宮良では行っていないという。
 石垣では旧暦の正月1月16日に、祖先供養の「ジュールクニチィ(16日祭)」で、墓参りをして、重箱に御馳走を詰めて、お供えして盛大に行われる(「石垣市史 民俗下」)。

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コメント

宮古・八重山には御清明をやる習慣はないので、ウシーミー用で多くの門中が雨除けで集まれるということが第一目的ではないと思います。でも確かに雨除けではあるでしょうね。しかし沖縄の雨は強い風に巻き込まれながら降るので、本土のように、シトシト簾のように降るわけでなく、もう横殴りの感じで吹き付けるから、上に屋根だけあっても完全な雨除けになるとは思いませんけどね。
お墓の形態の変化ですけど、本島でも最初は洞穴墓だったし、ヘキガン墓も使いましたね。とくに海岸線で波に浸食されてできた自然洞窟は恰好の埋葬所だったのです。
西表郷友会のお墓群はなぜあのような巨大な屋根と造りなんでしょうねえ。ほとんどのお墓がそうでしたよ。本島には郷友会はあっても、お墓まで一緒に建てるという習慣はありません。不思議なお墓ですね~。

石垣は清明祭はあまりやらないんですね。お墓参りは別の時に行くんでしょう。旧暦1月16日は、八重山はとても盛んですよね。沖縄の雨は強いけれど、屋根があると随分違うでしょう。大雨の時は墓参りを避けるでしょうから。
 西表の郷友会は、本島に比べて石垣は狭い地域だから、まとまりやすいでしょう。お墓は共通の要望があって、共同の墓地を確保したのでしょう。それにしても立派ですね。

子供の社会勉強に役立ちました
ありがとうございます

 ポコさん。コメントありがとうございました。
ナイチャーなので、ただ石垣島のお墓が珍しかっただけで、書いていますが、子どもさんの社会勉強に役立ったとは、ビックリです。なんらかのお役に立てたのでしたら、アップしたかいがありました。

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