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2011年3月23日 (水)

津波の被害を免れた竹富島の伝説

 東日本大震災で大津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。その時、八重山にいたが、津波警報が解除され、竹富島に渡れたことを前日書いた。ついでに、1771年の明和の大津波のことにふれておきたい。この津波で、石垣をはじめ八重山、宮古島などで死者約1万2千人におよぶ大被害を受けた。ところが、竹富島はほとんど津波による被害を受けなかったという。写真は、竹富島の美しいビーチ。

446_2  同じ八重山の島でも、黒島や新城島(アラグスクジマ)など津波が島の大部分を洗い、大被害を受けた。黒島は293人、新城島は205人が死亡・行方不明になった。竹富は人家のある島の中心部分は津波の洗礼を免れた。死亡した27人は、ちょうど人間の頭割りで税金をかける人頭税の納入の時期で、税を納めるため石垣島に渡っていて被害にあったという。
 なぜ、震源に近く、平たんな地形の竹富は被害にあわなかったのか? 一つの伝説がある。当時竹富島の人々は、「津波のとき島が浮き上がって助かったと誇り、且つ説明したという。大浜(石垣島)でも竹富島は津波のとき島が浮き上がったという伝承が残されている」。地震で多少の隆起が起きることはありうるが、島が浮き上がることは考えられない。それは石垣とはあまりに対照的に被害がなかったために、伝説が生れたのだろう。
 では、なぜ被害を受けなかったのか? この伝説を紹介した牧野清氏著『八重山の明和大津波』で、次のように指摘している。003_2 
 牧野氏は調査の結果、「それは石垣島から東方海上までのびている優勢な珊瑚礁、ウマヌファピー、アーサピー、ユクサンピーなどが、天然の防波堤としてのひじょうに力強い役割を果たしてくれたためであると判断している」と明らかにしている。本書に添付されている珊瑚礁分布図(右)を見れば、よく分かる。竹富島の東南、南方に、巨大な珊瑚礁が伸びている。これが天然の防波堤の役割を果たしたのだろう。竹富島より北西、後方にある小浜島、鳩間島でも、ごく少ない犠牲しか出ていない。やはり、珊瑚礁が津波の勢いを弱めたのだろう。
 津波は、珊瑚礁や海岸の地形によって、島や地域で影響と被害に大きな差異が出ている。それは今回の津波でも同様である。

 津波にまつわる伝説は、他にもたくさんある。そのついでにもう一つ、人魚伝説を紹介しておきたい。これも牧野氏の著書からである。
 石垣島の東海岸の野原崎で、上半身人間の形をした珍しい魚が網にかかった。「野原村(ぬばれーむら)の漁師たちは、これが数日前から夜な夜な海上で、美しいこえで歌をうたっている人魚というものであろうと考えたが、せっかくとったから殺して食べようと相談していた。そのときこの不思議な魚がものをいい出した。『私は人魚です。私を助けて下さったら、恐ろしい海のひみつをお教えします』という。漁師たちはびっくりして、相談の結果海にはなすことにした。すると人魚は『あすの朝おそろしい、なん(津波のこと)が来るので、山ににげて下さい』といいのこして波の間に消えて行った。はたして翌朝人魚の予言どおり、おそろしい大波が島をおそったが、漁師たちは山に逃げて無事であったという」。
 当時、この人魚の話を白保村の役人に急報したが、一笑にふされて、白保村は津波に一番ひどくやられたという。人魚伝説はほかにもあるという。

 ここまで書いたところで、今回の津波で日本三景の一つに数えられる宮城県の松島が津波から住民を守ったという話を知った。松島町は、島々をつなく橋が壊れるなどの大きな被害は受けたが、松島湾に面した松島町の死者は、現在まだ一人(行方不明者はいる)にとどまっている。すぐ隣の東松島市は犠牲者が650人を超え、他の沿岸市町村でも甚大な被害が出ているのと比べて、大きな差がある。

 地図を見るとよく分かる。松島湾は町のすぐ沖に松島がある。さらに、松島湾の入り口にあたる所に、宮戸島をはじめ奥松島の島々が連なっている。まるで巨大な天然の防波堤が二重に張り巡らされているようだ。これら松島や奥松島が巨大な津波の破壊力を削いだのではないか。ただ、奥松島では、大きな津波被害が出たのは、痛ましいことだ。
 松島町の住民は「島が津波から守ってくれた」と感謝しているという。地元の漁師は「昔の大津波では島が一つなくなった」とも言っているそうだ。島を一つなくするとは、すざましい津波の力だ。
 今回、松島湾に点在する島々が津波の勢いを弱めたことは確かだろう。津波被害を免れた竹富島ととてもよく似ていると感じた。

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コメント

「竹富島が浮き上がった」という伝説、池上永一さんの『風車祭』の結末にも用いられています。話は、あの世のマユンガナシイの怒りで、石垣は大津波によって何もかも失われるであろうと予言された、主人公のピシャーマが、マブイの姿で240年間さまよってきた身を、島のツカサの力であの世に帰してもらえるというのに、その瞬間、大津波が島をおそってきたので、「私は島の防波堤になる」と決め、巨大な珊瑚礁となって隆起し、津波を食い止めた、というものです。その巨大な珊瑚礁が今の竹富島だとなっています。池上さんは石垣の出身だから、島に伝わる伝説を用いたのかもしれませんね。
 今沖縄も東日本大震災を受けて、津波地震の対策を検討していますが、竹富島の人たちは「自分たちは大丈夫だ~」と思っているんでしょうかね。明和のとき安全だったからといって、今も大丈夫だとは限りませんよね。
 

 池上さんの「風車祭」にこの伝説が使われていたんですね。この小説の最後が、明和の大津波だったことは覚えていますが、この伝説のことは記憶がなかったなあ。竹富島の南東にある珊瑚礁は、南東の方から来る津波には防波堤の役割を果たしたけれど、地震が別の方向で起きて、津波が別の方角から来れば、効果はないでしょう。沖縄のような海に囲まれた島々は、津波は本島に恐ろしいですね。

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