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2011年3月 9日 (水)

首里金城町の石畳道周辺を歩く、その2

 首里金城町の石畳道の周辺は、ガー(井戸)、フィージャー(樋川)と呼ばれる湧水が、とっても多い。038 村屋(ムラヤー)から東に歩いて行くと、「上ヌ東門(ウィヌアガリジョウ)ガー」に出た。沖縄では、東はアガリ、西はイリという。これは太陽が東から上がり、西に入るから分かりやすい。門はジョーと読む。なぜ門がジョーなのかいまだによく分からない。

 このガーは、18世紀頃造られた共同井戸である。樋川と名のつくところは、石造りの樋で地下水を導いているが、ガーと名のつくところは、樋はない。文字通り井戸である。ただ、ここの井戸にはしっかりフタがしてあった。もう使われないのだろう。
 このガーでは毎年、旧暦9月に行われる「ウマーチヌウグヮン」と呼ばれる、防火防災の祈願で拝所の一つになっているそうだ。039

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ここ045_2 から下に下がったところに「下ヌ東門(シチャヌアガリジョウ)ガー」がある。でも、入る道がどれかわからなかった。ちょうど、そこへ人間一人がやっと通れる細道から、おばあが降りてきたので、連れ合いが行き方を尋ねた。
、「この道を上がっていけば東門ガーがあるよ」と教えてくれた。
 こちらは、フタはない。やはり共同井戸の一つで、18世紀頃に造られた。前面に水汲み場の石敷広場が設けられている。上下2段に分けられ、下段の広場は水を溜めて、洗濯やイモ洗いなどできるようになっている。この井戸に上から降りてくる道は、石畳である。

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 首里金城町の共同の井戸は、みんな18世紀頃に造られている。 なぜだろうか? 推測してみると、かつて、日照りで水がなくて 困ったことがあり、水源を探して井戸、樋川を造ったのではないだろうか。
 どの井戸、樋川も、見事な円形の石垣が築かれ、半月形の貯水池がある。そして広場は2段に分けられ、飲料に使った後、下の段では洗濯など出来る。さらに、排水溝があり、使用後の水は農業用水にも使うなど、とっても合理的な使い方をしている。水は人間の生存と生活に不可欠であり、かつ湧水だから、それほど多くはない。だから、とても貴重な資源であり、みんな大切に使った事がよくわかる。
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石畳を少し離れ、マルソウ通りに上がり、首里寒川町に入り、道路から少し降りると「寒水川樋川(スンガーヒージャー)」があった。おじいたちが、草刈り、清掃をしてくれている。
 「ごくろうさまです」と声をかけると、「樋川はこの下にあるよ」と教えてくれた048

 

 こちらも18世紀頃に造られた村ガー(共同井戸)の一つ。上水道が普及するまで住民の大切な生活用水だった。樋口の奥にある水脈から琉球石灰岩で造られたかけ樋で水溜りに導かれている(左上)。あふれた水は、下手の水溜りに集められ、洗濯などしたあと、農業用水として活用された(左下)。046

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041 歩いていると、やはりいろんな花に出合う。写真の花はあまり見かけないので、名前は分からない。
 首里の湧水は、まだ他にもあるが、首里金城町にこれだけ集中してあるのはなぜだろうか。
 人々が井戸を使うのには、道が欠かせない。飲み水を桶に汲み、この石畳の道を運んだことだろう。洗濯や芋など担いで洗いに通ったことだろう。昔の暮らしに思いをはせた。

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コメント

スンガーフィージャーをおじさんやおばさん総出で草刈をしていたけど、やっぱりあそこなんかは地域の昔から受け継がれてきた大事な拝所なんでしょうね。「あそこに洗濯場があるよ」と教えてくれたおばあの顔には誇らしさと「どうぞ、見ていって」といううれしさがみえました。
18世紀に集中して造られた理由なんですけど、なんか天災ありましたっけ。記録に残っているような。意識的にいっせいに造ったとしたら、一大事業でしたね。なんか歴史書に残ってないんですか。まあ、首里金城のお年寄りに聞きとりをすればいいのでしょうけど。聞き書きしてカー、フィージャーめぐりして歴史を書いたら「ボーダーインク」から本出せますよ。

1700年代から1800年代初めにかけて、干ばつ、大飢饉、大津波、疫病の流行などありました。八重山はとくにひどかったけれど、沖縄本島でもあったでしょう。この頃、日本でも3大飢饉と言われる災厄がありました。たぶん、そんな事情で井戸がつくられてのではないでしょうか。
樋川を清掃していたおじい、おばあたちは、上水道が出来る前、ここを水源として大切にしてきたのを体験しているんでしょう。でも、宜野湾の森の川でも、清掃していたところに行ったし、井戸はよく清掃しているところによく出合いますね。それだけ、地域の人たちがよく清掃しているということでしょう。

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