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2011年3月 2日 (水)

「ヒヤミカチ節」余聞その2、平良新助と山内盛彬

 「ヒヤミカチ節」について、作曲した山内盛彬(せいひん)さんがいきさつを書いているのを紹介した。これに関わり、作詞をした平良新助さんの伝記を読んでいる。大里康永氏が書いた『平良新助伝』である。大里さんは、沖縄自由民権運動の先駆者、謝花昇についての名著がある。謝花のもとでこの運動に加わった平良さんの伝記も残したいと、民権運動の唯一の生存者だった91歳の平良さんにインタビューして、1968年に書き上げた著作である。
 平良さんの生涯について、別にふれたい。アメリカに移民として渡った平良さんが、戦後帰郷したさい、「ヒヤミカチ節」の民謡になった琉歌を詠んだいきさつを記している部分を紹介したい。039_2
  「平良は帰郷の際ロスアンゼルスのホテルを長男の一三にまかせ、52年間のアメリカの生活に別れを告げて郷里に帰って来たのである。帰郷後一時首里に住む二男の東虎の家に身を寄せていたが、終戦直後のことで人心はすさび世相は暗かった。彼は荒廃した郷土に立って次の琉歌を詠んでいる。
 七くるびくるびひやみかち起きて わしたこの沖縄(うちな)世界(しけ)にしらさ
 この歌は後に『ひやみかち節』として山内盛彬が作曲した。現在沖縄でこの歌を知らないものはない位に多くの人に愛唱されているが、この歌詞には、平良の魂が盛りこまれて、彼の一面がうかがい知ることが出来る。そして現実に平良の生活は、七転びくるびひやみかち起(う)きての連続であった」。
 右写真が平良新助さん。大里康永氏著作の伝記から紹介させてもらった。

 この伝記の最後に、「ひやみかち節(大衆曲)」の工工四(楽譜)が掲載されえいる。作歌平良新助、作曲山内盛彬と書かれているが、面白いのは、最後に歌詞として3つの琉歌が載せられ、解説がついていることだ。これをみると、本歌と替歌に分かれている。
 本歌「七転び転でひやみかち起きて わしたこの沖縄世界に知らさ」(平良作)
 替歌「花や咲き美(ヂュラ)さ音楽(ガク)や鳴り美さ 聴かさなや世界(シケ)に音楽の手並(テナミ)」(山内作)
   「我身(ワン)や虎だいむぬ(デムヌ)羽(ハニ)つけて給ぶれ 波路パシフィック渡て身やべら(シャビラ)」(山内作)
 解説の中では、平良さんの琉歌を引用して「ロスアンゼルスの熱血児平良新助氏の民族興振の作歌に作曲した」と記されている。山内さんが記したような解説文である。
 というわけで、平良さんが作詞したのは本歌で、替歌として山内さんが、2つの琉歌を詠んでいる。Photo
 山内さんは、琉球古典音楽を研究し、琉球王府おもろを継承するなど琉球音楽に精通する一方で、とても広く海外に目を向けていた。戦後、北南米、アフリカ、インドネシア、中国を民族音楽を調査して回った。ブラジルで開かれた国際民族音楽会議に出席している。ヘブライ文化と琉球芸能の関係を考察するなど、国際的な視野をもつ人だ。
 「私は虎だ、羽をつけてくれれば波路パシフィックを飛び渡っていくよ」というような、勇躍する琉歌を、山内さんが詠んだことももっともだ。これを読むまでは、平良さんがアメリカに移民として渡った経験から、詠んだ琉歌なのかと誤解していた。でも、山内さんの作歌であることが、とてもよく納得できた。

 右写真は、『山内盛彬著作集第1巻』から紹介させてもらった。

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コメント

平良新助さん自身が「七転び八起き」という人生だったんですね。なぜ沖縄に帰って来たのですしょうか。「ヒヤミカチ節」の曲の雰囲気がほかの民謡と違って垢ぬけた感じがするのは、山内盛彬さんが作曲したからならではなんでしょうか。ヘブライ文化と沖縄民謡が結びつくんですか。すごい国際的視野ですね。

平良新助さん自身が「七転び八起き」という人生だったんですね。なぜ沖縄に帰って来たのですしょうか。「ヒヤミカチ節」の曲の雰囲気がほかの民謡と違って垢ぬけた感じがするのは、山内盛彬さんが作曲したからならではなんでしょうか。ヘブライ文化と沖縄民謡が結びつくんですか。すごい国際的視野ですね。

ヒヤミカチ節の曲調は、他の民謡とはまるで違いますね。沖縄の歌三線は、三線の棹の先端部分で主に弾くけれど、大和の三味線は手元の方もよく使う。山内さんは、三線も手元の方まで使うことを考えて、この唄を作曲したようです。たしかに、そうなっていて、慣れるまではとても難しい曲です。でも味わいがあります。琉球音楽のルーツをヘブライに求める見解には、音楽研究者からは疑問があるようです。まあ、山内さんが、世界を駆けて研究していた姿は立派ですね。

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