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2011年3月15日 (火)

オヤケアカハチの乱と女の戦い

 東日本大震災で、福島原発は、とても心配な事態が続く。なんとか沈静化することを願うばかりだ。187_2
 石垣島で首里王府に反乱をおこして1500年に鎮圧されたオヤケアカハチの続編である。
 前日のブログに「いくぼー」さんからコメントがあったが、アカハチの乱では、女の戦いがあったことで知られる。新城俊昭氏著『琉球・沖縄史』で簡潔に書かれているので、紹介したい。
 王府軍は、46隻の軍船と約3000人の軍勢を石垣島に派遣した。「迎え撃つアカハチ軍は、石垣村の海岸を多数の民兵で固め、戦闘態勢を整えていた。王府軍が船を進めていくと、数十人の巫女(ミコ)が木の枝を打ち振って奇声をあげ、官軍を呪い倒そうとしているのが見えた。アカハチも自ら剣を手にし、ひるむことなく官軍に挑みかかろうとしている。そのため王府軍はなかなか上陸できなかった。
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それに対し、王府軍の巫女である久米島の君南風(チンペー)は、竹の筏(イカダ)を幾隻も作り、日暮れを待ってその上に竹木を連ねて火を放って流し、アカハチ軍の目をくらまそうという奇策を練った。はたして、アカハチ軍はこれに惑わされ、火の流れる方向へと兵を動かしていった。そのすきに王府軍は二手にわかれ、登野城と新川から上陸してアカハチ軍を挟み打ちにして破った」
 石垣島でアカハチと覇を争っていた石垣地域の首長・長田大翁主(ナータウフシュ)は王府軍に味方したので、乱の後、古見首里大屋子(コミシュリオオヤコ)という役職に任ぜられた。長田大翁主には2人の妹がいた。妹の古乙姥(クイツバ)を政略結婚でオヤケアカハチのもとに嫁がせ、隙をみて暗殺するように指示したが、クイツバはアカハチを愛した。その結果、アカハチとともに王府軍に殺された。
 姉の真乙婆(マイツバ)は、兄に従い王府軍のために働き、乱鎮定の後、王府軍が首里まで無事に帰れるように祈願した。それで、永良比金(イランビンガニ)という神職を授けられた。その後、人々の尊敬を集め、死後は立派な墓が造られ、この墓地は真乙姥御嶽(マイツバーオン)として多くの人々から崇敬されるようになったという。
 マイツバは最初、大阿母という神職を授けられたが、恩のある人にこれを譲り、改めて永良比金の職を与えられたという。
 

 久米島の君南風は、その子孫に代々神職の君南風をつかさどる栄誉を与えられたという。

 014 500年前といえば、まだ沖縄は古琉球の時代と呼ばれ、古代的な要素が強かった。王府には行政組織とともに神女組織があり、国王とともに最高の神職・聞得大君(キコエノオオキミ)が並び立っていた。戦争をするにも、神女の加護を頼りにしていた。だから、派遣する軍勢のなかに、君南風をわざわざ引き連れていった。対抗するアカハチ軍も神女の呪いの力を使い、女の戦いが繰り広げられた。
 姉妹でも敵味方に分かれて生死を分けたのは、日本の戦国時代を見ているようだ。
 昨年11月に、久米島に行った際、石垣島に派遣されたという君南風殿内(チンペードゥンチ)を見た。とても立派で、鳥居があり神社のような感じだ。
 

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コメント

確か君南風殿内をみたとき、君南風がなにをした人なのか、説明が出ていましたね。神女組織が機能していた王府時代、やっぱり「うない信仰」が戦いにも生きていたんでしょうか。長田大主の闘い方など、まさしく妹を守り神としているんではないですか。それにしても、石垣であれだけウロウロとオンめぐりをしたのに、マイツバオンだけ見るのを忘れたのは悔やまれます。

男兄弟を女の姉妹が守るという「うない神」と同じ考え方でしょうね。戦さをする男を守るということにとどまらず、戦さそのものに参加して、神女としての役割を果たしたんですね。マイツバ御嶽を見れなかったのは残念ですが、まあ短い旅では見るところは限られてきます。仕方ないですよ。

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