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2011年3月21日 (月)

「安里屋ユンタ」の故郷・竹富島を訪ねる

 石垣島の目の前に竹富島が浮かぶ。高速艇で10分の近さだ。赤瓦の家が並び、沖縄らしい風景を伝える島だ。石垣島に行った日に、東日本大震災が起き、津波警報が出た。その翌日も警報は続き、島に渡る船は止まった。でも午後2時ごろになり、津波注意報に変わったので、船が出ることになった。島に滞在する時間は、1時間しかない。だが、石垣に来て、竹富に行かないのでは、心残りになるので船に乗った。

456 竹富島と言えば、有名な民謡「安里屋ユンタ」の生れた地である。といっても「♪サー 君は野中のいばらの花かー サーユイユイ」と歌う曲ではない。こちらは、昭和9年に八重山生れの作曲家・宮良長包さんが元歌をアレンジして作曲した「新安里屋ユンタ」である。
 元歌は、実在の人物をもとに歌われた曲である。人物とは安里屋に生れた美女クヤマさんである。
 写真は、島の中央部にある島一番の高台、なごみの塔から見た竹富島の風景である。このなごみの塔のすぐ南側に、クヤマさんの生誕の地があった。

454_2 竹富島で歌われる「安里屋ユンタ」の歌詞を紹介する。歌詞は方言で長い物語になっているので、出だしは次のようになっている。
 「♪安里屋のクヤマによ あん美(チュ)らさ生りなしよ 目差主(メザシシュ)ぬくゆだらよ あたろやぬ望(ヌズ)むたよ 目差主や ぱなんぱよ あたろやや くりやおいす⋯⋯」と続く。
 「安里屋のクヤマ女は 素敵な美人に生れていた 目差主(役人)に見染められ 当る親(与人役人)に望まれた 目差主は私はいやだ 与人役へご奉公します⋯⋯」。
 琉球王府の時代、島を統治する役人に与人(ユンチュ=村長、あたる親と尊称していた)と目差(助役)などがいた。役人は島に3年勤務で交代する。妻子の同伴は禁止されていたので、賄女(マカナイ)を奉公させる慣例があった。460

 

 歌は続く。クヤマに嫌われた目差主は、面当てに隣の中筋村に走り行き、村を探しまわっていたら、素敵な美人に出会った。イシケマという。親のもとに飛んで行き、娘さんを私に下さいと頼み、親は欲しいなら連れて行って下さいと言う。宿舎に連れ帰り、腕を組んで寝むった。男の子は島の統治者 女の子は良妻賢母に生まれますように。
 こんなお話である。クヤマ生誕の地の入り口には、歌詞の一部が書かれていた。 
 「安里屋ぬクヤマによう 目差主ぬくゆだらよう」
 ただし、竹富島ではこの歌詞だが、石垣島など他の地域では、歌詞がまるで違った展開になっている。
 「♪目差主ぬくゆだら あたろやぬ望もたら 目差主やぱなんぱ あたろやや くりゆむ」
 「目差役人に見染められ 当る親に望まれた 目差役人は私はいやです 当る親(与人)も私は否やです」と村長も助役もイヤですと拒否する。そして、「後のことを思って⋯⋯島461_2 の夫を持たなければ」と、島の男を夫にすることが後のためになる、ときっぱりと歌う。クヤマさんの気高い姿が描かれている。
 実際はどうなのか。安里屋のクヤマさんは、1722年に安里屋に生れ、1799年に78歳で亡くなった。1738年に新任役人が赴任したさい、16歳の若さで村長である与人の賄女として奉公し、与人の寵愛(チョウアイ)を受けた。いよいよ転任のとき、与人は竹富きっての一等地をクヤマに与えたという。
 以上の歌の歌詞や歌の解説などは、喜舎場永珣(キシャバエイジュン)氏著『八重山民俗誌下巻』を参考にさせてもらった。
 クヤマの例に見るように、役人の賄女になれば、恩典があった。だから「若い女性にとっては憧れでもあり羨望の的であり、また名誉でもありました」と喜舎場さんは言う。
 その点には私は異論がある。別の島では、賄女にされることを嫌がった、恐れたという例もたくさんあるからだ。詳しくは、別稿の「愛と哀しみの島唄」を2010年7月のブログにアップしてあるので、関心のある方は読んでみて下さい。
 ではなぜ、石垣島などでは、逆の抵抗の歌詞になったのだろうか。喜舎場さんは「これは治者階級の士族に対する平民のレジスタンスであります。不可能とは知っていたが、せめてこの歌を謡って自ら慰安を求めていたような感じがします」と指摘している。これは、的を射た見解だと思う。
 462 島の美人といえば、若者たちの憧れでもある。それを役人が権威にまかせて賄女として横取りすることに、民衆は面白くない。不満も感じていただろう。だから、クヤマさんが、役人の要求を拒否して島の男を選ぶという、気高い女性像として描いたのではないだろうか。
 喜舎場さんは、竹富島の歌詞で歌うべきだと言う。ただ、自分で歌ってみると、役人の要求を拒否して島の男を選ぶという、石垣島などの歌詞の方が好きだ。気持ちが入る。

 
左は、安里屋の今の家。ブーゲンビリアが美しかった。463
                           

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コメント

安里屋さんの墓も見ておきたかったですね。安里屋ユンタといえば、内地の人は「サー、君は野中のいばらの花かサーユイユイ」を覚えていると思います。その歌詞自体が全然でたらめなんで石垣板でも竹富版でもいいから覚えてほしいと思います。「安里屋節」というのは、また歌詞も曲も違うんですか。家でよく弾いているのはこれじゃないですか。
石垣の島唄居酒屋「安里屋」で安里さんの唄声、聞きたかったですね。沖縄の名字で「安里」さんは多いけど「安里屋」さんて聞いたことないですね~。それにしても、滞在時間1時間とは、ものすごく残念です。ゆっくり見たかったのに~。またお金貯めていきましょうね~。

 自分で弾いている安里屋ユンタ関係の曲は、元歌「安里屋ユンタ」(石垣島版)と「新安里屋ユンタ」、それに「安里屋節」の早弾きとゆっくり弾きの4曲あります。いずれも歌詞は石垣島版のもので、クヤマさんが役人の要求を拒否する歌詞のもの。「目差主はイヤです、与人なら奉公します」という歌詞の工工四は、沖縄本島では出回っていません。クヤマさんのお墓が見れなかったのは時間がないから仕方ない。生誕の地を見られた方がよかったですよ。また行く機会があるでしょう。
 居酒屋の店主、安里勇さんの歌は、CDで聞くとスゴイ。でも、店では観光客に受けるような曲が多いでしょうね。聞きたい歌はなかなか聞けないでしょう。

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