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2011年4月 5日 (火)

旧3月3日は「浜下り」

 沖縄では、旧暦3月3日である4月5日は、女の節句であり、「浜下り(ハマウリ)」である。この日は、一年でも潮の干満が大きい。那覇市周辺でも、浜辺では午後2時前後に、最も潮が引いた。豊見城市の瀬長島に出かけてみた。
 018 干上がった磯には、大勢の家族連れが来ていた。岩についた緑色のアーサーを採ったり、貝を拾ったり楽しんでいた。
 子どもたちもまだ、春休み中で、ちょうどよいお出かけである。天気も良く、海に足を浸しても気持ちよさそうだ。
 浜下りは、女性が海で身をきよめる禊(ミソギ)の日とされていた。同時に、女性たちがご馳走を作って、浜辺に出かけて遊ぶ日でもあった。
 この那覇の街でも、かつては浜辺で遊んだ後、こぞって沖縄芝居を観に行ったそうである。
 「サングヮチャー」とも呼ばれている。地域によって、多少違いがあるが、女性たちが公民館に集まって楽しく1日すごすところもある。神様にお供えをして、1年間の健康と家内安全をお願いするというところもある。
 010瀬長島は、かつては島だったがいまは、道路でつながっている。小さな島なので、車で数分で島を一周できる。
 島の周囲は、ぐるりと潮が引いて、広く広く干上がっている。008

 

 靴を脱いで浅瀬に入る女性や子どもが多い。
おばあ、おじいもたくさん来ている。ビニール袋を持って、盛んにアーサーを採っている。
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 島の周囲だけでなく、少し沖でも潮が引いて陸地が出ているところもある。
 瀬長島は、那覇空港のすぐそばである。だから、空港に降りる航空機が頭上をゆっくりと降りて行く。航空機の離発着が真近に見られるということでも、人気がある。

 観光スポットであるし、若いカップルのデートスポットとしても知られる。少しいる間だけでも、絶えまなく航空機が糸満方面から下りてくる。013

 この日は、昼過ぎから急に黒い雲が出てきた。少しの間、島でもスコールが降った。こういう雨は、沖縄では「カタブイ」ともいう。つまり、ごく狭い地域だけ、偏って降る雨だからだ。天候は、もう夏型に近付いているのだろうか。島で雨が止んだと思ったら、雨雲は海上に移動して、海の上で黒雲から滝のようにスコールが降る光景が見られた。写真ではわかりにくいかもしれない。雲の下、中央部で少し縦に灰色がかって見えるのがスコールである。

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 「空の駅 物産センター」に立ち寄ってみた。「ジョン万焼」の看板が目に付いた。「たしか前に来た時はこんなものはなかったはずだが、いつできたのだろうか」と思って、店内に入ってみた。
「ジョン万焼1個100円、ジョン万そば500円」とメニューが出ている。
 おやじさんに、いつからやっているのか聞いてみた。「ジョン万次郎の5代目当主の方が、見えて、作って下さいということだったので、作りだしたんです。橋本前高知県知事も見えて、ジョン万焼を食べて行かれました」という。

024 025 見せてくれたリーフレットは、昨年9月、沖縄ジョン万次郎会の創立20周年事業として、ジョン万次郎記念碑が建立されたときのものだった。この時、5代目当主がお見えになったのだろう。

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 なぜ、瀬長島でジョン万次郎なのだろうか? 
かつて1851年に中浜万次郎がアメリカから帰国する際、当時の琉球の大渡海岸に上陸して、豊見城村翁長(オナガ)に半年間、滞在させられた。その間、村人たちとも交流があったので、豊見城市はゆかりの土地となっている。だから、翁長には記念碑も建てられた。瀬長島も同じ豊見城市ということで、あやかりメニューが誕生したのだろう。
 「ジョン万焼」は上の写真のように、もち入りの今川焼のような感じだ。でも「ジョン万そば」は、「中味は沖縄そばですが、沖縄そばでは面白くないので、ジョン万そば、とさせてもらったんですよ」とおやじさんは話していた。中浜家お墨付きのようなので、次に行った時には、賞味してみよう。今回は、昼食の直後なので、さすがに食べる気が起きなかった。
 というわけで、 「浜下り」がいつの間にか、中浜万次郎の話になってしまった。

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コメント

「浜下り」といったら「アカマター伝説」のことを書かなければ、なぜ浜に身を浸すをことが「禊ぎ」になるのかわからないでしょう。大蛇「アカマター」がいい男に化けて村の娘を犯し、娘はそれと知らず男の子どもを身ごもる。それを知った母親が、旧3月3日の大潮の日に浜に娘を連れて行き、身を海水に浸して清めたところ、その子どもは堕胎され、大蛇の子どもを生まずに済んだ、という伝説ですよ。そこから浜下りの行事は、女性が年に一度、厄やけがれを落とし、身をきよめる習慣になったのです。それから忘れてならないのは「てぃんさぐの花」ですね。てぃんさぐとはホウセンカのことです。民謡の歌詞に「てぃんさぐぬ花は爪先にすみり」とあります。その昔、沖縄では女性は化粧は遊女以外、許されていなかったのです。旧3月3日の浜下りの日だけ、ほうせんかの花で爪先を染めて「化粧」することが許されていました。女の子たちは前夜から一生懸命花に爪先を浸して染め、そのままなるべく手を洗わないで、赤い爪先が残るように腐心したそうです。ユッカヌヒーは年に一度おもちゃが買ってもらえる日、浜下りは年に一度爪先の化粧が許された日。
空の駅でジョン万ものを売っていたのは、たんにあそこが豊見城市だからじゃないですか。それにしても、観光客やいまどきのアベックにはそんなことわかりやしないのに、豊見城のジョン万次郎への愛着はすごいですね。

アカマタ伝説の紹介ありがとうございました。いまは浜下りは家族で潮干狩りの日となっている感じで、伝説も忘れられているのではないですか? てぃんさくの花との関係は知りませんでした。女の節句であり、女性にとってはとっても楽しい日だったんですね。

レキオアキアキさん、いくぼーさん、ハイサイ初めて投稿させていただきます。
明和大津波をぐぐっていたらここにたどり着きました。
私も唄三線を嗜むクサレナイチャーのひとりですが、レキオアキアキさんの蘊蓄に富んだブログにいくぼーさんの含蓄のあるコメントに出会えて非常に感激しております。「浜下り」「あかまたー」「てぃんさぐぬ花」がこのようにつながるとは知りませんでした。
昨今ヤマトでは相変わらずの三線ブームで、それはそれで良いのですが、そこから何を学ぶかを余り考えていない輩が多い様に思え、ナイチャーながら内心少々苦々しく思ったりもします。
私事ですが、沖縄とのかかわりは、その昔佐藤首相が訪沖した前の週に沖縄を訪れたことから始まりましたので、それなりに年はいっております。お見かけするにレキオアキアキさんに近いようにも思うのですが、このような立派なブログを立ち上げていらっしゃるということは、私の勘違いでしょうか?
それはともかく、今後の話題及び「レキオ・島唄アッチャー」の膨大なバックナンバーを楽しませていただきます。

hijigwaさん コメントありがとうございました。多分で同年代だと思いますし、歌三線を楽しむナイチャーということでも共通していることと思います。
 確かに大和でも三線を楽しむ人が増えているのは結構ですが、ぜひ沖縄民謡の奥深いところを知ってほしいですね。私も素人ながら、民謡の世界にはまって、このブログでも「戦世と平和の島唄」「愛と哀しみの島唄」「人頭税哀歌」「沖縄の子守唄の不思議」その他、拙文をアップしています。もし関心があれば眺めていただければ幸いです。これからもよろしくお願いします。

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