無料ブログはココログ

« 那覇・小禄の拝所を巡る、その2 | トップページ | シーサーの日(4月3日)に壷屋まーい »

2011年4月 2日 (土)

基地の中の喜友名泉を見た

 米軍普天間032基地のある宜野湾市には、たくさん湧水の名所がある。その一つに、「喜友名泉」がある。喜友名はいまの読み方は「キユナ」だが、この湧水は方言読みで「チュンナーガー」と呼ぶ。
 この湧水は、なんと米軍の「キャンプ瑞慶覽(ズケラン)」の中にある。でも、住民にとって生活用水としてなくてはならない泉で、由緒ある湧水である。だから、基地の中でも、金網は別に仕切られて、住民が立ち入れるようになっている。勝手には入れない。市教育委員会文化課に連絡すれば、鍵を開けて入れてくれるというので、さっそく電話した。年度末の忙しい時だけれど、わざわざ担当者が鍵を開けに来てくれた。『ぎのわんの文化財』の冊子もいただいた。038

 那覇から国道58号線を北上し、伊佐の交差点から普天間デイゴ通りに入るとすぐに、左側に「喜友名泉」が見える。入口からして立派だ。040

 入口にもすでに石造りの樋川が造られている。高い場所なのに、水が流れ出ている。現在でも喜友名泉は、ポンプアップして、簡易水道として、畑の散水などに使われている。この入口の水もこれを利用しているそうだ。045 

 左が金網の入口。鍵も米軍仕様だそうで、市販の鍵とは違う。開けてもらった鍵を閉めるにも、やはり合い鍵がないと閉められないというシロモノだ。

 金網を入ると、坂道を降りて行く。石畳の道もある。047 金網から基地の中が少し見える。

053_2  

 見えてきた、見えてきた。昔からの湧水らしいとても雰囲気のある泉である。普通、湧水は「井戸(カー)」や「樋川(ヒージャー)」という名前が多いが、ここは「泉」の字を使っている。

 ここの泉は、国指定有形文化財(建造物)だという。喜友名区には、7湧泉がある。そのうち2つがここにある。
 石積みが見事である。豆腐を重ねたような布積み、石を亀の甲羅のように組み合わせた相方積みなど、精巧に石を組み合わせた石垣だ。

 他では見られない特徴は、左側の「ウフガー」は「イキガガー」と呼ぶ。「イキガ」とは男性を意味し「男の泉」。右側の「カーグヮー」は「イナグガー」と呼ぶ。「イナグ」とは女性なので「女の泉」を意味する。下写真は「イナグガー」である。

059  イナグガーの正面の壁には、なんと3か所も湧水口がある。湧水口の上には、庇(ヒサシ)がついている。
 主060に、日々の飲料水や洗濯によく利用されたという。「イナグ」の名がついたのは、水汲みや洗濯などは主に女性が担っていたので、女が使う泉として名付けられたのではないだろうか。名前の由来は、冊子にも書いていない。私の推測である。

 湧水口の前に、長い机のようなものが二つある。
もしかして、これに腰をかけて洗濯などするために置いたのではないだろうか。
 左側の二つの湧水口の間に、ちょっとした張り出しがある。その上に小さな窪みがあり、そこには琉球石灰岩で造られた香炉が置かれているという。ただ、写真では草で隠されてよく見えない。

062

 

 湧水口とは反対側の壁際には、石造りの棚のような形のものが置かれている(左写真)。これは何のためだろうか? 
 やはり、水を汲んだカメや桶、洗った野菜、洗濯物など置くためだろうか。わざわざ窪みがある。考えられるのはそんな用途である。ちなみに、左側の「男の泉」には、こんなものは何もない。
 「イナグガー」の左側に、石積みで仕切られた三角形の空間がある。これはなんだろうか? 
 前に同じ宜野湾市の「森の川」を見たとき、円形の石積みで仕切られた場所があった。それは水浴びをするためだった。こちらの三角形の場所も衝立で仕切った形なので、水浴びをしたのかもしれない。でも、仕切っても天井はないので、周りから丸見えである。だから違うのかもしれない。謎である。
 「イキガガー」(男の泉)は、左側の壁と正面の壁の2か所に湧水口がある。あとは何も置かれたものはない。064 こちらは、部落の節々の拝みや正月の「若水」(ワカミジ)汲み、子どもが生まれた時の「産水」(ウブミジ)、人が亡くなった時の「死水」(シニミジ)など人生の折り目の時に使われたそうだ。
 もう一つ別名がある。「ウマアミシガー」と言う。つまり牛馬の水浴びに使われたという。これは男の仕事だっただろう。でも、拝みは女性が担うのが普通である。
 この泉はいつ造られたのか? 右の「イナグガー」に置かれた香炉は、明治22年(1889)の奉寄進で、この年に新造ないし修造されたと考えられている。それほど古くない。左の「イキガガー」は、もっと古い感じがする。

 「喜友名泉の水源利用の開始及びウフガーの築造年代は、湧泉の周辺に生えている樹齢数百年のアコウ大木から推測されます」(『ぎのわんの文化財』)と言う。築造がいつか断定していないが、琉球王府時代からのものであることが推測される。068

066

 この湧水は、喜友名の集落からは、相当低い位置にある。集落から泉に来るのに、急勾配の石畳の坂道が約100㍍も続く。高低差が25㍍もあるという。昔は、飲料水など水汲みは、主に女性の仕事にされていた。それで、水汲みがきついので、喜友名には、他の部落からお嫁さんのきてがなかったという。その半面、水汲みをするためか、喜友名の嫁さんは「働き者」という評判だったそうである。
 でもやはり、喜友名の娘さんたちの朝夕の願いは、カービラ(泉に降りる坂道)が少しでも低くなるように願ったそうである。052_2

 住民の中でも、いまでも御願(ウガン)に来る人がいるのだろうか、金網の外側にお線香を焚いた残りがあった。たぶん、金網の中に入りたかったけれど、鍵が閉まっていたので入れず、金網の外で御願をしたのだろう。076

 これも米軍基地の中に、由緒ある泉があるがためである。
金網の中には、古い石垣のような跡も見られた。

050  この喜友名地区は、南側は広大な普天間基地があり、北側はキャンプ瑞慶覽がある。米軍基地にサンドイッチされたような住宅街なのである。
 基地の中には、住民が古くから利用してきたこういう湧水や拝所、お墓などがある。なぜ、わが郷土の由緒ある場所が外国基地として占拠されているのか。鍵で開けてもらわないと入れないのか。理不尽さを痛感する泉である。

« 那覇・小禄の拝所を巡る、その2 | トップページ | シーサーの日(4月3日)に壷屋まーい »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

チュンナーガーは首里の樋川に比べてもそん色ない立派なものです。いままで見た中で石積みの仕方や全体の大きさなど、秀でているのではないでしょうか。確かにここにくるまでのいしくびりの坂は、上り下りだけでも大変なので、ましてやそこを水を汲んで持って上がる、というのは大変な重労働だったと思いますね。私が娘でも嫁には行きたくない。喜友名部落の写真あったじゃないですか。あれをアップすると、いかに基地に挟まれた狭隘な集落かわかると思いますよ。ほかの湧水も見て回りたいですね。それにしても、イキガとイナグに分けるとは面白い。でもイキガガーで御願するというのは、ちょっとなんでなのか分かりません。御願する場所はだいたい神聖な場所で、男子禁制だからです。このあたりの喜友名の民俗も知りたいですね~。

 湧水が湧くのは、平たんなところではなく、高いところに降った雨が、崖のようになった所から湧きでる場所に井戸、樋川が多いので、カービラ(泉の坂)は多いですよ。水汲みは力仕事なのに、女性が担ったんですね。ただ、民謡の「桃売りアンガー」の中に、彼氏が「水は私が汲むから休んでいなさい」という台詞があるけれど、これは珍しい例です。
 拝みをするのが「イキガガー」だったのは、私見ですが、こちらの泉が古くて、一つだけだった時代があるんじゃないかな。その時は「男の泉」の名はなくて、拝みも生活用水も使っていた。のちに「イナグガー」をつくったので、古い井戸は牛馬の水浴びもするので「男の泉」の名前がついたんじゃないですか。右と左で作り方があまりに違い、「女の泉」は、男の方よりとても細工の工夫があるから、そう思うんですが。他の湧水では、男女で分けるところは、見たことがないですね。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 基地の中の喜友名泉を見た:

« 那覇・小禄の拝所を巡る、その2 | トップページ | シーサーの日(4月3日)に壷屋まーい »

最近のトラックバック

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30