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2011年4月14日 (木)

勝連沖の島々、その2

 平安座島(ヘンザジマ)の144旧暦3月3日の伝統行事・サングヮチャーの続きである。
 拝所での儀式が終わると、大きなタマン(ハマフエフキ)の張りぼての神輿が出発した。担ぐのは、みんな中学生たちだ。島の南東約400㍍の沖合いにあるナンザ島に向かった。この頃は、潮の干満が大きい。午後2時過ぎが干潮だそうだが、今年は例年より海の潮が深いという。それに干潮を過ぎると、だんだん込みだしてくる時間になる。

154  ジャブジャブと海の浅瀬を歩いて、神輿は進む。海は潮が引いて浅いといっても、でこぼこがひどくて、カメラを持ち、写しながらでは、早くは歩けない。神輿はどんどん先に行く。

 中学生たちは「重い、重い」というけれど、若い力で、グングン海を歩く。  もうナンザに近づいた。私たちは、中間地点でついていくのをあきらめた。  

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 神輿の一行は島に上陸した。岩場を上がっていくと、拝所があるそうだ。そこで大漁と豊年の御願176 をしているのだろう。 
 その間、浜ではおばあたちが太鼓を打ち鳴らして、みんなの帰りを待っている。ナンザまで神輿の往復する時間は、1時間近くかかるだろうけれど、太鼓が鳴りやむことはない。誰かが、打ち鳴らしている。三線も加わる。
 こういう光景を見ると、島に生きる人たちの、大漁や豊年にかける熱い気持ちが胸に伝わってくる。
 さあ、いよいよ神輿が帰ってくる。太鼓や三線の音は一段と活発に鳴り響く。
 浜に上がると、神輿をおろした。カチャーシーが始まった。仮装大賞を設けていて、島の青年会やグループ、会社・団体ごとに、仮装を披露しながら、カチャーシーを踊った。

200  神輿は、このあと自治会館に帰った。こちらで料理を食べ、飲み、夜まで楽しく歌い踊る。最後まではいられないので、途中で帰路についた。
 さて、島々を歌った民謡についてである。下の写真は、サングヮチャーの時のものである。
 「与勝海上めぐり」は、島々の風景をもっとも詳しく歌い込んだ曲ではないだろうか。歌詞を紹介する。
 「♪津堅浜平安座通い路ぬ港 通い舟乗やい廻る美らさ」
 (通い路の港、通い舟に乗って廻る景色の美しさよ)
 「♪車乗ていそさ 舟乗ていそさ 浮原ぬ満干平安座までぃん」
 (車に乗って嬉しいことよ 舟に乗って嬉しいことよ 干潟の満ち干平安座までも)
 「♪伊計離り廻て 浮原ぬ海や釣し楽しむる マブク タマン」
 (伊計島を廻って 浮原の海で釣りで楽しめる マブク タマン)
 「♪浜比嘉に渡て アマミチュゆ拝んで 見晴らしぬ美らさ島ぬ岬」
 (浜比嘉島に渡って 伝説のアマミチュを拝んで 見晴らしの美しい島の岬よ)

 この歌詞の中で、アマミチュとは、琉球開闢(カイビャク)をしたと伝えられるアマミキヨのこと。浜比嘉島に住んでいた、お墓もあるという。
 また、浮原という島が登場する。この島は、浜比嘉島の沖にある。でも、なんと日米で軍事演習場として利用している。昨年12月にも、日米合同演習の際、戦闘時に負傷した兵士を緊急輸送する215訓練をしたそうである。このあたり、昨年、普天間基地の移転先探しの騒動の際、当時の平野官房長官が移転先の候補地として狙ったことから、反対の声が噴き上がった。でも、結局は消えていった。

 「島めぐり」という曲がある。糸満、与那原、中城、具志川、名護の沖縄各地が歌われ、最後に浜比嘉島が登場する。
 「天下る人ぬ 昔始いぬ アマミチュぬ島や 此処(クマ)どやゆる やんどうふ 浜比嘉よいとこ めんそりよー」と歌う。
 その昔、天下ってきてこの国を始めたというアマミチュの島は、ここだよ、浜比嘉よいとこ、おいで下さい、というような意味だろう。
 
 津堅島には、いろんな歌がある。いまではニンジンの産地で有名だ。島出身の人気民謡歌手の神谷幸一さんが「キャロットアイランド」「津堅ビーチsong」などつくり、歌っている。

 でも津堅島が舞台の曲として有名なのは「取納奉行」(シュヌブヂョウ)である。取納奉行とは、琉球王府の時代に、徴収する税金を定める役人である。この役人が島に来る光景をユーモラスに歌っている。長い曲なので、あらすじだけ紹介する。
 取納奉行が意気込んで来る。今日は浜比嘉島から起こしになる。津堅島に着いた役人が言う。「今日は美しい女性を寄こしてくれよ、津堅の頭たちよ」。さあ奉行の接待に誰がなるのか、津堅神村祝女殿内の壺脱ぎカマドに頼もう、取納奉行の前に近寄るのに下着も下袴もない者にそのまま行かせるのか、とお話が展開する。最後は、役人の接待にいった娘が贈り物をもらって帰ることで終わる。
 ただ、島に来る役人が権威を利用して女性を世話させる、そんな傲慢が横行していた様子がうかがわれる。歌はそれを風刺していて、面白いお話である。これもとても軽快なテンポで、楽しい曲である。
 そんなわけで、勝連沖の島々にまつわる民謡はいろいろある。島には伝統芸能も生きている。サングヮチャーでは、ナンザから神輿が帰ってくると、浜で子どもたちもカチャシーを踊っていた。きっと島の祭りと芸能を受け継いでくれるのだろう。

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017_2  ただ、4つの島はうるま市が小中学校の統廃合を打ち出し、島ごとにある小中学校を廃止し、1校だけに統合しようとしている。住民はこぞって反対である。自治会館や島のいたるところに看板が掛けられていた。
 「学校や島ぬ宝物でむぬ いちん何時までん 守てぃいかな」と断固反対している。

 学校は地域になくてはならない存在である。島ごとの伝統や芸能、文化を受け継ぐうえでも学校は欠かせない。小規模校ならではの行きとどいた教育も可能である。サングヮチャーを見に行って改めてその感を強くした。
 民謡の歌詞の訳はネットの「島唄まじめ研究」など参考にさせていただいた。

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コメント

「与勝海上めぐり」という唄は、歌詞をみるとそんなに古い唄ではないような気がしますが。「車のってうれいい」とか「釣りが楽しい」とか。この場合の「釣り」とは、漁のことではなく、いわゆるレジャーとしての釣りですよね。釣りに遊びに来るんだったら、車に乗ってこないといけないもんね。釣りとドライブ、どっちも楽しいもんね。浜比嘉には確かにアマミキヨの墓がありますが、唄にこんなに歌われているとは思いませんでした。普通、アマミキヨなら久高島だと思うんで。浜比嘉島のとくに昔ながらの赤瓦とフクギの並木がある集落は比嘉集落ですか?あそこはいいところですね。去年だったか、集落を写真撮りながら歩いていたら、なんかの店屋のオジーが店は閉まっているのに家の窓を全開していて、軒下のところに腰掛けて表を眺めていました。ステテコ姿で。私と目があったんで、「こんにちは」と言ったら「ね~さん、どこから来たね?」と言うので「那覇からですよ」と言ったんです。そしたら「えー、内地の人じゃないね~?」とまた聞くので、「ええ、東京から引っ越してきたんですよ」と答えました。オジーは「アッキサミヨ~ナ~!東京!なんで~!こんなとこまでえ?」と驚いていたのですが、なぜそこまで驚かれたのか、いまだにわかりません。
「取納奉行」のお話はなにかテレビで見たことがあるような・・・あらすじです。どこのシマにもあったような内容ではありませんか?それにしてもナンザ拝みは写真撮りながら海歩きするってのは、中年にはしんどいですな。足がよく動かんし。浜に戻ってからの仮装大会はカチャーシー踊ったんで、ずーっと唐船ドーイが流れていましたよ。来年は3日目のガーエーを見たいですね!
 

「与勝海上めぐり」は、おっしゃる通り古い唄ではないです。実は私はまだ歌えないんです。知り合いのおばあは歌ってましたが。軽快な曲ですよ。
 アマミチュトシルミチュが住んでいた場所も、お墓も行きました。写真も撮ったけれど、もうどこにあるかわからなーい状態です。
 赤瓦の昔ながらの集落があるのは比嘉ですね。石垣にフクギ並木もあり、竹富島に少し近い感じでしょう。
 「取納奉行」もあれば「御物奉行」という曲もあります。「御物奉行」は王府御用達の物品を扱う奉行だと思います。役人が権威をかさにきて女性を世話させるというのは、どこでもあったでしゅうが、こういうストーリーの歌は、私の知る限り、津堅島を舞台にしたこの曲だけです。ナンザに行くのはきついですが、サングヮチャーは、他の地区の祭りなどとはまた異なる楽しい祭りですね。

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