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2011年4月23日 (土)

伊江島に由来する島唄あれこれ

 沖縄には、島ごとに言葉があり、民謡をはじめ芸能がある。伊江島にまつわる民謡、古典音楽がいろいろな曲がある。島の公民館に行くと、敷地内に歌碑があった。009_2

 琉球古010 典音楽の「東江節」(アガリエブシ)の碑がある。大きな石には琉歌、小さな石には歌意が刻まれている。
 「東あかがれば 夜の明けんともて 月どぬきゃがゆる 恋し夜半」
 歌意は次のように記している。
 「東の空が白みかけると夜が明けると思っていたら、そうではなく月がのぼって来るのであった。それならば恋人ともう少し語り合う時間があったのに、急いで別れてしまって惜しいことをした。ああいつまでも忘れぬことのできぬ恋しい夜半だ」
 とっても優雅で味わいのある恋歌である。伊江島は、東江上、東江前などの地名がある。歌の題はそこに由来するのだろうか。
 古典の曲なので、まだ三線で弾いたことがない。

 20万株のテッポウユリが咲くリリーフィールドにも、恋歌の歌碑がある。これも琉球古典音楽の有名な曲で「仲村渠節」(ナカンダカリフシ)という。ただし、伊江島にある歌碑は、題名が少し違っている。琉歌は同じ内容である。

 歌碑は「仲村柄節」(ナカムラカラブシ)とある。
琉歌は「仲村柄そばいど 真簾(マスィダシ)は下げて あにらはもとまば 忍(シヌ)でいまうれ」。下に歌意が書かれている。
 「仲村柄家の母屋のそばいど(屋戸口)にすだれをさげてあるときは大丈夫だから忍んでいらっしゃい」

072_2

 この歌には、哀しい伝説がある。仲村渠家は、島の旧家で、娘の交際にもうるさかった。この家の娘のマカトゥーは絶世の美女で、島の若者の憧れの的だった。しかし、彼女は海を隔てた伊平屋島(イヘヤジマ)に、松金という恋人がいた。彼に逢うのに海岸に出かけたところ、運悪く島の若者に見られてしまった。若者は嫉妬して、「マカトゥーを見たぞ!」と叫んだ。見られた彼女は、恥ずかしさのあまり、断崖から身を投げたという。そんな悲劇の伝説が残されている。この部分は、仲宗根幸市氏編著の『琉球列島 島うた紀行第三集』を参考にした。017

この歌碑は、実は今回は見る時間がなかった。2009年にテッポウユリを見に行った時に、撮った写真である。今回は遠くから碑を眺めただけだった。
 伊江島を舞台にした名作歌劇がある。「伊江島ハンドー小(グヮー)」という悲劇である。国頭村辺土名の娘、ハンドー小は、船が難破した伊江島の男・加那を助け、愛し合うようになる。ところが加那は突然、島に帰る。加那を信じるハンドー小は彼を追って島に渡るが、加那には実は妻がいた。ハンドー小はタッチューで死を選ぶ。
 残念ながらまだ、観る機会がない。
   文字通り、伊江島を歌った民謡がある。タッチューも、ハンドー小も登場する。
前川朝昭作曲の「伊江島渡し船」である。今の渡し船は、フェリーで大型バスも積めるので、大きい。
♪離り伊江島や あざやかな心 人ぬ咲く浜に 船路渡てぃ サー渡てぃ見(ン)だな伊江島かい
♪伊江島ぬ村や 守り神祭てぃ 絶ゆる間やねさみ 人ぬ拝み ハヤシ
♪城岳タッチュウ 眺みゆる姿 昔物語い ハンドーアバ小   ハヤシ
♪島村ぬ屋敷 見(ン)だん人居らん 世渡りぬ人ぬ 知らし所 ハヤシ
♪船頭主ぬ誠 志情(シナサキ)ぬ心 恵でぃ何時までぃん 人ぬ手本 ハヤシ

 歌意は大体分かるが、自己流で解釈してみた。
♪本島から離れた伊江島は 素晴らしい心もつ島の人々の花咲く浜に 船で渡ってみよう
  サー渡ってみよう伊江島へ
♪伊江島の村は守り神をお祀りしている 絶える間もなく人々が祈願する ハヤシ
♪島のシンボル・城山の姿を眺める 昔の物語にハンドー小の悲劇がある ハヤシ
♪島村の屋敷を見ない人はいない 世間の人々に広く知らせる所になっている ハヤシ
 (ハンドー小の物語の舞台になった島村の屋敷跡が観光公園になっている)
♪船頭主の誠実で、情けある心は いつまでも人々の手本になるよ ハヤシ
 (ハンドー小が加那を追って伊江島に渡るのを助けたのが舟の船頭を讃えている)
 

006

 歌詞はこの後、6番まであるが、省略する。伊江島ハンドー小の悲劇が歌詞の柱になっている。テンポがよくて人気のある曲だ。でも弾きこなすのはけっこう難しい。
 
 忘れてはならないのが、米軍基地の建設のため土地を奪われた住民が、米軍の横暴に立ち向かいたたかった時に歌われた曲である。有名なのが、本島に島民の窮状を訴えるためにつくられ、歌われた「陳情口説」(チンジョウクドチ)である。本島を縦断する「陳情行進」を、みずから「乞食行進」とも称した。だから「乞食口説」とも呼んでいる。120  写真は、土地を守るたたかいを伝える反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」である。
 作詞は島の人で野里竹松さん。「口説」は、75調で歌い、旋律は共通している。
♪さてむ世ぬ中 あさましや いせに話せば 聞ちみしょり 沖縄うしんか うんにゅきら
♪世界(シケ)にとゆまるアメリカぬ 神ぬ人びと わが土地ゆ 取て軍用地 うち使てぃ
♪畑ぬまんまる金網ゆ まるくみぐらち うぬすばに 鉄砲かたみてぃ 番さびん
♪親ぬゆじりぬ畑山や いかに黄金(クガニ)ぬ土地やしが うりん知らんさ アメリカや
♪真謝ぬ部落ぬ人々や うりから政府ぬ方々に う願(ニゲ)ぬだんだん はなちゃりば
♪たんでぃ主席ん 聞ちみしょり わした百姓がうめゆとてぃ う願いさびしんむてぃぬふか
♪親ぬ譲りぬ畑山や あとてぃ命や ちながりさ いすじわが畑 取ぅいむるし
♪願ぬだんだんしちうしが 耳に入りらんわが主席 らちんあかんさ くぬしざま
♪うりから部落ぬ人々や 是非とぅむ沖縄ぬうしんかに 頼てぃうやびん 聞ちたぼり
♪那覇とぅ糸満 石川ぬ 町ぬ隅(シミ)うてぃ 願さりば わしたう願いん 聞ちみせん
♪涙ながらに 聞ちみそてぃ 町ぬ戻(ムド)ぅいぬ う情や 誠真実 ありがたや

007_2          上の地図で島の左上部分が米軍演習場である。

 標準語訳
・さても世の中はあさましいことだ 腹の中から話しますから 聞いて下さい沖縄の皆さん
 聞いて下さい
・世界にとどろきわたるアメリカの神のような人々が わが土地を取って うち使ってしまっ
 た
・畑の周りに金網を 丸くめぐらして そのそばに 鉄砲かついで番をしています
・親譲りの畑は黄金にまさった土地ですが それを知らない アメリカだ
・真謝の部落の人々は それから政府の方々にお願いし いろいろと話もしました
・どうか主席様聞いて下さい 私ら百姓があなたの前に出て お願いするのはただごとで
 はありません
・親譲りの畑があってこそ 命がつながっています すぐに私らの畑を取り返して下さい
・だんだんとお願いしましたが 耳にも入れないわが主席 らちもあかないこの仕業
・それから部落の人々は ぜひとも沖縄の皆さんに 頼っていますから 聞いて下さい
・那覇や糸満、石川の町の隅々で お願いをしたならば 私らの願いを聞いて下さいました
・涙ながらに聞いて下さって 帰りに誠真実ありがたいことだと 感じたことでした
 (歌詞と訳文は沖縄国際大学大学院地域文化研究科「ウチナーンチュのエンパワーメントの確立ーー沖縄音楽社会史の変遷を通して」を参照しました)

020_2

 「乞食行進」では、三線を弾きながらこの「陳情口説」を歌って回ったという。伊江島の土地を守るたたかいは、その後の全県的な「島ぐるみ闘争」へのつながっていったのである。
 なお、この曲のことは、ブログにアップしてある「戦世と平和の沖縄島唄」でも紹介している。関心のある方は、そちらものぞいてみて下さい。
 

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コメント

「東江節」と「仲村渠節」の琉歌は素敵ですね。上原さんが「琉歌百景」で紹介しそうな歌です。「ハンドー小」の悲劇ですけど、これって人気ある歌芝居ですよね。だけどマカトゥさんはなぜ姿を見られたぐらいで身を投げちゃったんですかね。身を投げるに至るにふさわしい経過があるような気がするんですけど。「伊江島渡し船」の歌意ですけど、1番は「花咲く浜に渡ってみよう」ではなくて、「咲く」のは島の人々の素晴らしさのことを指すんじゃないですかね。「人々の素晴らしい心が咲き誇る島よ」てな感じで。2番は人の拝みをする人が絶え間なく来るんじゃなくて、島への拝みを絶え間なくする、というような意味じゃないでしょうか。細かいことですけど。「陳情口説」は現代演劇の「沖縄」でしたっけ?なにかの舞台でも実際に歌われましたよね。でもウチナーぐちだと本土の人はわからないですね。75調がとってもリズミカルでラップみたいですね。これを聞くと、伊江島の人たちのたたかいの熱意が伝わってきます。

 マカトゥが好きになったのは、島の男ではなく、伊平屋島の男だったことも背景にあるでしょう。島外の者と恋仲になり逢引きする現場を見られて、はやしたてられることは当時の乙女にとって耐えられない恥だったのでしょう。伝説ですから、実際に身を投げたとすれば、もっと複雑ないきさつがあったのでしょうね。「伊江島ハンドー小」は、島村屋観光公園がその物語りの舞台となった屋敷跡にある公園で、民俗資料館もあります。「伊江島渡し船」の歌は4番で、「島村ぬ屋敷⋯⋯」と出てきますよ。
 「伊江島渡し船」の歌詞へのご指摘ありがとうございます。1番は、文章が下手ですが、「島の人のあざやかな心が花咲く」という意味で書いたつもりです。2番は、おっしゃる通り、村の守り神を祀り、絶え間なく拝みをするという意味ですね。
 伊江島の土地を守るたたかいは、映画「沖縄」になり歌劇「沖縄」にもなりました。そのなかで乞食行進の場面と「陳情口説」を歌うシーンも出てきたと思います。歌劇の方は見ていないですが。映画は最近も沖縄で再上映されましたね。

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