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2011年4月13日 (水)

勝連沖の島々、その1

 うるま市の与勝半島の沖合いに浮かぶ島々は、沖縄ならではの空と海と島との景観が美しい。同時に、島ならではの民俗、文化が残る地域である。
 それだけに、沖縄民謡では、たくさん島々を歌った曲がある。ことし旧暦3月3日から3日間「サングヮチャー」が行われた。4月6日に平安座(ヘンザ)島に見に行った。
 004 屋慶名(ヤケナ)から海中道路で渡ると、平安座島、宮城(ミヤギ)島、伊計(イケイ)島とつながっている。平安座島からは大きな橋で、浜比嘉(ハマヒガ)島に渡れる。さらにその南に津堅(ツケン)島がある。

 013 浜下りは、潮の満ち干が年間でも大きいこの日、女性は浜に降りて海水で身を清めるならわしがある。「女の節句」でもある。でも、平安座島のサングヮチャーは、琉球王府時代から200年の伝統のある行事である。大漁や豊年を祈願する島の人々の由緒あるお祭りである。年間で最大の行事で、この日をみんな楽しみにしている。

 行事は大きくいって二つある。一つは集落の拝所で、ノロ(神女)に生きた魚を銛で突いて捧げる儀式「トゥタヌイユー」が有名である。その後、大きなタマンの形をした神輿を担いで、島の南東、約400㍍沖にあるナンザ島に海を歩いて渡り、島の御嶽に御願する行事である。

 平安座自治会館のすぐ裏の拝所で、儀式が始まった。はじまりは、やっぱり歌三線による「かぎやで風節」だ。でも歌詞が違う。漁師の願いが込められた替え歌になっている。
 「♪海人(ウミンチュ)ぬ願や波風ん静か ちりてぃちゅうる魚(イユ)ぬ羽ぬ美らさ」
 (漁師の願いは波風が静かで海は穏やか 獲れる魚の羽が美しいことよ )   板に乗せられた魚は、毎年、タマン(ハマフエフキ)とマブク(シロクラベラ)の2匹に決まっている。漁師が前の日に必ず漁をして用意する。儀式では、お酒をノロ、神人に注いだあと、女性が銛を持つ。見事に突きさすと肩に担いで回りながら踊る。084  ノロさんも一緒に踊る。魚を捧げる儀式が終わると、カチャーシーになり、自治会長さんや周りで見ていたおばあ、おじいたちも次々に入って「唐船どーい」など早弾き曲で踊り舞う。

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 さてここで、祭りを離れて、民謡の話をしておきたい。
 104 これらの島々が登場する民謡を見てみると、いろんな曲がある。
 「伊計離り節」(イチハナリブシ)、「高離節」(タカハナリブシ)、「与勝海上めぐり」、「屋慶名クファディーサー」、「島めぐり」などなど。
 「伊計離り節」では次のように歌う。
 「♪行けば伊計よ離りよ 戻てぃ浜よ ヘイヨー平安座よ」(行けば伊計島 離れ島よ 戻れば浜部落よ 平安座部落よ)
 「♪平安座前ぬよ 浜によ 山原(ヤンバル)がよ ヘイヨー着ちょんよ」(平安座の前の浜辺によ 山原船が着いているよ)
 「♪山原やよ あらんよ 大和戻い ヘイヨー 戻いよ」(山原船ではないよ 大和から戻った船だよ)
 歌はこの後、「平安座の娘たちが欲しい物は何かな 押す竹と張る竹よ 敷板、巻き板よ 前ぐさよ(いずれも機織りの器具のことらしい) 前ぐさとってどうするの 布を巻くのよ 巻いた布はどうするの 彼氏の上着と袴よ」と話が展開する。
 平安座島の光景から歌はいつの間にか、島の女性たちが愛しい彼のために布を織るという恋歌に発展している。テンポの良い曲で、演奏しても楽しい。
 「高離節」は、歌の舞台は隣の宮城島である。
 「♪高離島や物知らせどころ にゃ物知やべたん 渡ちたばぅれ」。
 歌意は「高離島は、さまざまなことを教えられるところです。でももう十分に思い知ることができました 私の生まれ育った地に願わくば命あるうちに帰りつけますように」
 この歌は、18世紀に薩摩に首里王府を告発する投書をしたことで、政治犯として処刑された悲劇の文学者、平敷屋朝敏の妻である真亀(マガミ)が、士族から百姓に落とされ、流刑にされた宮城島で詠んだ琉歌である。
 夫が悲憤の死を遂げ、島流しにあう辛さ、寂しさに耐えながら、故郷への思いを募らせる真亀の心情が込められている。宮城島の長めのよい場所に歌碑が建立されている。

 与勝半島の屋慶名の有名な曲「屋慶名クファディサー節」でも、島々の光景が歌われている。屋慶名のクファディサー(コバテイシ)の木は枝ぶりが美しい、木の下で遊んで行こう、前の浜に舟を浮かべて、若い女性を乗せて遊びたい、というのが主な内容である。これに続いて次のように歌う。
 「♪手取ら取ら見ゆる ハリヨ浜と比如平安座(ヒジャヘンザ)よ スリヨ浜と比如平安座よ 黒潮打ち寄して ハリヨ我自由またならんよ スリヨ我自由またならんよ」
 (手で取れば取れそうに見える浜と比嘉(浜比嘉島)、平安座島だよ、島との間に黒潮が打ち寄せて また思うようにならないよ)
 とても軽快な曲で人気がある。木の美しさを歌っているようで、結局は「♪私と愛しい彼女は、毎夜また向かい合う」と歌う。立派な恋歌である。

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 さて、サングヮチャーに戻る。儀式が終わると、魚の神輿を担いてナンザに向かう行進になる。拝所を出ると、通りではデイサービスのお年寄りたちが、神輿に声援をおくっていた。なぜか、頭には、ザル籠に紙のお魚を入れている。豊漁の願いを込めているのだろうか。
 このあとはの長いので、次にしましょうね128 。 

 

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コメント

与勝の離島はみんな小さいけどそれぞれ古くから島人の独特の生活が営まれてきたのですね。ところでやんばる船て平安座島に行ってたんですか。あれは材木を運ぶ舟で、帰りは日常品などを乗せて帰るから、交通の要衝でもない平安座島になんかいっても仕方ない感じがするんですが。与勝に来ていたのならわかる気もしますけど。海に囲まれた離島なのに、大漁豊年を歌う民謡より、恋歌が多いってなんか情熱的でいいですね。「サングヮチャー」については「レキオいくぼー日記」に詳しいですよ。

 沖縄では先島以外には、4つ5つの島が集まり点在しているところは、ここ以外にない。島は小さくてもそれぞれ、独立しているので、それぞれの民俗、文化がありますね。山原船は、材木、薪木など運んだけれど、那覇、首里に近い与那原でけではなく、中部にも運んでいたでしょう。ただ、おっしゃるとおり、与勝半島に着くならわかるが、なぜ離島に着いたのでしょうね。与那原に通う船が中継地として寄ったのでしょうか? 「山原船ではなく大和からの戻りの船だ」とも歌っているから、大和に通う船も着いたのでしょうね。
 沖縄民謡は、入口は風景を歌っていても、すぐ恋歌になるのが面白いですね。いろんな人が歌詞を付け加えたりするので、恋歌に変化することもあるでしょう。「浜千鳥節」なんかも、「旅や浜宿」と、故郷を出た旅人の侘しさ、望郷の思いなど歌っているのに、最後には「しばき植えておきますから、しばしば訪ねてきて下さい」とやはり恋歌に変わっているという具合です。いくぼーさんのブログの「サングヮチャー」は面白いですね。

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