伊江島タッチューに登る
伊江島のシン ボルは、島の中央にそびえる島唯一の山・城山である。伊江島のタッチューとして有名だが、この呼び名は島外の人で、地元の人は「グスィク」と呼ぶそうだ。標高172㍍ある。
年配者の団体で行っていたが、タッチューに登りたいという声がみんな強い。
タッチューはその姿が、美しく、また特異であるため、海上でも遠くからすぐ伊江島と分かる。古くから、近海を航行する船が、目印にした山である。
中腹までは、車で上がれる。ただ岩山の部分は、歩いて登るしかない。これがとても傾斜がきつい。でも頂上まで、見事な石段があり、鎖を手でしっかり持てば、年配者でも登れる。
おじいもおばあもおじさんもおばさんも登る。この日は若者の姿はなかった。
「いや、きついね」「これほどだとは思わなかったサー」「もう2度とは登れないから、上がってみよう」。口々に話しながら、ひたすら登る。
もうしゃがみこみ休む人もいる。でもあとが続いている。ひと休みしながらも登る。
「さあ、もう少しだよ」。樹木がなくなってきた。岩と草になってくると、もう頂上が近い。「ああ、やれやれ頂上に着いたよ」。歓声が上がる。
「すごい眺めだね」。360度見渡せる眺めは、文字通り絶景である。かつて、沖縄八景の第1位に選ばれたことがある。
頂上にたどり着いた人たちから、おもわず「バンザーイ!」の声が上がった。
階段を数えたおじいによると、293段+10段(とりつきの階段)ある。
山頂には、伝説の足跡がある。その昔、タンナーパという大男が隣村との戦いで、城山に登り攻めてきた敵に大きな石を投げつけ退散させた時、足を踏ん張ったため足跡が残ったと伝えられる。でも足跡の写真がない! 撮り忘れた。
「80歳で登った記念だ。もうこれが最後だろう」。こうつぶやくおじいもいた。
写真は、山頂からの眺めの一端である。自分の写真をおじいに撮ってもらおうと 思ったら「もう俺は足がすくんで動けない」という。カメラを持つのも無理なのであきらめた。
帰りも、降りる階段が急だから、よんなー、よんなー(ゆっくり、ゆっくり)降りる。
タッチューの山肌には、沖縄戦で打ち込まれた弾痕やくぼみが多数見られる。「戦争の悲惨さを今に伝える生き証人ともなている」と、案内板では記している。
この山は、グスク時代の遺跡の一つで、地域住民の信仰の対象になっている。山の中腹に当たる駐車場からの登山口のそばには、城山御嶽(グスクウタキと読むだろう)がある。
この御嶽には、ヲシアゲ森(神名ヨーセジ)と伊江セイ森(神名アマミヤガナシ)の2神のオイベが隣り合わせに祀られ、航海の安全と人々の健康、豊作を祈願する拝所となっているという。
山に登る途中にも拝所があった。こちらは説明が何もない。岩の割れ目のような場所であり、これは南城市にある聖地・斎場御嶽(セーフォウタキ)に少し似ている。ミニ斎場御嶽のような感じである。
伊江島はまだ続く。
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コメント
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これは年配者の集団ではなくて「高齢者」の集団ですね。しかしよくあんな歳のいった人たちが登れたというかまず「登る」と言いだしますね。以前私も登りましたが、だいぶくたびれましたよ。「足が動かない」ほどの高所恐怖症なのに、なぜ登ったのでしょうかね~。御嶽は見たはずなんだけど、記憶に残ってませんでした。地元の人はノロさんを先頭に御願にくるんでしょうかね。タッチューのなかにある拝所は見過ごしてしまいそうなものですね。確かにセーファー御嶽そっくりです。
投稿: いくぼー | 2011年4月22日 (金) 05時22分
確かに80歳の人までいるから高齢者、それも後期高齢者が何人もいました。こんな高齢でなぜ? やっぱり島のシンボル、城山の姿を見ると、登ってみたいという気になる。それにまた何時来れるか、きても次に登れるか分からない、人生最後の登る機会かもしれないという思いが、「登ってみたい」という気持ちを駆り立てたのでしょう。いやいや、感心しましたね。
城山御嶽は、祭祀のときはノロさんはじめ御願に来るでしょうね。由緒ある拝所だと思います。
投稿: レキオアキアキ | 2011年4月22日 (金) 08時00分