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2011年4月 1日 (金)

那覇・小禄の拝所を巡る、その2

 那覇市の小禄の森口公園近くを回り、ノロ殿内(ノロドゥンチ)を見たあと、真玉御嶽(マダマウタキ)に向かった。途中に「メーミチ」という通りを横断したが、この通りはとても面白い形だ。通りの中央が広場のようにふくらみ、四方八方に道が伸び045 ている。これはヨーロッパの街づくりに似ている。ヨーロッパでは、よく町の中央に広場があり、広場から道が伸びている。それと似ている。日本の町ではあまりない。でも、たしか糸満市喜屋武にも同じ光景があった。狭い街中なのに、広場があった。この小禄の「メーミチ」は、かつては馬場があったそうだ。近くに、王府時代の間切役所の番所(バンジュ)跡がある。この周辺は昔から小禄の中心地だったのだろう。
  

 ここから南に少し行くと、小禄自治会館があり、そのすぐ南側に真玉御嶽があった。

029「琉球国由来記」の中で、「真玉嶽、神名トモヨセノ御イベ」と記されているという。「メーヌウタキ」とも呼ばれ、「ウマヌファ(南)」の神様をおまつりすると伝えられている。031

 台所の神様である「火の神」の拝所もある(左下)。034_2

 普通、御嶽といえば、大きな岩があったり、樹木がうっそうと茂っていたりするが、ここは趣が少し違う。拝所は随分立派に整備されている。住民がたくさん寄付をしたのだろう。「奉納金100万円也」とか記した標柱が、拝所に登る階段に林立していた。
 033

 

 沖縄の御嶽は、村を守ってくれる神様や海の彼方にあるニライ・カナイからやってくる神様をお祀りしてる神聖な所である。
 階段を登っていくと、拝所が見えてきた。この拝所にはビックリした。なんと、9つもの神様を祀っている。この拝所は、字小禄の部落内にあるいろんな神様を移して祀っているらしい。大きなコンクリートの巨大なお墓のような建造物に、順序良く、それぞれの神様が並んでいる。あちこちの御嶽を見てきたが、こんな、拝所は見たことがない。

040  それぞれ神名がつけられていて、御願(ウガン、祈願)をするようになっている。まるで、神様のマンションのような感じがする。
 うーん、なんといえばよいだろうか。由緒ある拝所にしては、超合理的だ。すこし味気ない気がするが、他所者が口を挟むことではない。

 右は、拝所の一つ。「ニーガン(崎山殿内、思いヌミザマヌ神)と刻まれている。036_2
小禄には、この真玉御嶽と小禄ノ御嶽の二つの御嶽がある。御嶽は、首里王府が公認するので、原則として一つの部落には一つであり、二つあるのは特殊な例だと聞く。

 この拝所の下に、赤い建物、神社があった。

042 ただ、どういう神社なのか、何も示すものがない。草もボウボウで、何か看板を外したような雰囲気がある。もしかして、これはもう使われていないのだろうか。

 すぐ、そばを見ると、「平和記念堂」の石碑があった。この神社が平和記念堂だったのだろうか? 疑問が残る。
 小禄自治会館に、小禄地区の史跡、拝所など記した史料があればと思い立ち寄ってみた。
 「歴史散歩マップ 小禄まーい」の資料があり、いただいた。

043  会館にいたおじさんが話しかけてきた。

 「あなたたちがいま見ていたのは、小禄自治会が建てたものだけれど、もう糸満市の平和記念公園に移したから、何もないよ」という。詳しくは聞けなかったけれど、戦後この地区の戦没者を祀っていたのを、糸満の方に移したということだろうか。この「平和記念堂」の石碑が何かを物語っている気がした。

 このあと、番所跡の付近に、「原石(ハルイシ)」や「ウィヌカー」という井戸があるので見に行った。しかし、地図では、すぐ近くのはずなのに分からない。通りがかりの人から、家にいるおばあちゃん、獣医師、商店主など何人も聞いたが、分からない。通りがかりの主婦は、自分は分からないので、自宅のおばあちゃんに携帯で電話までしてくれた。でも分からない。とうとうあきらめた。帰りがけに、まだ見残したヒージャー(樋川)を見ようと、これも何人にも聞いたが、これも分からない。なんで、こんなに、分からないんだよー!と叫びたくなった。

 

 順序が逆になったが、真玉御嶽と並ぶもう一つの「小禄ノ嶽」(金満御嶽)に行った。こちらは、近代化された真玉御嶽とは対照的に、うっそうとした森の中にあり、いかにも古くからの御嶽の雰囲気がある。014_2  小禄ノ嶽は、神名は「ミキヨチヤマベノ御イベ」、「後のウタキ・カニマヌタキ」とも言う。
006 岩の前が拝所になっていて、「金満ミテン」と石に刻まれている。ほかにも、いろんな拝所があるが、自治会でもらった資料には、一つ一つの拝所までは、書いていない。それぞれにみんな由来と意味があるが、詳しい地元の人の説明を聞かなければ、残念ながら分からない。
 004

分かるのは「火ヌ神」ぐらいである。

011

 007

 右も岩が拝所になっている。
階段があった。階段を上っていくと、「ウトゥーシ所」と表示されていた。これは、どこかに向かって御願(ウガン)する場所だろう。だから、遠くを見通しできる一番高い場所にある。
 そういえば、那覇の辻に「二十日正月」の行事を見に行った時、やはり丘の上に「ウトゥーシ所」があり、琉球国王のいた首里城に向かって遙拝していた。ただ、小禄ノ御嶽のこの拝所の向きは、首里城や久高島の方角ではないようだ。どこに向かって御願するのだろうか?  008
 岩では002 なく、とても古くて立派な建物があった。でもこれは、拝所ではなく、お墓ではないだろうか。拝殿は、こういう場所にはないはずだ。この御嶽の下の方は、お墓がたくさんある所である。

 というわけで、いろいろ見て回ったが、小禄の御嶽や殿は、他では見られない特徴がある。同じ那覇市内でも、いろいろ地域によって、民俗、習慣が少し違う。資料を見てもよく分からないことが多い。できれば、5月、6月のウマチーにはぜひ来て見たいものである。

 帰り道、民家の庭に琵琶が色づいていた。

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コメント

真玉御嶽の「奉納」の名前、見ました?圧倒的に「照屋」姓が多かったんですよ。照屋さんといえば、屋号が「ノロ殿内」の照屋さん。分家でしょうか。あのあたりは照屋姓が多いように見受けました。あと上原姓も何人かいました。イベ名があるんだから、あの神様のマンションのような御嶽のどこかにイベがあるのでしょう。どちらかというと、小禄御嶽の方が先にできた気がします。小禄御嶽を背にして、住宅が広がっているからです。小禄御嶽にもイベ名があるので、あの拝所のどれかにイベがあるんでしょうね。一字に二つの御嶽というのは珍しいかもしれませんが、石垣では、一つの字に9か所も10か所もありましたよ。字大浜なんか、御嶽が並んでいたじゃないですか。石垣島の御嶽は首里王府に認定されたものではなかったのかねえ。でも「石垣市史」では、御嶽の説明を「由来記」でしてましたよ。最後に沖縄ならではのおもしろ体験をひとつ。ヒージャーを探していた私。近くのおじさんに「あの~、この辺でヒージャー知りませんか」と尋ねたら、「何?ヒージャー?」「はい」「ヤギ?」「いえ、あの、水が出る方の」「ああ、そのヒージャーね。だったら下の道出て左曲がってすぐだよ」。結局ヒージャーは見つかりませんでしたが、山羊のヒージャーと樋川のヒージャーって同じ発音なんだ~と分かった次第です。ややこしや~。

 小禄ノ嶽がもともとの御嶽の感じがしますね。真玉御嶽は大昔は島ではなかったかという人もいます。でもかなりこの辺り高いのでそうなのか、疑問が残ります。真玉の名前は、王府の首里から那覇港まで軍用道路が造られ、国場川にかかる橋を真玉橋と呼んでので、これと関係はないのか? よくわかりません。
 小禄の村落を創設した草分けの家「根家(ニーヤ)」は「根屋崎山」(サチャマ)というそうなので、崎山も多いのではないしょうか。

小禄ノ御嶽「ウトゥーシ所」
この拝所の向きは、読谷村(宇座の人物「泰期」)ではないでしょうか。

 orokuさん。コメントありがとうございました。
小禄ノ御嶽の「ウトゥーシ所」の向きは、読谷の泰期だというのは、初めて聞きました。そうなんですか。意外でした。何かいわれがあるのでしょうね。
 また分かれば教えてください。

こんにちは。もしご存じでしたら、小禄の崎山拝所の場所をご教示ください。

 大城さん。コメントありがとうございました。
 私が見たのは森口公園の「崎山ニーガン」と真玉御嶽のやはり「ニーガン(崎山殿内、思いヌミザマヌ神)」だけで、「小録拝所」は見ていません。
 ネットで検索してみると、小録拝所の「場所は、那覇市字小禄526 手作りの店「ユキ(YUKI)」の裏です」と書かれていました。
 崎山拝所は、小禄地区の鎮守の神様だそうですね。
 よろしくお願いします

金満(カニマン)御嶽というのは、沖縄のあちこちにありますが、鍛冶の意味があるようです。 昔、鍛冶の技術を持っている人は農具や刀などを造れたので住民から大変崇められたそうです。泰期は小禄城(現在の小禄の御嶽)の按司だったという説があります。泰期は読谷の出身で残波岬公園には泰期の像があります。ウトゥシの向きが読谷の方向だというのは理解できました。

長嶺さんコメントありがとうございました。
おっしゃる通り、金満は鍛冶屋のことで、各地にあり、神と崇められているところもあります。
 泰期と鍛冶屋について、私はブログで他に「奥間鍛冶屋をめぐるなぞ」で、小禄按司や泰期のことを詳しく書いたことがあります。
よければそちらもお読みください。
http://rekioakiaki.blog.fc2.com/blog-entry-491.html

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