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2011年4月25日 (月)

読谷村の「ゆんた市場」で楽しむ

 農業の盛んな読谷村に、初めてJAおきなわの002 ファーマーズマーケット「ゆんた市場」がオープンしたので、訪ねてみた。読谷といえば、紅イモが特産だ。これまで読谷に行っても、農業が盛んなわりにJAの農産物の直売所がなく、民間のがあっても小さくて、イモ類が中心で野菜の種類が少なく物足りなかった。直売所ができたのは大歓迎である。読谷はかつては「読谷山(ユンタンザ)」と呼ばれていた。市場名は、この方言読みからとられている。

003 この場所は、かつては日本軍が1944年に飛行場を建設した。1945年4月1日、北谷から読谷にかけての海岸に上陸した米軍が、3日にただちに占領した。60年余にわたり米軍が飛行場として使ってきたが、2006年に全面返還されたものだ。広大な土地である。

030  今回の「ゆんた市場」は、跡地の初めての民間施設だという。跡地は読谷村の発展のために有効に活用してほしい。

 直売所は、地元でとれる新鮮な農産物はじめ地元の野菜を使った「野菜スイーツ」のコーナーもある。JAおきなわの直売所では初めて、農産物の加工施設も設置された。

 オープンセールで、野菜類も特売されているし、周辺には出店のテントが並ぶ。地元の食べ物から、やちむん(陶器)の里があるので、シーサーや食器、さらに耕運機や植木も売られていた。

017_2019   018

 ゴーヤーも今年は寒さが続いて、近所でも店頭にあまり並ばなかったが、やっと安くなりたくさん並んでいた。ドデカ大根も出ている。これは青首大根ではなく、島大根のようだ。

008 出店では、読谷の名物ポーポー(左写真)があった。おばあちゃんが売っている。小麦粉を伸ばして焼いて丸めた沖縄の伝統菓子だ。クレープのような感じで、洋菓子のような味わいがある。もともとは中国からの影響で、炮炮(ポーポー)と書く。

 少し回ってから、お昼に買って食べようと思い、後から行くと「売り切れ」だという。困ったなあと思ったら、「帰ってまた焼いてこようね」というではないか。1時間半ほどたって店にいくと、ありました。売りきれれば、家に帰って焼いてくるというのが、いかにも手作りの食物として、読谷ならではの雰囲気である。それにしても、おばあちゃん、いくつなんだろう?元気だ。

013 読谷は、登り窯があり、やちむんの里として有名である。那覇のやちむんの里だった壷屋は、登り窯から出る煙が煙害となるため、この読谷に移ってきた窯元が多い。読谷で焼いて壷屋で売る店もかなりある。そのわりには、ここに出店している人は少なかった。

 特設ステージでは、芸能も次々に披露されて、まあオープンセールだけではなく、お祭りの雰囲気である。004
 苗木の無料配布もしていて、ゴーヤの苗となでしこの苗をもらってきた。沖縄は、苗木の無料配布が多くて、わが家のベランダにある花木は、すべてこれでもらった鉢である。でもゴーヤとキュウリの苗はもらっても、すぐに枯らした実績がある。今回は果たしてどうなるだろうか?

 この会場で今回、一番の注目は、実は野菜でも、食べ物でもやちむんでもなく、船だった。
 琉球は中国皇帝に朝貢して、皇帝から琉球国王として任命をしてもらっていた。琉球から中国に使者が乗船する船が進貢船(シンコウセン)である。復元された進貢船が、会場にドンと置かれているではないか。

010_2 「がんばろう!東北」の横断幕も見える。
 自由に乗船してよいというので、はじめて進貢船に乗ってみた。021

 「この船はどこから持ってきたのですか?」と係の人に聞いた。 「これは役場の倉庫に保管してあり、お祭りの時だけ持ち出すんですよ」とのこと。年1回、「よみたんまつり」がある時には、登場するらしい。読谷のシンボルになっている。

 なぜ読谷で進貢船なのか? それは、琉球の中山国の察度(サット)王が1372年、弟の泰期(タイキ)を、はじめて進貢使として当時の明国に派遣した。泰期が実はこの読谷村宇座の出身だったいう。026
 

 中国への進貢は、それにより中国との貿易が認められるので、琉球は貿易で大きな利益をあげられた。中国、東南アジア、日本、朝鮮をまたにかけ三角貿易で、繁栄していた。もっとも盛んだった15、16世紀頃は「大交易時代」と呼ばれる。初めての進貢から、大交易時代の幕が開かれたので、泰期はいまや読谷では「商売の神様」として尊敬を集めている。
 

010

色とりどりの旗が翻っている。その中に奇妙な字が書かれていた。上の字の下に日を書く。何と読むのだろう? 係の人に聞いてもわからない。ただ、この字の下に「捧帰国」とある。「これは上の日と帰国とあるから、よい天候に恵まれて帰国できるように」という願いを込めたものではないだろうか、と勝手に推測した。係の人も「そうかもしれませんね」と言っていた。この字は、ネットの漢字辞書で調べても、出てこない。
 ちなみに、泰期のモニュメントは残波岬に2008年つくられた。

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コメント

昨日はオープン企画がいろいろあり、苗配布も、スイカ割りもスイカ試食も、焚きたてご飯試食も、黒糖配布もありました。ポーポーを売っていたところは読谷紅イモ生産部会のテントで、農協婦人部と思われる女性たち(全員が高齢者)が、手作り菓子、つけもの、味噌を売ってました。揚げたてアチコーコーのもずく天ぷらおいしかったです。売りきれたから家につくりに帰るっていうの、いかにも「すぐ近くで開店しました」って感じです。オバーは車で行き帰りしてきたんでしょうか?車運転しそうですよね。
直売所のなかは、意外と葉物の野菜や人参、ゴーヤー。さやいんげん、らっきょうなど多種でした。読谷の人たちもこういう場所ができてよかったと思います。
今後、店内で野菜の生ジュースとか野菜を使ったデザートとかを対面販売するそうですね。また行ってみたいです。
進貢船は初めて見て触るので、珍しかったです。でも実物はもっとデカイんですよね。帆を見て、「なるほど、これで風をみながら船を勧めたのだな。向かい風をとらえたのだな」と思いました。実感!
でも開店企画の時期が過ぎたらしまっちゃうんでしょうね。梅雨ももうすぐだし。

 こういうとき、どこでもJA女性部の人たちは大活躍ですね。試食もたくさんできました。ポーポーは、読谷の楚辺(そべ)が有名ですね。ポーポーは味噌で作ったアンダンスーを巻くところもあるというけれど、読谷は巻かないですね。ここの飛行場跡地は、とても広いので、家につくりに帰るのは車でないと無理でしょう。
 直売所に行くまでは、読谷で作るのはイモばかりかと誤解してましたが、いろんな野菜ができますね。飛行場跡地は今後、大半は農地として使用されるようなので、また読谷の農業振興につながるでしょう。
 実際の進貢船はもっと大きかったのかもしれませんね。開店企画が終われば倉庫で保管するでしょう。那覇ハーリーなんかも、舟はハーリーの時以外は、倉庫で保管していますよね。

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