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2011年4月10日 (日)

那覇新都心の墓跡群を見る、その2

 新都心の伊是名殿内墓以外の墓跡群は、那覇市役所銘苅庁舎のすぐ裏にある。042 何度も庁舎に来て、窓から見ていたけれど、銘苅に墓跡群があることは知っていたが、うかつにも、これがそうだと意識していなかった。「なんだ、これが墓跡群だったのか!」。自らの愚かさにあきれた。
 ここは、グスク時代から琉球王府時代、さらに明治時代に続く大規模な墓跡群である。いま、調査が続き、まだ一般市民は立ち入り禁止になっている。

 035

  説明の看板が掛けられている。
 墓跡群は、周囲を金網で囲われて、立ち入りできない。038

 このあたり、緑の森の下は崖で、洞穴のようになっている。だから、昔から洞穴を墓として利用してきたのだろうか。亀甲墓のような形の墓も見える。
 
 国指定文化財等データベースでは、次のように説明している。
 保存地区には、崖面の岩陰前面に石積みをして墓室とした囲込岩陰墓2基、琉球石灰岩の下層に堆積した粘土層に横穴を掘り込んで墓室とした掘込墓26基、亀甲墓1基がある。いずれも基本的には墓室にいったん納めて白骨化させたのち、これを清めて改めて葬る洗骨葬である。囲込岩陰墓からは36体の風葬人骨が出土し、それがその谷上に営まれたグスク時代の集落、ヒヤジョー毛遺跡と同時期であり両者が関係すると考えられる。

032_2  墓の多くには蔵骨器(厨子甕)が納められており、それに被葬者の氏名、役職、死亡・洗骨年月日などを墨書で記した銘書をもつものが他の地区よりもかなり多いことが注目される。この銘書により墓の被葬者は主に琉球王府首里の士族層であったことが確認できる。045_2  このように銘苅墓跡群は岩陰における洗骨葬がグスク時代に成立し、近世以降、掘込墓などが展開したことを示すとともに、中国から伝わった最大規模の亀甲墓があり、文字資料による具体的な被葬者が明らかにできるなど、墓跡としては極めて貴重な事例である。ここにみる墓制や葬送儀礼は沖縄地方の歴史と文化の独自性を象徴するものでもある。よって、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。047

 というわけで、とても貴重な墓跡だという。今後、整備して公開する予定だという。公開されれば、ぜひ見に来たいものである。
 ところで、墓跡群にはなぜかヤギが放し飼いにされている。草を食べている。子ヤギから大きいヤギまでいる。041

 墓跡群に立ち入れないように、周囲に金網を張ってあり、ヤギはその中にいるので、墓跡の洞穴のそばまでウロウロしている。
 数えてみると、8頭いた。ヤギにとっては、とても広い牧場のようなものだ。だれにも邪魔されず、のびのびと遊んでいる。
 なぜ墓跡群にヤギを飼っているだろうか? それはまだ謎である。

048  見に行ったのが土曜日だったので、市役所庁舎は警備のお兄さんしかいない。「ヤギは何のために飼っているんですか?」と尋ねた。「さあ、よくわからないですが、幼稚園の園児たちがよく見に来ていますよ」と話していた。

 というわけで、お墓とヤギの珍しい取り合わせでした。

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コメント

ヤギの件ですが、その昔、知花弾薬庫に核(公には認知されていない?)や毒ガス兵器があったころ、毒ガス検知と草刈役として基地の敷地内に放し飼いにされていたと聞きます。ここの場合、夏草の草刈役(及び食用?)として放されているのではないでしょうか?
それにしてもレキオアキアキさんの精力的な更新には敬服します。パックナンバーの読み返しがなかな進みませんよ~。(笑)

はいた、たいた~い!士族なのに、亀甲墓じゃなくて洞穴に埋葬された人も多かったんですか。写真で以前この古墓群を見たとき、中央に立派な亀甲墓があってその左右に洞穴墓があったように思うんですけど、いくら探しても、立派な亀甲墓はなく、小さめのやつ一つでしたねえ。墓の保存・修復も大事でぜひやってほしいですけど、戦跡もいたるところで破壊されその保存が危ぶまれているので、ぜひやってほしいです。ヤギは草を園児が食べさせてるといってましたが、違うと思いました。だって私が草をやろうとむしって手を差し出したら、そこにいた2頭は逃げて行きましたよ。餌づけされているヤギではないですね。したがって、私もhijgwaさんと同様、草刈役だと思います。墓は復元されたら見たいですね。あ、hijgwaさん、よかったら私のブログ「レキオいくぼー日記」ものぞいてみて下さいね!レキオアキアキさんのような知的刺激いっさいなし!の内容ですが。m(__)m

hijigwaさん、コメントありがとうございます。かつて米軍基地でヤギを飼っているのが毒ガス検知のためでは、と問題になりましたね。銘苅でヤギを見たとき、一瞬頭をよぎりました。おっしゃるとおり、草取りのために、放し飼いにして食べさせているのでしょうね。

いくぼーさん。いつもコメントありがとうございます。銘苅の古墓群の写真で中央に亀甲墓のように見えたのは、亀甲墓ではなく、崖を利用して、岩の前面の入口に石積みして墓室とした囲込岩陰墓というものではないでしょうか。墓跡群の中で、正式に亀甲墓とされているのは1基だけ、つまり伊是名殿内墓だけのようです。囲込岩陰墓が2基あるので、その一つだと思います。
 ヤギは餌づけされていないので、草取りのためでしょう。そういえば、ハルサーも畑の草取りのためにヤギを使うということを、たしか「あいもこ」がラジオで話していました。このヤギは、墓跡群が公開され、金網が撤去になれば、その運命はどうなるんでしょう。誰かに食べられるんですか?

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