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2011年4月 9日 (土)

那覇新都心の墓跡群を見る、その1

 新都心には、グスク時代から琉球王府時代、さらに明治まで続く大規模でたくさんの墓跡がある。銘苅墓跡群(メカルハカアトグン)と呼ばれ、国指定文化財になっている。近くて便利な所なのに、まだ行ったことがなかった。
 037 その中の、伊是名殿内(イゼナドゥンチ)の墓へはじめに行った。その名前からも分かるように、伊是名、伊平屋(イヘヤ)両島の総地頭家(上流士族)の伊是名家の墓である。銘苅の墓跡群の中でも、他の墓とはその規模と造りまで大いに異なる亀甲墓(カメコウバカ)だ。

 那覇市役所の銘苅庁舎、消防本部のすぐ西側にある。この墓は、小高い山を三面に切り取り、切り取った土で敷地を造成して造られている。敷地が660㎡という県内最大級の亀甲墓である。建造技術は、県内の墓の中でも傑出したものだという。

013 風水思想にもとづいて造られている。入口には、本007 門と中門の2つの門があり、ヤナカジ(悪い風)が直接墓に当たらないように工夫されている。

 立派な石垣で囲われている。石垣の隅には、突出した石が置かれている。「隅頭」(スミカシラ)という。あたかも、上級士族の屋敷の囲いの石垣のようだ。022

 墓の庭に入ると、左手に石積みの穴がある。これは、葬儀に用いた用具などを処分するものだという。009

 012

 正面の右手には、棚のようなものが設けられている。これは、土地の神であるヒジャイ(后土神=コウドシン)を祀る祠らしい。011

 石垣がとても面白い積み方をしている。正面は、長方形の豆腐を積むような布積みである。018

 両サイドの石垣は、石を亀の甲のように組み合わせる相方積みだという。それにしても、一つ一つが扇のような形や半円型のように曲線に加工された石を積んでいる。019 とても手間のかかる石積みである。

 周囲の石垣も上にのせた隅頭の写真でみるように、石垣が少しカーブしている。手が込んでいる。

 墓を上部から見た写真があった。これをみると、より全体像がよく分かる。036

 墓の上部の円形になっている部分の周囲に、細い通路のようなものがある。何のためなのか、よくわからない。掃除のために墓の上に上がれるようにした通路なのか、雨が降った場合に、水が流れ落ちる水路なのか。わからないが、きれいに整備されている。023

 伊是名殿内には失礼だけれど、せっかくだからこの通路を通って上に上がってみた。

 正面には、半円形の大きな柱のようなものがあり、四角に切られた石積みと巧みに配置されている。

029  亀甲墓は、17世紀に中国南部から伝わり、琉球の士族階級に広がり、18世紀代に琉球で独自の発達をとげて完成された。この伊是名殿内の墓は、18世紀代の様式のものであることがうかがえるという。説明文にすべて書いてある。004

 いま那覇市の新都心としてにぎわう、おもろまち、このあたり一帯は戦後、米軍基地だった。住宅施設として使用されていた。

 1987年(昭和62)に全域が解放された。多くの古墓が存在することが知られていた。伊是名殿内墓とここから約100㍍東の墓跡群が保存地区にされている。

 長くなったので、ほかの銘苅墓跡群は次にしましょうね。

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コメント

伊是名家はペーチンですか。ウエーカタですか。随分立派な墓ですねえ。当時の石細工の粋を集めた傑作ですねえ。中には何体分の骨が納められているのでしょうか。ヒジャイはあそこの石のことだったんですか?墓の手前左にあった、自然の岩のことだと思った。風水だとあの向きがいいんでしょうかね。ほかの古墓群と反対の向きに建っているようですが。県内最大級の亀甲墓というけど、糸満の幸地腹門中の墓も大きいですけどねえ。古さでいえば、県内最古の最大の亀甲墓といえるんでしょうけど。それにしても米軍住宅地に接収されていたのに、よくアメリカーはこの墓を壊しませんでしたね。草ぼうぼうだったところを見ると、ここではウシーミーはやらないみたいですね。

 殿内を持っていて総地頭だったのだから、親方(ウェーカタ)ですね。亀甲墓そのものは、いまみてもこれと劣らない大きい墓があるけれど、墓の本体から石垣まで造形は他では見ないほど見事ですね。よほど財力もないとこれだけの亀甲墓は造れないでしょう。
 ヒジャイは、説明文では、墓の前の石ではなく「正面右手に土地の神であるヒジャイを祀る祠が見られます」とあるので、この写真の場所が正面右手になるので、これだと思います。
 古墓群は、川沿いの低地にあり、米軍の住宅地には不向きだったでしょう。それにしても、新都心のあたりは、沖縄戦で激しい戦闘のあったところなのに、よく破壊されずに残りましたね。ウシーミーをやる時は、草刈、掃除はするでしょうから、やるかもしれませんよ。

新都心のお墓を検索していてこちらにたどり着きました。
ブログで先日訪れたお墓のことをブログにUPしたのですが、
こちらの説明が大変詳しくわかりやすかったので、リンクさせていただきました。
リンクのご許可がいただけないようでしたらすぐに削除致します。
メールにてご連絡いただければと思います。
事後報告になり申し訳ございませんm(_ _)m

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