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2011年5月 1日 (日)

戦世の唄を歌う

 知り合いのHおじいが「これいい唄だよ。歌ってみないか?」と言って、工工四(クンクンシー、楽譜)をくれた。題を見て少し、ギクッとした。「国の花」とあるからだ。「これって、民謡軍歌じゃないのか」と思った。つまり「国の花」とは、軍人のことを指すだろう。副題には「国の宝」とある。おじいは「とっても味があるからよー」と言う。すぐ歌ってくれたが、情け唄である。沖縄の民謡の場合、戦世(イクサユ)の時代の唄でも、大和で言う軍歌とは、まったく異なる。軍人の妻や家族の悲哀を歌った曲がいくつかある。かつては、戦争賛美の民謡軍歌も、つくられていたが、それはもうまったく忘れさられている。でも、そういう類の軍歌ではないから、現代でも歌われている。
 下の写真は、宜野湾市にある戦没者を祀る「森川之塔」。文章とは関係ない。031_3

 「国の花」の歌詞を紹介する。
♪親(ウヤ)ぬ染(ス)みなちぇる 枕我(ワ)ね捨(シ)ててよ 軍人ぬ里(サト)と契りさしが
 聞(チ)ちぶさや里が 里が便り
♪里や白雲(シラクム)い 風吹ちゅるままによ 今(ナマ)や北満ぬ草葉枕 国ぬ花でむぬ
  我(ワ)んや泣かん
♪千里(シンリ)離りてん 夢路(イミヂ)あら里前(サトメ)よ 夢(イミ)に夢しぢく 知らちたぼ
 り 国ぬ花でむぬ 我んや泣かん
 歌意を自己流で紹介する。
・親の情けが染み込む枕を私は捨てて 軍人の彼と契りを交わしたが そうしているのだろう
 か 聞いてみたい 彼の便り
・彼は、空に白雲が浮かび風が吹きわたる 中国東北部で今や草葉を枕にしている
 軍人は国の花だから 私は泣かない
・千里も離れているが 夢路あれば愛しいあなた様 夢のすみずみに 無事であることを
 知らせて下さい 国の花だから 私は泣かない

 実は、この唄のことや歌詞は、ブログにアップしてある「戦世と平和の沖縄島唄」の中で、書いている。関心のある方は、そちらものぞいてみてほしい。でも、工工四は持っていなかったので、歌ったことはなかった。歌ってみると、なかなかしっとり情感のこもった曲である。作曲者をみると、川田松夫とある。川田さんといえば、首里の士族と遊女の恋愛を歌った名曲「西武門節」(ニシンジョウブシ)の作者である。
 軍国主義一色の時代の曲だから、軍人を「国の花」を讃えているが、唄の内容は軍人を讃える曲ではない。国の為ということで出征したまま、便りもない彼を思い、夢でもいいから無事であることを知らしてほしいと願う。心配で寂しくてたまらない心情を込めながら「私は泣かない」とけなげに言うしかない。彼女の辛い、切ないい気持が切々と胸をうつ。こういう内容だから、今日でも歌い継がれているのだろう。012_3  写真は三重城(ミーグシク)から那覇港方面を望む風景。戦前、軍人は那覇港から出征していったという。

 この曲と、とても曲想が似ている民謡がある。「軍人節」である。これはサークルの練習曲に入っている。
歌詞を紹介する。
♪無蔵(ンゾ)とぅ縁結(インムシ)でぃ 月読(チチユ)みば僅(ワジ)か 別りらねなゆみ 国ぬ為でむぬ 思切(ウミチ)り 思無蔵(ウミンゾ)よ
♪里や軍人ぬ 何(ヌ)んち泣ちみせが 笑てぃ戻(ムドゥ)みせる 御願(ウニゲ)さびら 国ぬ為
 いちいもり
♪軍人ぬ務(チトゥ)み 我(ワ)ね嬉(ウリ)さあしが 銭金(ジンカニ)ぬ故(ユイ)に 哀りみせる
 母親(ファファウヤ)や 如何(イチャ)がすら
♪例い困難(クンナン)に繋(チナ)がりてぃ居(ウ)てぃん 御心配みそな 母親ぬ事(クトゥ)や
 思切(ウミチ)みそり 思里前(ウミサトゥメ)
♪涙ゆい他(フカ)に 云言葉(イクトゥバ)やねさみ さらば明日(アチャ)ぬ日に 別りとぅ思(ミ)ば
 此(ク)の二人(タイ)や 如何(イチャ)がすら

 歌意を紹介する。
・彼女と結ばれて月日はまだわずかなのに 別れなければならない 国のために諦めてくれ
 愛しい彼女よ
・あなたは軍人 なんで泣きますか 笑って戻ってくださるよう お願いしましょう 国のために
 働いて下さい
・軍人の勤め 私は嬉しいが 銭金のことで苦労する 母親のことはどうするのか
・たとえ困難に陥っても 心配しないで母親のことは 忘れてください あなた様
・涙よりほかに言うことはない さようなら 明日の日に別れと思えば この二人どうなるのか
 私たち二人はこれからどうなっていくのだろうか 
 やはり、軍人になったことは嬉しいといいながら、彼は「国のためだから諦めてくれ」と言い、彼女は「なんで泣きますか 国のため働いて下さい」と送る。しかし、彼女と母は夫の無事を願い、彼は残していく母と彼女の苦労を心配する。「この二人どうなるのか」という最後の歌詞は、男女がいっしょに歌う。母と息子、彼と彼女が引き裂かれる、別れの辛さが歌われる。
 この曲は、普久原朝喜(フクハラチョウキ)の作詞作曲である。ひとつの厭戦歌とも見られている。はじめの頃は、とてもまだ歌うのに抵抗があったが、歌詞の中味をかみしめると、大分抵抗感が薄らいで歌えるようになった。
 というわけで、戦世の唄も何曲かは歌っている。同時に、戦後つくられた平和の島唄も歌っていることはいうまでもない。

 

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コメント

タイトルが「国の花」とか「軍人節」だから余計抵抗があるんじゃないですか。たしかに歌詞は別れの辛さ、残していく家族への情愛を歌ったものですが、「お国の花ですもの泣きません」「お国に為に働いて下さい」とかという軍歌に必ずある歌詞が入ってます。戦意高揚の唄ではないですが、やっぱり軍歌色はあると思いますが・・・。Hさんはどういうところが気に入っているんでしょうね。情け唄ならほかにいいのがたくさんあると思いますけど。世代ですかね。

 いずれの曲も、軍事一色の時代で、沖縄からもたくさんの男たちが出征していったので、県民の間でたくさんの母や妻ら家族が哀しい別れを強いられてので、その状況が歌われたので、「国のため」とか出征自体は肯定した内容でなければ、非国民といわれるから、そういう歌詞になったのでしょうね。
 Hさんは、歌詞よりもメロディーが気に入っているでしょう。

久しぶりにコメントを書きます。
こちらは3・11の大地震と大津波で大きな痛手を受けました。私自身はほとんど無傷でしたが、縁者を4人、亡くしました。自分はなんの被害にも遭っていないのに、どこか重い気分を引きずっているのは何故なのか…。
それに比べて楽天的な南の島の生活のなんとうらやましいことか。毎日のブログを読み、そんな気分を抱いていました。
きょうの「戦世の唄…」には、なんとなく心引かれました。戦という重いものに押しつぶされそうになりつつも、思いを寄せ合って生きようという「歌の主人公」たちに、いまの自分の思いが重なったのでしょうか。
なにも感傷的になったり、落ち込んでいるわけではありません。元気に日々を生きています。
でも、人間の心のありかたというのは、自分でも分からない不思議なものがあるものです。
これからも、南国の明るい、生命に満ちたブログを発信してください。私は、そのなかから琴線に触れたものに対して返信していきます。

43度の久米仙の盃を傾けながら…。乾杯!

宮城のツブヤキさん。コメントありがとうございました。
縁者の方が4人もなくなったとは、お見舞い申し上げます。被害を免れた方も、同じ地方で痛ましすぎる受難を目の当たりにし、余震は続き、精神的にもダメージを受けたり、健康を害する人も出ていると聞きます。人間誰でもこんな大震災に直面すれば、そうなるだろうという気がします。
 沖縄もいつ地震、津波が来るかもしれません。津波がくれば、サンゴ礁の島までは逃れる高台もない所もかなりあります。宜野湾市では、高台は米軍基地なので、基地が避難の障害になっている現状もあります。
 ただ南の島らしいのは「なんくるないさー」的な気質があり、あまり深刻に考えすぎない面もあります。「戦世」で沖縄中が廃墟のようになったのは、ある意味、今回の大震災と状況的には似た点があります。戦災からの復興でも、芸能や笑いが気持ちを奮い立たせる武器になったとも言われます。
八重山を含め沖縄ではたびたび、災害と飢餓、人頭税の重圧、大津波、戦災と繰り返して災難を受けてきたけれど、古謡、民謡、芸能は悲嘆にくれたり、暗すぎるものは見当たらず、涙を越えた美しさ、哀しもを越えた明るさがあります。このあたりのたくましさ、楽天性がスゴイところだと感じます。
これからもよろしくお願いします。
 

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