沖縄のハーリーの起源の続き
那覇ハーリーが3日から始まったが、沖縄はあいにく梅雨入りして天気が良くない。だからハーリーをまだ見に行っていない。ハーリーの起源の続きで書いておきたいことがある。
中国から龍船競争が琉球に伝わった話は前回、書いたが、中国の龍船競争の起源はどうなっているのだろうか? これにはよく知られた由来がある。中国が紀元前の春秋戦国時代、楚(ソ)の政治家で名高い詩人、屈原(クツゲン)にまつわる伝説である。
屈原のことは司馬遷(シバセン)の名著『史記』に列伝があり、読んでいた。でも、屈原が龍船競争の由来にかかわることは、沖縄に来るまで知らなかった。「エッ、ハーリーになぜ屈原なのか!」。とっても意外な感じがした。 写真はいずれも2010年の糸満ハーレーのもので、文章とは関係ない。
屈原は、当時の秦(シン)の張儀の謀略に楚の懐王が騙されようとしているのを見抜いて王を諌めたが、聞き入れられない。その後さらに政界から追われ、ついには楚の将来に絶望して入水自殺した。「世はことごとく濁れるに、清らかなるはわれひとり⋯⋯さればこそ、放逐の身にされたるぞ」と語ったという。「石をふところにするの賦(ナガウタ)」を作り、実際に石を懐に入れて入水したという。
ここまでは、龍船と関係ない。入水した屈原を村人が救おうと、魚が屈原に寄りつかないように太鼓を叩きながら船を出した。また魚が体を食べないようにちまきを放り投げたとも伝えられる。これが龍船競争、ドラゴンボートレースの由来だという。香港では、レースをする時期に、ちまきを食べる習慣もあるそうだ。
龍船競争は、中国でも長江から南の地方が盛んだという。各地に広がったのは、本当に屈原に由来するのだろうか? 屈原が死んだのは、もう2200年以上も昔のことだ。
司馬遷が書いた『史記』の屈原の列伝には、龍船の由来にかかわる逸話はなにも出ていない。後世の人が付け加えた逸話かもしれない。
また前回書いたように、比嘉政夫先生の話では、中国の龍船競争の源流は、中国内陸部の湖沼や河川に結びつく農耕民族のものだという。
ちなみに、比嘉先生は「沖縄民族文化の特性」の論考の中で、龍船競争の機能について、台湾の研究者の考察を紹介している。それによると、龍船競争には6つほどの機能というか役割がある。
①雨乞い②豊作祈願③水神祭④水死者の鎮魂⑤厄除祓災⑥屈原を救う。
つまり屈原にかかわることは、最後に出てくる。ほとんどは、農耕の豊穣を願う雨乞いや豊作祈願や鎮魂、厄払いのための行事であるということだ。
龍船の「龍」そのものが「雨をもたらす」「多産をもたらす」「水を司る」などといった呪力を持つと考えられているという。だから、由来については、屈原の伝説があるとしても、龍船競争が各地に広がり、盛んに行われているのは、雨乞いや豊作、豊漁、航海安全など、それぞれの民衆の願いごとを託す行事として、発展してきたのだろう。沖縄でハーリー、ハーレーが広がったのも、屈原とは直接、関係はない。いまは、大漁や航海安全などを祈願する海人の祭典とされている。まあ、由来を詮索するより、なにより祭りを楽しむことである。
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コメント
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でもだいたい那覇市や市の観光協会のパンフレットにある「那覇ハーリーの由来」には、屈原とは表記していないものの、はるか2000年前、中国で亡くなった名高い詩人の死を悼んで当時の中国の王がはじめたもので、琉球王府時代の中国への留学生がこれを見てきて報告し、琉球でも船を浮かべて摸したのが起源と書いてありますよ。爬龍船競争でちまき食べるなんて知りませんでした。沖縄県内のハーリー、ハーレーではサバニを使っていますが、「ハーリーの起源の地」だといっている豊見城市のハーリーでは、爬龍船をわざわざ本物に近いものにするために、中国で作ってもらいましたよね。
今年はハーリーの本番に梅雨に入り、毎日雨続きなので、本来の由来である①雨乞いにちょうどよかったですね。でもだれも起源が雨乞いや豊作だと思ってないから、ラジオなどでは「せっかくのお出かけが雨でおじゃんになった」「ハーリー見物が大変だ」と言ってますね。旧暦でいえば、ユッカヌヒーに雨を迎えてゴガチウマチーといわれる稲の豊作を祈る祭りにつながっていくのでしょうね。
投稿: いくぼー | 2011年5月 4日 (水) 07時38分
ちまきの始まりは、屈原の体を魚が食べないように、食べ物を水に投げ入れたことからだといわれてますよ。豊見城市では、ハーリー発祥の地として爬龍船を中国で製作したけれど、たしか比嘉先生は爬龍船ではなくサバニを使ったのではないかと話していました。どうでもよいことですが。
沖縄の梅雨は、那覇ハーリーの後始まり、糸満ハーレーなどのある旧暦5月4日(ユッカヌヒー)に明けるといいます。でも今年は6月5日がこの日なので、梅雨明けには早すぎますね。
投稿: レキオアキアキ | 2011年5月 4日 (水) 08時20分