国頭村安田の神アシャギを見る
国頭村(クニガミソン)に行った際、かつては「陸の孤島」と呼ばれた東海岸の集落、安田(アダ)に行ってみた。地図では、右端の太平洋岸に安田の地名が見える。
「安田には有名な祭りのシヌグがあるなあ」と思いながら、集落の中を回っていると、あった、あった、シヌグ祭りの際、使われる神アシャギがあるではないか。まるで、縄文時代の住居を思わせるような建物なので、すぐ目にとまった。
安田のシヌグは、沖縄でもお祓いの行事の古い姿をとどめていることで知られる。1978年に、国の重要無形民俗文化財として指定された。藁ぶきの建物は、神アシャギと呼ばれ、いわば拝殿みたいなもの。ここで祈願が行われる。
アシャギは、沖縄本島の北部の各地にあるが、すでに建物はコンクリート造りなどに建て替えられ、安波の集落のアシャギは、まるでギリシャのパルテノン神殿のような建築である。
安田も2004年改築されたけれど、もとの古い姿のままで改築されている。こういうアシャギは、もう安田でしか見れない。
安田に行く際、シヌグのことは気にしないで行って、たまたま行きあった。シヌグは、男が山に入り、木の枝や葉を体に巻きつけ降りてくる異様な姿が印象に残っている。
シヌグのことを聞こうと思ったが、神アシャギのある安田公民館には誰もいない。都合よく、そばに安田協同売店があった。協同売店とは、通常は共同売店と書く。交通不便だった北部の各地には、個人経営ではなく、集落の住民が共同で経営する商店がどこにもある。共同コンビニのようなもの。住民の必要とする食料品、日用品が売られている。店の女性に尋ねた。
左写真は、神アシャギの内部
「今年はシヌグは何時ですか?」「旧暦の7月の初亥の日にあるので、今年は7月31日から8月1日までのはず。今年は山登りのあるウフシヌグ(大シヌグ)ですよ。山登りは2年に1回。山登りがないい年はシヌグンクヮー(シヌグ小)。山登りは、男たちが3カ所の山に入り、草木をさして、太鼓を合図に『エー・ヘー・ホーイ』と掛け声をかけながら帰ってくると、待っていた女性たちにお祓いをする。最後にみんな浜に行き、身につけた草木を海に流す。いまはもう海に流さないですけれどね。夕方からアサギマー(拝所広場)で、ウシデーク(古い舞踊)を女性たちが舞うんですよ」。
安田のシヌグについては、宮城鉄行氏著『国頭村安田の歴史とシヌグ祭り』が詳しい。シヌグの写真もたくさん収録してある。写真は宮里昇氏。
沖縄では、霊力を持つのはだいたい女性で、祭りの拝所で祈願するのはノロ(神女)など女性である。でも安田のシヌグは、村の男たちが山に入り、セジ(霊力)を授かり、一日神として、村を祓い浄め、部落の発展と安全を祈願するという。
国頭村は、広大な山原(ヤンバル)の森が広がっている。ただし、いまは米海兵隊の演習場が居座っている。
なぜ、山ヌブイなのか? それは「昔の安田の富の源泉は山にあり、山の幸が大きな比重を占めていたであろう」。安田は、造船、家屋建築などの材木を首里・那覇や、他の島に運送販売し、それで得た資金で生活物資を買い入れていたという。「したがって、山を大切にする思想、畏敬(イケイ)の念は自然に成長し、これが信仰、祭りのかたちになったのが、山ヌブイに代表されるシヌグ祭りである」(宮城著書から)。
女性たちによるウシデークの踊りは「山のセジによって祓い浄められ、晴ればれとした女性たちの感謝と喜びを体現した舞踊であろう」(同書)
一度、山登りのあるウフシヌグを見てみたい。その日は、都市部に出ている安田出身者も、帰ってきて大勢参加し、にぎやかな祭りになるそうだ。「それに、報道の人たちもたくさん来ますよ」と協同売店の女性は言う。 今回は、神アシャギを見れただけで満足だった。
神アシャギのある広場の隅に、歌碑があった。琉歌が彫られている。
「生まりしま安田に 桜花咲かち しまぬいやさかゆ 共に願わ」
われらが生まれた安田に 桜花を咲かせ このシマ(地域)が大いに栄えることを ともに願おう、という意味だろう。
昭和16年生れ 安田出身者(ハブ会)が寄贈したものだという。郷里への愛情が込められている。
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コメント
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こういう藁ぶきの神アシャギは、沖大の民俗講義のとき波平先生が持っていた、白黒の写真を見せてみらっただけだったので、実際に見ることができた時は感激しましたね。だけどアシャギは中は天井が高いのに、なぜ軒が低いんでしょう。ウフシヌグで山ヌブイした男性の恰好は、宮城鉄行さんの本にある写真を見るとまるで宮古島のパーントゥみたいです。パーントゥも厄払いの神だそうですから、共通しているのかもしれませんね。アサギマーでは男たちが山から帰った後、稲を植えるようなしぐさで踊る踊りをして豊作祈願もするそうですよ。シヌグ自体は北部を中心に各地でおこなわれているようですが、安田のシヌグのように、伝統的な形で残っているところは少ないのかもしれませんね。アシャギが昔の形で残っているところが少ないように。「安田のシヌグ」の碑もアップしてください。
投稿: いくぼー | 2011年5月25日 (水) 08時00分
安田の神アシャギを見ると、古くからの住民の祭りと祈りの心がわかる感じがします。シヌグは、北部各地にも残ってはいるけれど、どこも時代を経て変わってきていて、期間も昔は4日ほどやっていたのが、3日になり2日になり、いま1日だけのところもある。安波など山登りももうなくなったと聞きます。安田のシヌグが、素朴で伝統的な祭りの姿が残っているから、無形民俗文化財に指定されたのでしょうね。
ヤマヌブイした男が草木を身につけた姿は、宮古のパーントゥとそっくりですね。厄払いというのも共通していますね。やっぱり実際のシヌグを一度見てみたいですね。
投稿: レキオアキアキ | 2011年5月25日 (水) 08時08分