民謡「恋の花」と薬師堂、余聞
那覇市の波上宮の「なんみん祭」のことを書いた。その中で「恋の花」の歌詞にある「薬師堂」とは何を意味するのか、私見を書いた。これについて、民謡の仲間に聞いてみた。
「恋の花」なかで薬師堂は次のように歌われる。
「♪波之上(ナンミン)に行ちゅみ 薬師堂に行ちゅみ 慣れし薬師堂や ましやあらに」
(波之上に行こうか 薬師堂に行こうか 慣れた薬師堂の方がよいのでは)
Hおじいに「この薬師堂というのは薬師如来をまつった仏堂のことですか?」と尋ねた。「うーん、薬師堂というのはあまり聞かないね」。それを横で聞いていたTおばあが「薬師堂という芝居があるよ。観たことあるさあ」と言ってきた。
「そうらしいですね。伊良波尹吉(イラハインキチ)さんの作った沖縄歌劇で、沖縄5大悲劇の一つといわれていますよね」。「そうねー。悲劇があるのかねえ。この薬師堂は芝居を観に行こうということなのかなあ」。Hさんもよく分からない様子だ。
そこへ、前にいたUさんが割り込んできた。「薬師堂と言う地名があるんだよ」。「そのようですね。このお芝居は、薬師堂の浜で男が娘さんを見染める話しなので、薬師堂という場所は浜辺なんですね」と聞いてみた。「ああ、薬師堂はね、アメリカのペリーが上陸したところだよ。いまは那覇軍港になっているさあね」。
ここでペリーが登場するとは意外だった。ペリーは、日本に行く前に琉球にやって来た。1853年5月26日に、琉球王府の反対を押し切って、那覇港から上陸して、強引に国王のいる首里城を訪れた。158年前のことだ。
そういえば、那覇港に近い山下町や小禄、金城の付近には「ペリー内科」「ペリー歯科」「ペリー美容室」「ペリー保育園」などやたらペリーの名前のつくところが多い。まあこれは、話の本筋とは無関係の余談である。
<注>その後、資料によって、薬師堂があったのは、現在の那覇軍港ではない。いまの通堂町であることがわかった。でもおじいの話なので、そのままにしておく。
沖縄歌劇「薬師堂」は、若者が旧暦3月3日の「浜下り(ハマウリ)」という潮の干満が大きい日に、学友とともに薬師堂の浜に出かけて、美しい娘、鶴(チルー)を見染める。その後、毎夜のように彼女の屋敷に忍んで行き、逢っていたが、親に見つかり鶴は勘当される、というような物語だ。ただ、まだ観たことはない。浜下りに若者たちが出掛けるような、よい浜辺だったのだろう。
薬師堂が地名だとすれば、歌の意味が「♪波之上に行こうか、薬師堂の浜に行こうか、慣れた薬師堂の浜がいいよ」ということになる。「波之上」というのも地名であり、薬師堂も地名ということはありうることだ。薬師堂の地名があったとすれば、これは沖縄の固有の地名ではない。かつて、昔にこの付近に薬師堂が実際にあったのだろうか。でなければ、薬師堂と言う地名があるのが不思議だ。真相はまだ分からない。
そこに新たな解釈がまた表れた。隣にいたKおじいが口を挟んできた。
「前に詳しい人に尋ねたことがあるよ。薬師堂というのは、実際にはないんだって。だから架空のことを歌っているそうだよ」。「えっ! そうなんですか。薬師堂という仏堂は聞かないからないというのはその通りだと思うけれど、ない物を空想で歌っているんですか!」。驚いてそう聞き返した。「オレも、わざわざ詳しい人に尋ねてみた。だから、ないから架空のことなんだって」と重ねて言う。
そういえば、一番の歌詞に「♪庭に雪が降り、梅の花が咲いている」というのも、沖縄では見ることのできない架空の風景である。庭に雪がふり梅が咲くという、大和的は風景を描いている。薬師堂も沖縄にはないけれど、大和にはよくあるから、薬師堂のことを知って歌詞に盛り込んだのだろうか?
でも、こんな具体的な建造物を、架空で作るということがありうるだろうか。まだ疑問がある。というわけで、薬師堂については、芝居も地名もあることが分かった。歌の歌意としては、Kおじいが確かめたとのことだから、それが一番確かなことだろう。
ただ、地名や沖縄歌劇に置き換えても、歌としては立派に通用する。いろんな可能性を想像してみるのも楽しいかもしれない。
追記(2011.5.25)
前に薬師堂の話をしておいたHさんは、民謡研究所に通っているが、そのお仲間に薬師堂のことを聞いてくれたそうだ。
「あの薬師堂というのは、遊びに行くところだったそうだよ。だからやっぱり地名だね。近くに遊郭のある渡地(ワタンヂ)などもあった。ジュリ(遊女)を連れて遊びに行くところだったそうだよ。だから、歌詞に、波之上にいくか薬師堂に行くか、と歌われた。いまは、その場所はなくなって分からないが、昔は薬師堂と言えばすぐ分かったんだろうね」。どうもこの解釈が一番あたっているかもしれない。
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コメント
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私はKおじいさんの「架空」説を支持します。いま物語のあらすじをもう一度読んだら、沖縄に雪が降るというのも架空ですが、そもそも「浜下り」の日に若者が遊びに行くのが事実と違います。「浜下り」の行事は純然たる女性固有の風習であり、女性が年に一度、海水に身を浸して不浄を清めるものです。そのあと女性たちが芝居見物に繰り出して一日遊ぶことが許された日です。男性も含めた若者一般が浜に降りて身を清め、遊びに興じる日ではありません。旧暦3月3日を挟んで、「サングヮチャー」をやる地域もありますが、あれは遊ぶことが内容ではなく、大漁と航海安全を願う行事で、これまた若者が遊ぶ風習でもないですね。だから「恋の花」の薬師堂は創作ではないかと推察します。ではなぜ「薬師堂」という固有名詞がついたのか、というのはわかりませんが。
投稿: いくぼー | 2011年5月18日 (水) 07時59分
薬師堂は、なかったけれど架空で作ったというのは、まあ民謡の歌詞も創作なので、ありうることだとは思います。芝居の「薬師堂」の物語は、これも創作ですから、「恋の花」と歌詞とは関係はありません。ただ、薬師堂という浜辺が登場し、男性が浜下りで浜に来ていた娘を見染めたというので、この浜がそういう浜下りなんかによい場所だったのだな、ということを想像しただけです。浜下りはおっしゃる通り、女性が浜で身を清める日ですよね。芝居で、男が浜下りの日に、薬師堂の浜に行ったというのは、娘さんたちが来ているので、それが目当てだったのでしょうか? この付近は那覇軍港で広く米軍基地とされ、面影がないのは残念です。
やはり沖縄歌劇の名作「泊阿嘉」も、樽金(タルガニ)という若者が「浜下り」の時に、思鶴(ウミチルー)を見染める悲劇ですね。
投稿: レキオアキアキ | 2011年5月18日 (水) 08時22分