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2011年5月16日 (月)

波上宮の「なんみん祭」を見る

 那覇市の由緒ある波上宮(ナミノウエグウ)の伝統ある祭り「なんみん祭」があった。5月17日が例大祭で、その前15日に、おみこし行列があった。波上宮からパレットくもじ前まで歩いた後、イベント広場で奉納演舞など披露された。
   波上宮は、琉球王朝の時代は、王府の信仰が厚く、国家の平安と繁栄を祈願していたとかで、琉球八社の第一位にされていたという。戦前は、官幣社とされていたので、「なんみん祭」はとてもにぎやかで、小学校なども休みになるほどだったという。
 014  おみこし行列では、大太鼓が「ドーン、ドーン、ドンドンドン」と打つ。昔は子どもたちが「なーん、なーん、なんみんさい」とはやしてついて歩いたそうだ。行列は、大きいみこしから小学生の担ぐ小さいものまで3つもある。006  みんな楽しそうに担ぐ。先頭の人はときおり、バケツから水を汲んで振り掛けている。獅子も歩き、いっしょに天狗も歩いている。沖縄に来て天狗を見るのは初めてだ。002_2 ただ、沖縄の祭りにはつきものの歌三線がない。どこか大和めきたる印象がある。それは多分、この波上宮そのものと関係がありそうだ。090_2
 

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 波上宮は、海に突き出した小高い崖の上に神社がつくられている。「古くは、沖縄独特のニライカナイ信仰(海の彼方から幸福をもちくる神々に祈る)に始まる」と鳥居の下の波上宮の説明文に書いてある。海の眺めの良い崖の上なので、古来、ニライカナイの神々に祈願するには、うってつけの場所だったのだろう。
 

 その後、神のお告げにより琉球王府が熊野権現三神を祀ったという。王府だけでなく、庶民にも「なんみんさん」と親しまれたという。
 沖縄の伝統行事はすべて、旧暦で行われるのに、「なんみん祭」だけは新暦で5月17日が例大祭と決まっているのも、戦前に官幣社とされた名残りがあるようだ。
 沖縄戦では、やはり焼けて戦後、1953年に本殿、社務所など再建したが、これには戦前に移民としてハワイに渡った人たちの支援があったという。ここにも、沖縄の歴史が刻まれている。

 波上宮といえば、「恋の花」という有名な古典民謡がある。042
「♪庭や雪(ユチ)降ゆい 梅(ウンミ)や花咲ちゅい 無蔵(ンゾ)が懐(フチュクル)や 真南風(マフェー)どぅ吹ちゅる」(庭には雪が降り梅の花が咲いているが 彼女の懐は南風が吹いている)
 とても艶っぽい歌である。ただ、庭に雪が降り梅が咲くとは、沖縄ではありえない風景だ。この琉歌も大和めいている。このあと3,4番に波之上が登場する。
「♪波之上(ナンミン)に行ちゅみ 薬師堂に行ちゅみ 慣りし薬師堂や ましやあらに」(波之上に行こうか 薬師堂に行こうか なれた薬師堂の方がよいではないだろうか)
 デートに行くにはどこが良いかな、と歌っている。波之上は波上宮が名所だから分かるが、薬師堂が問題である。薬師堂といえば薬師如来を本尊とする仏堂と思うけれど、那覇市で名高い薬師堂があったとは聞かない。寺ではないが「薬師堂」という沖縄歌劇がある。沖縄五大悲劇の一つで、薬師堂の浜で美しい娘を見染め逢引きを重ねるが親に見つかり娘は勘当されるというストーリーだ。明治から昭和にかけて活躍した伊良波尹吉(イラハインキチ)の作である。もしかして、「波之上に行くか、薬師堂の芝居を見に行くか、慣れた薬師堂の芝居の方がよいのでは」という意味かもしれない。

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「♪波之上ぬ開鐘(ケジョウ)や首里の開鐘とぅ思てぃ 里起(サトゥウ)ちやらち 我肝(ワチム)やむさ」(波之上の鐘の音を首里の鐘の音だと思って 彼氏を起こして行かせてしまうのではないか、と私の心を痛める)
 波之上は、すぐ近くに有名な辻の遊郭があった。首里から士族が遊びに来ていた。多分、士族の彼氏が好きな遊女のもとに泊ったけれど、波之上には護国寺もあり鐘をつくのだろう。その鐘の音を聞いて、自分の家のある首里の鐘の音だと思って、目を覚まして急ぎ帰ってしまうのではないか、と彼女が気をもんでいるのだろう。そんな様子がうかがえる琉歌である。いずれも恋歌だ。
 写真は、「なんみん祭」で撮ったもので、文章とは関係ない。

 ついでに、「恋の花」には八重山にそっくりの古典民謡がある。新城島「クイヌパナ節」という。「恋の花」のような艶っぽい恋歌ではない。新城島のクイヌ端の物見台に登って浜崎を見れば「マカ」が布を晒している大石に登って干瀬を見れば「松」が章魚(タコ)を採っている。松はタコを「クヤ」という2号に渡した。これを見ていた本妻ペーマは⋯⋯ というようなお話だ。もう「恋の花」とは、まったく関係がない。というか、元歌の旋律をベースにして、まったく別の歌詞の歌をつくったということだろう。こういう例は、とっても多い。ごくフツーの出来事である。

063 もう「なんみん祭」とはまったく関係のないオタク話になってしまった。もう一度、「なんみん祭」の奉納演舞から写真だけ紹介しておきたい。上は獅子舞。波上宮獅子舞保存会や首里末吉獅子舞保存会など次々に獅子舞を披露し、合計9頭も出てきて壮観だった。078 子どもたちのエイサーもとっても楽しそうだった。子どものエイサーは、女の子ばっかり。男の子は、なぜか一人しか見なかった。

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コメント

古典にも「恋歌」があるって初めて知りました。内容もなかなかリアルでまるで民謡の男女のかけあいの恋唄みたいですね。「薬師堂」っていう芝居があったのも知りませんでした。波之上が舞台なんですか。辻といえばジュリ、なんみん祭の奉納演舞でもジュリ馬がありましたね。波之上宮を初めて見ましたが、天皇の銅像があったのには嫌な気がしました。でもお守り買いましたけど。ちょうど「厄払いの年齢」というのが出ていて、父の年84歳が出ていたので、社務所でお守りを買うとき、「厄払いのお守りはありますか」と聞いたら、「お守りはありません。厄払いはこちらに来ていただいて宮司が行うものです」といわれました。なんか年初めからお守りばっかり買ってるなあ。
なんみん祭は地元の人に愛されていますね!みんなチムドンドンしてましたよ。

 「恋の花」は歌ってもとても味わいのある曲です。八重山の「クイヌパナ節」が元歌のようですが、これはこれで旋律と歌詞がぴったり合っていて、見事です。でも、子どもが歌うこともあるけれど、歌詞の内容はどこまで分かるんでしょうか。
 波上宮の隣には護国寺があり、こちらも由緒ある寺ですね。19世紀に宣教師のベッテルハイムが琉球にきた時、この寺に留め置かれたとか。眼鏡をかけていたので「波之上のフルガンチョ(眼鏡)」と呼ばれたそうです。「西武門節」のハヤシで「フルガンチョ、チャンナギレ」と歌われるのも、ベッテルハイムのことを指したそうですが、西武門節とはなんの関係もないのに、変ですね。
 なんみん祭は、全島沖縄角力大会、ビーチ綱引大会、のど自慢大会などいろんな催しがあるので、来年はもっといろいろ見たいですね。

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