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2011年6月 6日 (月)

金武町の日秀上人伝説

 金武町(キンチョウ)の観音寺の境内には、鍾乳洞がある。日秀上人は鍾乳洞を拠点に真言宗の布教をしたという。071  鍾乳洞は、日秀洞とも呼ばれている。長さ270㍍、地下30㍍もある。入り口にいくと、急な階段を地下に降りるようになっている。入場料400円もとる。時間もないし、中には今回は入らなかった。060  実は、鍾乳洞は泡盛の貯蔵所になっている。入ってみた人によると、狭い所を通り、奥のドーム状になっているところに入ると、タンクがたくさん並んでいる。地元の金武酒造が泡盛をねかせている。洞窟は、冷温で温度が一定しており、泡盛をねかせて古酒(クース)をつくるのに適しているのだろう。チーズのような味わいのある豆腐ようも成熟させている。
 064  寺の本堂の横には、茶店があり、金武酒造の泡盛、豆腐ようも売っている。泡盛古酒「龍」は前に飲んだことがある。

 話は、はじめから横道にそれた。本題に入る。日秀上人を巡っては、民話と伝説がある。町のホームページで紹介されている。要約してみたい。
 16世紀に金武のフナヤ(富花港)に舟が流れ着いた。お坊さんが舟底にしがみつき倒れていた。若者が弁当をあたためお粥を作って差し上げた。若者はお坊さんが身分の高い僧であることをはじめて知った。「お礼をせねば」と言うと若者は「姓がほしい」と言う。若者は、生活に役立つ川の名のヒジャガーの名を授けてもらえれば光栄だと言う。それはたやすいことだと、比嘉の名を命名した。現在でも、比嘉を名乗り栄えていると言う。
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 日秀上人は、村の若者に助けられて、村のために何か役に立ちたいと考えた。農業に相当な知識があったといわれ、農作物の管理、なかでも稲作はそれまで経験だけを頼りにしていた村人に新しい方法を教えた。その成果に村人はびっくり。「白砂が米に化した」という謡まで歌われるようになった。村は豊作がしばらく続き、栄えた。上人は神人と崇められた。
 その頃、恐ろしい事件が起きた。月夜の晩、美青年が村一番の美しい娘を誘いだしていた。娘に惚れていた村の青年が、2人を見ていた。2人は村の洞窟に向かった。洞窟の入り口にいた娘を引き止めようとしたしたとき、美青年が大蛇に変身し、娘を巻き付けて洞窟の中へ消えていった。
 この大蛇は、洞窟の中に住み、人間とくに美しい若い女性の生肝を常食していた。その昔、洞窟に続く大川で、水汲みに来る女性が次々に襲われ、農作物が被害にあう事件が相次いだ。村人は、大川と洞窟から遠ざかった。このため大蛇は人間に化け、人家に忍び込むようになった。

                    下の写真は金武大川(ウッカガー)。水量が豊富だ。
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 心配した日秀上人は、娘をもつ家を訪ねて娘を隠したりした。さっそく洞窟の前で呪文を唱え、大蛇が二度と出られないように洞窟に封じ込めた。それ以来、大蛇の被害はなくなり、村は栄えたという。
           029                写真は金武大川のそばにある洞窟。

 大蛇退治の伝説などは、史実とは思えないが、農業で稲作の新しい方法を教えて豊作が続いたというのは、ありうる話だと思う。稲作についての技術は、大和に比べてどうしても琉球は遅れがあっただろう。だから大和での稲作の農法を知っていて、教えたというのはある程度史実を反映しているのかもしれない。
 上人について、いくつかのこういう伝説があることは、それなりに村の民衆から慕われるというか、尊敬されるような存在になっていたのだろう。

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コメント

比嘉という姓は「ヒジャガー」から来たんですかね。僧が姓を与えるなんてできるんですか。ところで沖縄には大蛇伝説って多いですよねえ。穴に住んでるっていうのも共通してるような・・・。蛙とか鳥とかが悪さしたという伝説は聞いたことないもんね。以前手話サークルでハイキングの行き先を決めようとなったとき、全ろう者のNさんが金武の鍾乳洞に行こうとこだわったのはなんでかなあ。黒板に絵を描いて、説明して、「ここは沖縄戦のとき住民が隠れたガマだから」って言ってたです。400円もとらなきゃ見に入ってもいいけどや~。

 比嘉の姓を与えた話は、たんなる伝説でなので、比嘉姓のはじまりということではないかもしれません。琉球王府の時代は、百姓は姓を持てなかったでしょう。大蛇の伝説はありますね。嘉手納にもある。なぜでしょうね。まあ大和でも、あるから沖縄だけではないですが。鍾乳洞はなんか伝説が生まれる舞台にふさわしいところですね。金武町はいくつも鍾乳洞、洞窟があるから、沖縄戦の際は、洞窟に避難したのでしょう。金武町史にもその体験が掲載されてますよね。

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