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2011年6月27日 (月)

恩納村の史跡を見る

 恩納村には、古くからの暮らしと民俗、歴史を025 知る史跡がたくさんある。その一部だけれど、恩納区でいくつか見て歩いた。
 「琉歌の里」のところで紹介したのが、恩納間切(今の町村)の恩納村(今の字にあたる)にあった番所(役所)跡である。 いまは駐車場になっていてなにもない。それより恩納ナビの歌碑の方が目立っている。
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 番所跡の説明板に掲示されている絵(左)で当時の番所の様子をしのぶしかない。

 番所から歩いて数分のところに、いろいろ由緒ある史跡がある。立派な恩納区体育館の敷地の一角に、神アサギがあった。恩納区の神アサギは、前に見た国頭村安田(アダ)の神アシャギのように、昔ながらの茅葺屋根である。009  神アサギとは、神をまねく場所だ011_2 そうだ。五穀豊穣や村の繁栄を願い、豊年祭など行われたという。聞くところによると、神アサギは、それだけでなく、ムラ・シマ(地区)の貢租(穀物)を集積する倉庫のように使われた。
 安田のアシャギを観た時にも、不思議だったのは、軒先が低いことだった。アサギの中に入るにも頭をぶつけるほど低い。なぜこんなに低くしているのだろうか、と疑問だった。でも、それには理由があった。穀物を集積するため、馬や牛が首を突っ込まないように、軒を低くしたそうだ。

 中に入ると天井は高い。面白いのは、この神アサギは柱が木ではなく、石で造られていることだ。 012

 とても古い石材のように見える。でも、もう一つ不思議なことに、この神アサギは村指定の有形民俗文化財には入っていないようだ。ほかにいろいろ有形民俗文化財があるのに、なぜだろうか?

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 古くから恩納区の人々の生活に欠かせない石造りの湧水「カンジャガー」があった。産井(ウブガー)として利用されたという。
 琉球王府の時代から、正月の村拝みのときは、村の有志が揃ってヌン(祝女)殿内(ドゥンチ)、マータンカー、赤平家、カンジャガーを拝む習わしがいまも続いているという。いずれも、祈願の対象になるような由緒ある場所なのだろう。
  カンジャガーは鉄柵で囲われている。中を見るときれいな水を湛えていた。なかった。
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 ヌン殿内があった。でも説明するものは、何もないからよく分からない。

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 このあと、恩納ナビービーチに行った。そこに村内の観光地図が出ていた。その中に、「ウドゥイガマ」と呼ばれる村指定文化財があることがわかり、そちらに向かった。
 これは断崖の景観が素晴らしい万座毛(マンザモウ)に続く、海岸の西側の岩場にある洞穴である。034

 車で探して走ったが、道がわかりにくい。ちょうど歩いていたおばさんに尋ねると、「ああ、ウドゥイガマなら、この先の十字路を右に曲がり、行った先だよ」とすぐ分かった。それだけ地元の人には有名だろう。
 ただ、入り口は左写真のように、林の中に標柱がたっていた。見落としそうだ。林の中の道を歩いて行くと、ポッカリと洞穴が口を開けていた。035

 右写真は、海岸への出口である。洞穴の中は面積80㎡、高さ4mもある。ここでなにをしたのだろうか? とても意外なことに使われていた。名前の由来の通りである。伝統芸能の組踊の練習に使われたのだ。
 沖縄では、村や字で組踊を上演する伝統がある。組踊は、歌三線と踊り、芝居の総合芸能である。 組踊を演じる村の人たちが、この洞穴で数日間、寝食をともにして練習に励んだ。「村あしび」という、お祭りのような楽しみの際は、この洞穴から、旗竿の先に大きな飾りを付けた旗頭(ハタガシラ)を先頭に、衣装をまとい、区内を練り歩く「道じゅねー」に出発していったという。036  洞穴は、奥の部分が少し平らになり、そこに地謡(ジカタ)という歌三線の演奏者が座り、その前で演技や踊りの練習をしたという。現在は、この洞穴では練習していないが、踊りを奉納しているそうだ。恩納村内には、このようなウドゥイガマが数か所ある。なかでもこの恩納区のウドゥイガマが最大だという。
 集落の中に、伝統芸能を練習する洞穴があるというのがスゴイことだ。組踊をいかに村民が熱心に練習して、演じていたかがわかる。「芸能の島」といわれる沖縄の真骨頂の一端がここに見えるのではないだろうか。

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コメント

恩納区の文化財などは教育委員会がわざわざ「順路」を定めて番号を振り、わかりやすくしているのに、各所に関しての詳しい説明や資料がない、というのは残念でしたね。やるなら徹底してほしい。アシャギは今でも使われているような感じがなかったですけど、屋根をブルーシートで保護しているところをみると、大切に保存していることがわかります。カンジャガーは古いカーなのに、拝所がなかったですね。御願の対象ではないのでしょうか。ここには掲載されていませんが、アシャギの近くに根屋火ヌ神がありました。そこが御願の場所なんでしょうかね。
ウドイガマは実際にそこで演奏している写真があったけど、あそこならいくら練習してもうるさくないですね。一回、道ジュネーをみてみたいものです。ウドいガマが数か所あるシマって結構あるんですかね。あそこは恩納区ではなく、山田でしたか。海岸の名はただの「ナビービーチ」です。恩納ナビー海岸じゃないですよ~。

 恩納区の史跡は分かりにくいかと思ったら、案内板があり意外に分かりやすかったですね。首里などは案内板に由来が詳しく書いてあり助かるけれど、恩納区はごく簡単な説明のものしかなかったですね。カンジャガーは、正月の村拝みの際、祈願する場所の一つですが、井戸そのものに祈願するのでしょうか。南部では大抵、湧水の場所には拝所があるけれど、どうなっているのかなあ。
 ウドゥイガマは、山田ではなく恩納区です。シマ、集落の中には1か所でしょう。恩納村のなかのいくつかの字に、オドゥイガマがあるんでしょう。村内に何か所かあるそうですから。

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