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2011年6月15日 (水)

八重山の哀歌にうたれた岡本太郎

 岡本太郎の生誕100年ということで、さまざまな取り組みがある。岡本太郎は、1959年に初めて沖縄を訪れ、沖縄文化について、独自の見解をのべるなど、深いかかわりがある。
 県立博物館・美術館では「生誕100年記念展 岡本太郎と沖縄」を6月26日まで、開催中である。
 岡本太郎は「日本を代表する前衛芸術家」「沖縄に大変縁の深い芸術家」として、1959年前後の芸術活動に焦点を当てた企画である。
 ただ、彼の芸術全体に興味があるわけではないので、見に行ってはいない。
 彼は、神の島と呼ばれる久高島に行ったさい、島の「後生(グソウ)」と呼ばれる風葬の地に入り写真を撮って島民の了解なしに公開したことで、問題を起こしたことで知られる。
 では、なぜここであえて取り上げようとしているのか、というと、彼が「八重山の哀歌」について、「激しくうたれた」と書いているからである。

 まだ占領下の59年に沖縄に来て、書いたのが『沖縄文化論』だ。その中で「八重山の哀歌」に一章をさいている。琉球王府の時代の八重山が、過酷な人頭税による辛く苦しい中でも、美しい古謡が生れ、歌われたことに驚いている。短いエッセイであるが、さすがに芸術家としての鋭い感性が光っている。
 八重山の人頭税時代の古謡、民謡については、このブログでも「愛と哀しみの島唄」(上、下)、「ああ!なんのために生れてきたのかーー人頭税哀歌」(2010年7月)で詳しく紹介したので、繰り返さない。006            石垣島の蔵元の絵図から。庶民の風俗

 岡本太郎の文章だけを紹介する。
 「悲しい思い出がどうしてあのように美しいのか。八重山の辛く苦しかった人頭税時代の残酷なドラマを伝える、さまざまの歌、物語を聞いて、その美しさに激しくうたれた。美化しなければあまりに辛く、記憶にたえないからか。いやそれはほんとうに美しいからではないだろうか。そのとき、人の魂はとぎすまされ、その限りの光を放つからであろう」

 実際に、八重山の古い民謡は、過酷な歴史を生きて、その日々の営みから生まれたきた歌なのに、物悲しさ、陰湿さはあまりなくて、あくまで美しさや、辛さを乗り越えるたくましさを秘めている。岡本太郎の慧眼は、さすがであると感じた。

 ついてに彼が、この文章で八重山のいくつかの古謡を紹介しているので、その中から、美しい娘「ヌズゲマ」を歌った悲歌を取り上げておきたい。
 八重山には、ヌズゲマを主題とした古謡がいくつかの地域にある。地域によって少し、内容が違っているが、石垣島の平得(ヒラエ)の「いきぬぼうじぃユンタ」から、歌詞を訳文で要約する。
 「宮良村に生まれたヌズゲマは絶世の美人だった。頭(役職名)、村役人に見染められたが、断った。頭と役人は私を連れていこうとした 山に籠って死ぬよ、3カ月も山の密林を歩いた。大本(オモト)山に登って水を飲もうとうつ伏せしたら、私の命は終わりをつげた。死体の片眼からドゥスヌ木、片耳からトゥムヌ木が生えた。立派に生えた木から、船材が伐採され、公用船が造られ、頭親に乗られ、役人にも乗られた。生き肌に乗られず、死に肌に登られた」

      Photo                 人頭税時代の織り女の絵
 人頭税の時代、赴任してきた役人が、美人の女性に目をつけて賄女(現地妻)にすることがよくあった。有名な「安里屋ユンタ」も、美人のユンタをめぐる役人とユンタの物語である。現地妻になれば役得もあったので、受け入れる女性もいたが、権威をかさにきた役人の要求を拒否する女性もいた。ヌズゲマもその一人である。山に逃げながら、命がつきた。死んだ後も、身体から生えた木で船が造られ、役人に乗られてしまった。悲しみと悔しさが胸をうつ古謡である。
 八重山の古謡を、あまり知らなかったとき、岡本太郎の著書で偶然知った歌だった。すでに「愛と哀しみの島唄」(下)で書いたことだが、生誕100年にあたって、もう一度紹介しておきたかっただけである。
 
 
 
 

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コメント

岡本太郎が八重山の古謡に美しさを発見したということは、本土の人間が一度訪れただけでだれでもそうなるかというと、とてもそんなことはできないと思うので、確かに優れた芸術家であった証だろうと思います。古謡だけでなく、沖縄の民俗に深く関心があったようで、それだから久高島のイザイホーを見にも行ったんでしょうね。比嘉康雄さんの『母たちの神 日本人の魂の源郷』では、久高島のなかでの人間の「死」というのは、肉体の死ではあっても魂は死なず、それは後世の生れ来る人間へと受け継つがれる存在、という位置づけだったので、そういう民俗性を理解しないで、軽い気持ちで風葬の風景を撮影し、公開したということは安易です。古謡への慧眼は優れていても、沖縄の深い部分を理解してほしいですね。

 八重山で古謡を歌ってもらい、三線抜きでもう一度歌ってもらい、翌日改めて歌ってもらったとそうです。何曲聞いたのかわからないけれど、それだけで古謡の美しさにうたれたというのは、確かに並の芸術家ではない感性ですね。
 沖縄の文化については、中国、日本、朝鮮からの移入文化だと見たそうで、あまり評価していない。むしろ民俗、御嶽に関心を持ったようです。久高島で島外者には禁忌の風葬地を撮影して公開したのは、やはり岡本太郎の、島民が大切にしていること、感情などへの配慮より、自分本位に行動するわがままさが現れた感じですね。比嘉康雄さんが、島の人たちにとても信頼されたのと、姿勢が大違いですね。

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