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2011年7月 8日 (金)

小禄の具志を歩く

 那覇市の南西にあたる小禄(オロク)の具志(グシ)の集落を歩いた。昔からの道や拝所が残っている。最初に、小高い丘の上にある「具志うたき(御嶽)」に行った。012  うたきは普通、漢字で書くがこちらはひらがな。それに御嶽といえば、うっそうとした森や大きな岩のある場所が多いが、こちらは広場があり公園になっていて、その一角に立派な拝殿がある。013  これほど立派なうたき(御嶽)もあまり見ない。ただ、拝殿の周囲は厳重に格子や囲いがあり、カギがかけられ、中もよく見えない。なぜか「和」の字が見える。「具志うたき」の碑の裏側にも「和合躍進」の標語がある。なにか訳がありそうだ。011 018

014 小さな拝所もあるが、「火ぬ神」だろうか、よくわからない。

 この丘からの眺めはとてもよい。026

 023

 

 丘を少し下ると、別の拝所に出る。「くらさ拝所」の碑がある。こちらも「くらさ」はひらがなだ。本来は漢字があるはずだ。

 さきの御嶽もこちらの拝所も「具志協友会」が改築したと記されている。17年ほど前に改築されたようだ。

 こちらには、2か所立派な拝殿がある。

027  028 こちらはガラス戸になっているので内部がよく見える。香炉などたくさん並んでいる。何をお祀りしてあるのだろうか。あとから近くを歩いていたおじいさんに連れ合いが「具志うたきとくらさ拝所はどういうものですか?」と尋ねてみた。「うたきは、神様がいるところだし、くらさ拝所は、まあ先祖をお祀りしているところだ」という答えだった。上の写真は、何も表示がないが、門中(男系血族集団)ごとに先祖を祀っているのだろうか。031  御嶽は通常、海の彼方にあると信じられているニライカナイにいる神々が降りてくる神聖な場所である。くらさ拝所は、先祖である。先祖も神になり、子孫を守ってくれると信じられている。そういえば、下の写真の拝所の中をのぞくと、「久良佐按司世」とか「大里按司之子(南山持ち降り)」とか4つほどの名前が見える。按司は豪族のような存在だった。昔この地域を治めていたのだろう。

033  「くらさ拝所」の名の由来は、たぶん「久良佐按司」から来ているのだろう。この日は具志自治会館も休みで詳しいことを聞ける人がいなかった006_2 。私の勝手な推測である。

 湧水の井戸(カー)もいくつかあった。はじめ見たのは古村屋(フルムラヤ)の井戸跡。こちらは、井戸はもうない。小さな拝所だけが残っている。

 少し先に「ヌールガー」があった。カーといても、いまは厳重に鍵がかけられている。中ものぞけない。008 左側には、拝所がある。水は命の源であり、御願(ウガン)の対象である。007_2  もう一か所、「ウッカー」があった。043 やはり、厳重に鍵がかけられている。左上には拝所がある。

021  具志うたきに碑があり、綱引きのことを書いていたので、ふり返りたい。碑文では、戦前は旧6月25日には具志綱引き祭りが盛大に行われた由緒ある場所であると記されている。
 ことしは「豊年祭」として7月31日、「メーミチ」と呼ばれる集落内の通りで、大綱引きが行われるという。下の写真の石が、綱引きで中心点になるという。

042 まだ書くことがあるが、長いので次にしようね。

 

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コメント

昨日まわったうたき、カーのあたりは昔からの具志の集落のようですね。具志うたきがなぜあんなに立派なのか、なぜ拝所が二か所あるのか、くらさ御嶽の意味はなんなのか、わからないことが多いです。カーもカギがかかっていて、そのものを見られなかったので、なんか欲求不満が残ってます。綱引きをやる肝心なメーミチの道自体の写真を撮るのを忘れました。くらさ御嶽はおじいの話ではムラのご先祖さまが祀ってあるということでしたが、それがくらさ按司なんでしょうか?自治会の人に聞かないとわからないですね~。

 具志うたきは、拝殿の内部が見えなくされているので、余計よくわからない。なぜ、これほど隠すのか、神様が降りてくる神聖な場所だからでしょうか。でも自然の御嶽は、なにも隠しようがないですが。
 こういう拝所は、通常は案内板もないから分からないですね。文化財になっていれば説明があるけれど。それぞれ重要な役割があるはずです。
 具志うたきにある小さな祠は、火ヌ神ではないですか。回っても火ヌ神は見当たらなかったので。同じ小禄でも、字小禄の拝所とはまた様子が異なりますね。

具志出身です。たまたま通りかかって懐かしい風景がいっぱいで、びっくりしました。
うたきは、昔は何にもなかったです。ただの広場(というか原っぱ)でした。
いつの間にかこのように整地されてました。
いろいろ土地を再編する段階で、それっぽいのを作ったんじゃないかと思うんですけど、どうでしょうね^^;

通りすがりさん。コメントありがとうございました。
具志出身なんですね。私は余所者ながら、見させていただきました。
とても立派に御嶽は整備されているけれど、もともと何もない、というのは御嶽の本来の姿でしょう。
 こういう場所は、人々の古くからの心のよりどころであり、そこに懐かしさがあるのでしょう。大切にしたいですね。

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