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2011年7月26日 (火)

もう一つの「門」(ジョー)がある

 沖縄の「門」(ヂョー、ジョー)というのは、大通りや門前の通りを意味した、それが門の意味に転じたことを書いた。でも、この「門」は、実はもう一つ意味がある。それは海人の街・糸満だけにあるものだ。糸満には、ハーレーや大綱曳きを見に行ったけれど、糸満の「門」のことを知ったのは最近のことである。

131          写真は旧正月の糸満漁港の風景

 糸満では、漁民社会にある共同組織を「門」(ジョー)という。もう300年ほど昔から形成された。旧糸満の海岸沿いに、埋立てによって舟だまりがつくられ、入江を挟んで同じ血縁集団を中心に家々の地域共同組織がつくられた。これを「門」(ジョー)と呼ぶそうだ。

110812_123601                        糸満の門のある地区の今の町並み

 漁業の発展とともに、漁家の戸数は増え、「門」は発展し、昭和初期には9つの「門」があったという。門中(ムンチュー、父系血縁組織)など同一の血縁集団が中心になっているので、旧正月の行事や祖先祭祀を営み、日常生活の相互扶助、サバニの運搬や浜掃除、豊漁と海上安全を祈る行事「門願」(ジョーグヮン)など門単位で行ったという。ただし、漁業の糸満で名高い追込漁を門単位で行う慣習はなく、漁業との関係は認められないという。
 戦前すでに海岸沿いに護岸道路が建設され、門は舟だまりとしての入江の機能は失ったけれど、地域共同組織としは存続してきたとのことだ。
 以上は『日本における海洋民の総合研究』の中の満田久義著「糸満漁民の社会構造」からの荒っぽい抽出である。

117         糸満の海人が豊漁や海上の安全を祈願する白銀堂

 これがなぜ「門」(ジョー)と呼ばれるようになったのだろうか。つまりは「門」が通りを意味したので、「その通り(門)を単位とした家並みを一集団として構成されるのが門(ジョー)組織」(加藤久子著『糸満アンマー』)であるからだろう。

 加藤さんは「門」(ジョー)の機能について次のようにのべている。
 「ジョー集団は、ジョーごとに行う『ジョー御願』という行事を生みだした、一年じゅうの守護を願う旧暦二月の立御願(タティウグヮン)、半年間無事で過ごせたお礼と残りの半年間の無事を祈願する旧六月の中御願(ナカンウガヮン)、そして一年間の感謝で締めくくるシリガフーの三回である。旧暦五月四日のハーレーと八月一五日夜の大綱引きの二大行事はもちろんのこと、諸行事はジョーの強い共同性にもとづいて運営されていく」(同書)

 040          二〇一〇年の糸満ハーレー

 門(ジョー)と漁業の関係については、私見としては関係があると思う。門は、本家と分家など血縁集団が中心だったのは、漁業をするうえで強いきずなで結ばれ協力するためでなければ、門を形成する意味がない。豊漁や海の安全を祈願する御願などは、ともに漁業を行うから、御願行事も共同でするのではないか。追込漁がはじめり、多くの人を必要とするし、県外、海外にまで出かけるようになった。門単位の漁業は姿を消したとしも、行事や日常生活の相互扶助などは残ったのではないだろうか。加藤久子さんは、「漁撈活動を核につくられた地縁組織ジョー」と記している。

110812_123901            

 追記
『日本における海洋民の総合研究』の中で益田庄三氏は、追込み漁の「網組単位の漁労仲間の多くが門中であった」「追込み漁と門中組織は強く結び付いている点が注目される」と指摘している。門(ジョー)は、門中など血縁集団が中心だったのだから、門と追込み漁とはやはり深くかかわっていたと見る方が自然ではないだろうか。

 

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コメント

門ごとに舟溜まりのある光景を今にでも残しておいてほしかったですね。糸満は門中が巨大なので、その具現化がわかると思うのです。今糸満にいる人でその頃のことを知っている人はもう少ないでしょうね。でも追い込み漁は門単位ではやらなかったというのは、どういうわけなんでしょうか。糸満のアギヤー漁、いわゆる追い込み漁は、稚魚まで根こそぎ採ってしまうそうだから、糸満海人は嫌われて、ひとところにいられず奄美や台湾まで行ったそうですよね。採る魚があまりにも多いから、作業するのに門単位では足りなかったんでしょうか。
門が縦のつながりとすれば、漁における横のつながりというのもおもしろいです。
糸満ハーリーに行くと門中の名前が書かれた巨大テントが張られ、門中対抗のレースもありますし、そういうのは他のハーレーやハーリーでは見られないですよね。
それにしても沖縄の言葉はいろんな意味あいを持っていて、おもしろいです。伊波普猷氏はじめ、沖縄の民俗学者が言葉の研究をしたのも納得です。

 門は、門中の本家(ムートゥヤー)が奥にあり、分家が沖合いに向けて張り出す形で埋立てが進み、入江が作られていったそうです。入江は護岸道路ができてなくなったけれど、門(ジョー)は残ったのは面白い。旧糸満に住み、門にかかわりのある人はよく知っているけれど、旧糸満以外の人、新しい住民は知らないでしょうね。
追込漁は門単位でやらなかったと満田さんは書いているけれど、加藤久子さんは、門は漁撈活動を核に形成されたと書いています。もともと本家の前に分家が形成されたのは、ともに海で漁をするきずなで結ばれているからでしょう。それに豊漁や海の安全を祈願する御願は門で行ったというのも、漁を共にするから、御願も共同でしたのではないでしょうか。追込漁は明治中期から始まり、「糸満売り」と呼ばれる労働者が各地から入ってきたので、門単位での漁業はなくなったのかな、という感じがします。素人の感想ですが。

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