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2011年8月23日 (火)

伊江村の組踊「忠臣蔵」が上演される

 国立劇場おきなわの「組踊への招待」第3弾は、伊江村で継承されている組踊「忠臣蔵」である。上演は12月。前にこのブログで沖縄は、各地方、島ごとに組踊があることを紹介した。伊江島には、継承されている組踊がなんと12演目もある。島の東江上区で継承されている3演目の一つが「忠臣蔵」だという。
 歌三線と舞踊と台詞の総合芸能である組踊が、村ごとに、それも集落の単位であるというスゴサを改めて感じたので少し紹介したい。

Photo_2  この「忠臣蔵」は、1840年頃に東江上区出身の上地太郎という人が、首里で奉公中に大和へ行った折り、観賞した「歌舞伎・仮名手本忠臣蔵」をもとに、組踊「忠臣蔵」を作ったといわれる。もちろん、場所の設定から人物まで琉球に合わせている。ストーリーは、松の廊下の刃傷から討ち入りまで同じ流れである。

 伊江島では、明治時代に2度、大正時代に2度上演。戦後は1971年に約半世紀ぶりに復活し、門外不出の伝統芸能として地域で温めてきたという。
 伊江島は、沖縄戦の縮図といわれる戦禍を受け、戦後は米軍基地による土地強奪で苦難の道を歩んだ島だ。その中でも芸能は継承されてきた。1973年に伊江村民俗芸能保存会が結成され、1980年から、各区輪番の民俗芸能発表会が始まり、いくつもの演目を上演してきたとのことである。

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 1993年に初めて那覇市の郷土劇場で村外公演を果たし、2001年には東京の全国民俗芸能大会でも上演するなど、広く知られるようになってきた。そして12月の国立劇場おきなわの公演である。
 組踊「忠臣蔵」の台本を見ると、第11場まである本格的な構成である。今回の公演は、役者22名中18名が新人で、伊江島特有の方言の発音から若者には戸惑いもある。けれども伝統芸能の継承と後継者育成のため、懸命に稽古を続けているそうだ。
 小さな島の一集落で、これだけの伝統芸能と組踊を、幾世代にもわたって保存し継承していくことに、驚く。と同時に、村々、島々に根付く伝統芸能の底力に敬服する。

Photo_6

 さきに述べたように、組踊は沖縄の村々、離島まで各地で保存・継承されている。国立劇場おきなわでもらった冊子『はじめての組踊』の中に、各地にどのような組踊の演目が保存されているのかを示した地図と一覧表が掲載されていた。写真をアップしたが、とても小さくて不鮮明なので見えない。ただ、地図では沖縄の南部、中部、北部から各離島まで、印があることはわかる。

Photo_7

 演目の一覧表を見ると、その数は40にのぼる。一つの演目で、20を超える地域で上演される演目もある。組踊を上演する地域数はとても数えきれない。なぜこれほど地方に組踊が広がり、演じられてきたのか。その理由にはいくつかの説があるという。冊子の中で宜保榮治郎氏は、要旨次のようにのべている。
 ①1879年の廃藩置県頃、都落ちした士族が村に教えた。
 ②琉球王朝末期頃、首里士族が村々をめぐって台本を売り歩いたついでに教えた。
 ③地方の有力者の子弟が首里の御殿(ウドゥン)、殿内(トゥンチ)に奉公に出た時伝授さ れた。
 ④1800年前後から、各村の会所(寺子屋)の教師が村の子弟に教えた。
 ただ、だれが伝え、教えたにしても、村の人々がこの伝統芸能を愛し、楽しみ、演じ、続けて行こうという熱意と努力がなければ、廃れていく。
 沖縄の村々では、夏の豊年祭の時に、村遊びと呼ばれる楽しみの場で、組踊を演じているところが少なくないとのことである。それだけ、人々が組踊を楽しんでいるのだろう。

Photo_4 ちょうど8月23日付けの「琉球新報」にも、南城市久手堅(クデケン)で旧暦7月16日に行われた「ヌーバレー」の模様が報じられていた。ヌーバレーというのは、旧盆で家々の先祖を供養するだけでなく、無縁仏をあの世に帰して五穀豊穣などを願うという伝統行事である。同区は伝統芸能の復興に取り組んでおり、2006年に復活させた同区固有の組踊「鏡の割(わり)」や10年に復活させた歌劇「魚小(イユグヮー)チヤー」などを披露したという。
 村々の組踊、伊江島の組踊も一度、観てみていなあ、と改めて思った次第である。

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コメント

伊江島の「忠臣蔵」の歴史はすごい!どんな逆境にあっても村民が受け継ぐ伝統と気概。ムラに伝わる芸能への誇りがあるんですね。でも首里城を舞台にした「松の廊下」って、どんな再現をしてるんでしょうね。台詞みればわかるか。12月の公演は無料じゃないんですかね。沖縄各地にある組踊も「こんなに!」っていう感じです。たしか恩納村恩納の海に面した崖の洞窟のなかに、組踊の練習のための場所がなかったですか。「ウドイガマ」だったかなあ。那覇は都会化してしまっているのがよくわかりますね。沖縄は民俗芸能の宝庫です。

 伊江島では昨年12月にこの出演を依頼され、2月には役者を依頼し4月に実行委員会を設立して初稽古を始めたそうです。誇りも熱意もスゴイですね。それをやれる芸能の力が地域に根付いているんですね。この「忠臣蔵」の舞台は首里城とも書いていないけれど、登場人物は塩治、田港、喜如嘉、伊豆、源河とか山原(やんばる)のような地名が見えます。公演は「組踊への招待」第3弾だから無料公演でしょう。
 恩納では海岸の洞穴に練習場がありましたね。恩納の村の芸能も国立で上演されます。これだけ、各地の村、集落、島で組踊、歌劇が演じられるというのは、「芸能の島」ならではですね。

1920年代、東京の製紙工場へ出稼に来た約三百人の伊江村の人々についてまとめています。彼らは工場周辺に居住して、定期的に伊江島芸能興業発表会を催したのですが、ほとんど資料がありません。このため、『伊江島の村踊り』や『伊江村史』で、伊江島芸能の特徴などを調べています。中でも「忠臣蔵」は、王朝由来ではない、島民自作の組踊である点が非常に特徴的と思われます。沢村さんのブログによれば、「忠臣蔵」は明治期に二度、大正期に二度上演されたと記されていますが、出展を教えていただけないでしょうか。十年前の記事に関する質問で恐縮ですが、よろしくお願いします。

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