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2011年8月10日 (水)

「がじゃんびら公園」からの眺め

 美空ひばりの歌碑がある「がじゃんびら公園」は、那覇港が一望できるとても眺望の良い高台にある。「がじゃんびら」とは「蚊の坂」という意味だ。昔は蚊が多かったのだろうか。

029 眺望がよいと言っても、目の前に広がるのは米軍の那覇軍港である。米陸軍が使っている。海軍が使ううるま市のホワイトビーチに次ぐ規模だという。那覇市のど真ん中で、戦後66年たっても、米軍が広大な港と岸壁、土地を占有している。
 すでに1974年に全面返還で日米が合意しているにもかかわらず、移設条件付き返還であるため、いまだに返還は実現していない。
 写真で、黒々とした物体が見えるのは、米軍の軍用車両である。

031 これから艦船に積み込むのか、もしくは積み下ろしたものなのかわからない。でもベトナム戦争でも、ここから戦車をはじめ武器や弾薬類など積みこまれたのだろう。軍港は戦場と直結していることはいまでも変わらない。
 035_2   灰色の艦船らしき船の上部だけがわずかに見えている。

 「がじゃんびら公園」からは、もう一つとても大事なものが見える。それは琉球王国の時代の「御物城」(オモノグスク)跡である。でもそれは、なんということか米軍那覇軍港の中にある。027  那覇港に浮かぶ小島に王府が築いていたグスクだった。かつては独立した小島だったが、その後埋め立てによって陸地とつながった。出島のような形になっている。
琉球王国は、中国や東南アジア、日本、朝鮮と貿易をして栄えた交易国家だった。その外国からの輸入品や輸出品などを収蔵する重要なグスクだった。いまでも石造りのアーチ門がある。

 グスクの名前がつくだけに、たんなる倉庫ではなく、貿易や那覇の行政にたずさわる重要な役所だったという。18世紀に貿易が衰退し廃された。戦前は、高級料亭があり、戦後は米軍の軍港の施設が建てられたそうだ。写真でみても、小島の上に建物が見える。王府の史跡であるのに、なんの考慮もなく施設を造り、使用している。しかも、こんな重要な史跡が、米軍基地の中に取り込まれて、県民は自由に出入りできない。排除されているとは、なんたることか、ワジワジーする。

033  軍港の対岸は、那覇港で大和や奄美諸島などからの船舶が出入りする。戦前、戦後もまだ航空機が便利でなかった頃は、大和への進学や就職、出稼ぎ、それに出征や旅行など、この港から船で旅立った。親兄弟や恋人などとの別れの場でもあった。

 せっかくの眺望が、米軍の軍港では、ムカつくが、那覇軍港の全体や現状を見るには絶好のポイントでもある。038    がじゃんびら公園は、散歩にいい場所だ。でも家からは遠いので行かない。

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コメント

がじゃじゃんびらとはずっと以前からそう呼ばれていたようです。高木凛さんの著書『沖縄独立を夢見た女傑照屋敏子』のなかの、糸満女性の魚商いの様子にがじゃんびらが出てきます。「戦前、糸満の平均的な家の女たちは13歳になるとこの魚売りに加わって、糸満から海岸線端の道を那覇に向かって歩いた。潮平、座安、仲嘉地、具志、高良をすぎるとガジャンビラという高台に出る。当時、ここからは那覇の町が一望できた。糸満の女たちが行き帰りに一休みする集合場所でもあった。ガジャンビラから一気に下に下って明治橋から那覇の東町へ。また小禄回りと言って東町に出るコースもあった。⋯⋯」。がじゃんびら公園の高台にたつと、かつての糸満アンマーたちのたくましい息遣いが聞こえてくるようでした。
那覇軍港は「嘉手納以南の返還」だから、普天間移設とセットにされていて、結局辺野古が進まなければ返さない、図式になっています。いい加減にしろよ!といいたいです。戦後何十年たってると思ってるんだ!返還されればオモノグスクも原状復帰できるし、解放される。「別れのちむり」とか「女工節」とか民謡に歌われた那覇港には、きっと歌碑もできるでしょう。ああ、われらの那覇港よ~!

糸満から魚売りにがじゃんびらを通って那覇に行った様子が、加藤久子さんの書いた「糸満アンマー」に出てきます。歩いて坂を越すのにはきつかったでしょう。
那覇軍港は返還が決まって37年もたっている。ホントに普天間基地も移設条件付きではどうなるか、この例で明らかですね。はやく返還して平和の港にしてほしい。御物グスクに許可をえて入ったときの写真をネットで見たけれど、石造りのアーチ門は見事です。県民が入れるように開放すべきですね。
大和に女工に出た女性をテーマにした「女工節」は、友だちはムラの境で見送ってくれ、親は那覇の港で見送ったとあります。那覇港には数々の別れのドラマがあり、出征し戦死した人とは、今生の別れになったんですね。

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