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2011年8月24日 (水)

なぜ八重山で右派的「公民」教科書選ぶのか

 石垣市、竹富町、与那国町の来年度からの中学校の教科書選定で、「歴史」は「つくる会」系の教科書ではなく、帝国書院が選ばれた。これは、沖縄戦の「集団自決」の日本軍の強制・関与も書かず、侵略の戦争も美化する教科書を選ぶな、という県民世論を考慮せざるをえなかった結果である。
 でも「公民」は、「つくる会」系の育鵬社の教科書が多数決で選定された。

 事前に任命された調査員は、歴史と公民の教科書で、いずれも育鵬社も自由社も推薦していない。にもかかわらず、委員は無記名投票で、推薦外から選ぶという異様なやり方のもとで選定された。しかし、竹富町は育鵬社の「公民」教科書は採択しないと事前に表明していた。それだけ反発が強く、激論になったという。

 八重山での「つくる会」系のいわば右派的な教科書の選定は、他県とは異なる意味がある。それは、沖縄戦で悲惨な戦場にされ、米軍基地が居座る沖縄というだけではない。政府・防衛省が進める自衛隊の先島配備などの動きと重なるからだ。

 政府は、与那国島に陸上自衛隊の駐屯地をつくるとし、そのため土地を取得する方針だ。石垣市には、革新市政に時代には反対していた自衛隊の艦船の入港を認めている。

 育鵬社の「公民」教科書は,愛国心を強調し、「自衛隊は日本の防衛に不可欠」とか、「日本の平和は自衛隊の存在とともにアメリカ軍の抑止力に負う」と評価する。国民の基本的人権については「行きすぎた平等意識はかえって社会を混乱させる」とか、男女平等についても「性差を認めた上で、それぞれの役割を尊重」するとのべている。これには、「改憲を誘導」「戦前の軍国主義の流れを感じる」など厳しい批判の声が出ている。平和の憲法、国民の基本的人権を軽視する偏向教科書である。
 
 南西諸島での自衛隊配備など進める上で、その抵抗感をなくす狙いがあるのではないか。自衛隊配備について、尖閣諸島をめぐる情勢や中国、北朝鮮の「脅威」などをあおるが、それは口実に過ぎない。米軍と連動して、自衛隊の海外派兵と「戦争ができる国」にしていくために、沖縄と南西諸島を最大限に利用しようとしているのだろう。

 「つくる会」系の教科書採択という問題も、自衛隊への抵抗をなくすにとどまらず、こうした「戦争ができる国」の国民づくりの一歩とみるべきだろう。
 しかし、沖縄戦を体験し、米軍基地の危険に日々さらされる県民は、こういう策謀を決して許さないだろう。平和を求める県民の心とかけ離れた時代錯誤の動きは、反撃を受け失敗するだろう。

 

 

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コメント

八重山の教科書採択の問題では地元で急速に世論が高まり運動が大きくなっていますね。歴史教科書で育鵬社が採択されなかったのは県民、八重山の住民の闘いと、確固たる「NO」の意思の反映だと思いますが、それならば「公民教科書だけは」と食い下がる右翼的潮流のしぶとさは、どうしても八重山を戦争の拠点づくりにしたい狙いが見え見えです。以前タクシーの運転手のオジーが言ってたことを思い出しました。中国漁船が日本領海内に入って巡視艇に追突してきた事件ありますよね。船長を不起訴にして中国に帰して、そのあと画像がユーチューブに掲載されて大問題になった事件。あのときオジーは中国側の態度にたいして「沖縄と中国は相互に尊敬し交流してきた歴史と実績があるんだから、暴力的な行為だけはやっちゃいかんよ。どういう問題でも平和的に解決せんと。それじゃなきゃ、沖縄と中国が築いてきた関係に亀裂が入って、やがて修復できなくなるさ。お互い、暴力に訴えてはだめだ」って言ってたんですよ。
 八重山に自衛隊配備なんかしたら、中国を刺激するだけだし、それがわかってて「力には力を」的に対抗するのは、平和憲法の趣旨からも逸脱してると思いますけどね。

タクシーのおじいの言うとおりですね。でも育鵬社の公民教科書は、近隣諸国との関係では、平和な東アジアを作っていこうという思想はなく、北朝鮮や中国を「脅威」のようにみるだけ。平和の憲法の精神に反して、自衛隊の軍事力と米軍の抑止力で平和が守られると強調するのは、沖縄県民の思いとは相反するでしょう。県民は、沖縄戦の痛苦の反省から、軍隊は決して県民を守らない、ということを目の当たりにしてきたのだから。
 右派的教科書の採択は、与那国島での自衛隊誘致の運動と同様に、南西諸島への自衛隊配備に連動した怪しい策動の臭いがプンプンします。でも、ごく一部の勢力の思惑だけでごり押ししているものだから、県民からは遊離していることは確かです。

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