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2011年8月22日 (月)

組踊「執心鐘入」など2作を観る

 国立劇場おきなわの「組踊(クミウドゥイ)の未来へ」という企画で、最初の演目は、組踊創始者の玉城朝薫(タマグスクチョウクン)作の「執心鐘入」(シュウシンカネイリ)である。300年近く前の作品である。018  会場には、続々人が入り満席になった。通常の有料公演では満席にならないそうだが、無料公演の効果絶大だ。会場の外で同時中継されたテレビ画面で見た人もいた。

 「執心鐘入」は、首里へ奉公にあがる中城若松という若い男が行き先を見失い夜、宿を借りたいと頼む。家の女は、はじめは断るが若松と知り泊める。かねて思いを抱いていたので、「長い冬の夜を明かして語りましょう」と迫る。でも若松は拒む。そのときの女と若松のやり取りを訳文で紹介したい。

女「男に生れても恋を知らない者は 外見は美しくても肝心なことを欠いた奴だ」
若松「女と生まれても 義理を知らない者は これこそ世の中の悪の極みだ」
女「悪縁が結ばれてしまっては 放そうとしても放すことができない 私を振り捨てて行くなら一緒に死ぬしかない」

 若松は逃げて寺に駆け込み鐘に隠してもらう。女は追いかけてくる。女は鐘にまとわりつき、ついには鬼女に変身する。すさまじい執念というか情念である。寺の和尚さんと小僧が法力でなんとか女を鎮める。能の「道成寺」にヒントをえた作品である。

2      上演中は写真撮影は禁止なので、パンフレットの表紙をアップする。

 組踊は、一幕で演じるので、場所が変わっても背景は、吊るされた大きな紅型の幕の前で演じる。演技もリアルな動きではなく、抑制された動きで表現する。しかも、しばしば動きは止まる。それは、歌三線の演奏を聴かせるためあえて動きを抑えるのだ。
 歌三線は、人物の思いや心理などを巧みに表現する。組踊は、観に行くというより、聴きに行くものだというくらい地謡(ヂウテー)、歌三線が重要である。地謡は、琉球古典音楽に秀でてなければいけない。地謡の歌三線で、2011年7月に西江喜春さんが2人目の人間国宝に認定されたばかりだ。014_2   次の演目は新作組踊「さかさま執心鐘入」。芥川賞作家の大城立裕さんの作品だ。今回で2回目の上演になるそうだ。
 これは、組踊の様式を踏まえたうえでパロディとして楽しめるように作られている。
 
 「執心鐘入」の舞台であるお寺は、いまも鬼になった女がたびたび表れ悪さをする。その寺に、若い女性が首里から中頭(ナカガミ)に帰るところだが、男につけられていると助けを求めてくる。そこへやはり首里から中城若松が、奉公が終わっての帰りだと立ち寄る。女が悪い男と思ったのは、実は若松だった。

Photo  女は、男が若松だと知ると急に恋する。鬼になった女も若松に恋している。二人の女は互いに恋敵になる。そこへ、なんと「執心鐘入」を書いた玉城朝薫が登場する。最後は、朝薫のいきなはかいで、めでたくおさまるというお話である。
 新作組踊といっても、まさしく喜劇で会場は、最初から笑いに包まれる。笑い続けた。まさしくパロディである。頭の固い人は、「こんなの組踊じゃない」なんていう人がいるかもしれない。でも、話の展開は現代的であり、音楽も古典とは違った軽快な曲で、楽しめる舞台だった。
 これは、あくまで古典組踊の「執心鐘入」とセットで見ないと意味がない。ただセットで見ることは、めったにない。そういう意味では、ありがたい機会だった。

 国立劇場おきなわは、伝統芸能の殿堂であるだけに、劇場の設備もすばらしくて、組踊を観賞するには最適である。前に、首里城で秋の満月の夜、正殿前で「執心鐘入」を見たことがある。これは、これでとても盛り上がった。でも屋内では、ここが最高である。

009

 最後に注文をしたいのは、地謡が幕の後ろに隠れて演奏することである。恐らく舞台効果を上げるためなのだろう。でも、一枚、布で仕切って隠しただけでも、歌三線はなんかベールがかかったように聞こえる。当然のことマイク、スピーカーは使わない。よい声をしていても肉声であり、三線の音もそれほど大きくはない。だから、幕の奥での演奏では、せっかく聴きどころの音楽の値打ちを下げている感じがする。
 それに、演奏している地謡の人々の、三線の持ち方、弾き方、口の開け方から表情までその様子を見たい。なのに、見えない。最後に布が上がって地謡の人たちが紹介され、やっとどういう人たちなのか、姿が見えた。
でもやっぱりおかしい。東京で演じた組踊を動画で見ると、地謡は舞台の右そでで演奏している。それに組踊が影響を受けた能でも、やはり地謡や囃子は舞台の後方の見える位置に配置されている。オペラではオーケストラは、舞台の前を下げてオケをピットに入れて客席から見えないようにしている。でも音楽はなんの妨げもなく、生で客席に響くようにしている。オペラもオケはたんなる伴奏ではなく、オケの演奏そのものが重要な聴きものである。
 組踊も、舞台の見える所に地謡を配して、直接に歌三線を見て聴くことができるようにしてほしいと強く感じた。      

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コメント

台詞の大和口訳が劇場の正面左右に出ますけど、あれを見ながら舞台もみますよね。ところが訳を見ていると役者の踊りや所作を見る余裕が時間的にないんですよ。「さかさま執心鐘入」はまだユーモラスな動きを見られましたけど。「執心鐘入」は女が情念に燃えて鬼女になる、という演出、「道成寺」みたいに鬼女になった女が鐘に上って炎上する、ぐらいの迫力がほしいですね~。でも朝薫が能の影響を受けて組踊にとりいれたのはよくわかりました。「さかさま執心鐘入」は、大城さんの芥川賞受賞作の『カクテルパーティー』と比べて、『カクテルパーティー』がうんうんうなりながら書いているって感じですが、「さかさま・・・」の方が本人が楽しんでのびのびと台詞を書いているという感じが見受けられました。
地謡はたしかに舞台の表に出て演奏した方が効果があると思います。音楽が遠く聞こえるので。地謡の雰囲気も含めて組踊なんじゃないんですかね~。

 台詞の訳の字幕がないとわれわれは意味がわかないので、助かるけれど、字幕の位置は難しいね。東京でオペラを見た時は、舞台の上に出たと記憶してます。できるだけ、ストーリーを事前によく知ってあまり字幕を一字一字見なくてもよいようになるといいかもしれない。
 大城さんの「カクテルパーティー」は、セリフ文学のようで、そのまま舞台にできる感じ。大城さんは、組踊も10作以上書いているし、演劇の脚本を書くのが好きというか、得意なのでしょう。
 地謠はやはり、舞台の見えるとこがいいですね。地謠の人からしても、舞台が見えない、幕の前で幕に視野を閉ざされたまま演奏するのは、嫌な感じがするんじゃないかな。私たちが民謡を演奏するにも、舞台の幕の後ろでやれと言われれば、「no,no」と言うでしょう。

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